陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

國學院大・臼井健太 挫折とけがからの復活、最後の箱根は「自信を持って走れる」

挫折も走れない時期も経験した臼井は、いま自信を持って最後の箱根に臨む(写真は9月の日本インカレ、撮影・藤井みさ)

「今年は臼井がすごくいいですよ」。新チームになった後、7月に取材をしたときに國學院大學の前田康弘監督が一番に教えてくれた。臼井健太(4年、鳥取城北)のことだ。それ以降も話を聞かせてもらうたびに、必ず臼井の名前が出た。なかなか機会が訪れなかったが、箱根駅伝前の事前オンライン取材でようやく彼の話を聞かせてもらうことができた。

1年からレギュラーをつかむも活躍しきれず

「やっとここまで来られたかという気持ちです」

最後の箱根駅伝に臨むにあたっての気持ちを問われて、臼井は少しほっとした表情で答える。「まずは万全の状態で臨めることにほっとしています。ここでやらないと、今までの努力も後悔になってしまう。緊張感も高まってきたし、覚悟も決まってきました」

鳥取城北高校では2、3年で全国高校駅伝に出場した臼井。國學院大學に入学すると、1年生からレギュラーをつかみ、全日本大学駅伝に出場し5区9位。その年の1年生で唯一、箱根駅伝を走ったが、6区19位と下位に沈んだ。その時のことを「箱根を目指してやってきたけど、具体的に走って何をする、というところまで考えが及んでいなかった」と思い返す。周りばかり見てしまい圧倒され、雰囲気に飲まれてしまった。「そもそも朝8時という早い時間にスタートするレースも初めてで、寒さや路面の凍結もイメージできていませんでした」

2年次の全日本大学駅伝では、力を出しきれずに下位に沈んだ(法政大と明治大の後ろが臼井、撮影・朝日新聞社)

2年次では全日本大学駅伝の1区を任されたが区間19位。第50回の記念大会で國學院大學は大会史上最高の6位となり、初のシード権獲得に湧いたが、臼井は力を発揮しきれずにいた。その後の伊豆大島の合宿で膝を痛め、2年生では箱根を走れず。2019年2月に左膝の棚障害により足にメスを入れた。

手術後は実家に帰省したが、「二度と(陸上部に)戻れなくなるのでは、走れなくなるのでは」という不安な気持ちが襲ってきて、塞ぎ込みがちだった。テレビを見ても面白くない。今まで好きだったものにすら興味がわかなくなってしまった。「自分が自分じゃない、そういう感覚でした」。夏ぐらいからやっと走れるようになり、その時の気持ちを「今までで一番の喜びと言ってもいいです」と笑みを浮かべながら語る。

レベルアップのために藤木・中西と練習

前回は箱根駅伝のエントリーメンバーには入るも、12月に調子を落として出場は叶わず、6区・島崎慎愛(3年、藤岡中央)の付き添いにまわった。そして最終学年の4年生。4月に入り新型コロナウイルスの影響で全体練習ができなくなり、前田監督は選手たちに少人数のグループを作り、各自で練習するように指示した。臼井は思い切って、新チームのエースである藤木宏太(3年、北海道栄)と中西大翔(たいが、2年、金沢龍谷)の2人に声をかけた。「正直、2人にとってはその時点ではお荷物だったかもしれないんですけど、レベルアップしたいと思ってお願いしました」。もう1人、ルーキーの伊地知賢造(埼玉・松山)も加わり、4人での練習が始まった。

チームでの練習より、ポイント練習の設定タイムを上げて取り組んでいたというエピソードを聞いていたので、どうやって決めたのですか? と聞いてみたら「僕と藤木でやろうって」と愉快そうに返してくれた。「自分たちではもっといけるんじゃないかと思って、大翔もいけるよ! ってなかば強引に誘ってやりました。できたら強くなれるな、というワクワク感がありましたね」

レベルの高いチームメートと、質の高い練習。その成果を感じたのは、7月の青森での記録会に出場する10日前の最終刺激の時だ。3000m×2本の追い込みの2本目をフリーで走ったときに、8分02秒で走れた。そこで力がついてきたなと実感できた。そして記録会では5000m13分49秒24の自己ベスト。いいイメージのまま夏合宿に入った。9月の日本インカレを控えていたため、短期集中で他の選手よりも走ろうと決めて取り組んだ。結果、10日間で500km以上走り込むなど充実した合宿となった。

日本インカレが久しぶりの大きな大会になった。手応えと悔しさが交錯した(撮影・藤井みさ)

9月の日本インカレでは5000mに出場。13分55秒52で10位と入賞には届かなかったが、大舞台でも自分の力を出せるという手応えと、入賞できなかった悔しさがないまぜになった。11月には全日本大学駅伝で2年ぶりに駅伝に復帰し、31分56秒で2区区間6位。「設定としては31分50秒で区間5位と思っていたので、あと6秒、あと1人足りませんでした。5位の選手が31分51秒だったので、設定は間違っていなかったし、それぐらいで走れる状態は作れたな、という手応えはありました。でもチームとしてはシードを逃したので、あまりいい思い出にはならなかったですね」。ここでも感じた手応えと悔しさ。そして最後の箱根駅伝はもうすぐだ。

自信を持って、仲間と最後の舞台へ

「1年のときとは違う、というのを感じています。あのときは緊張ばかりで、『こんな人達と走れるのかな』という思いがありましたが、今は『自分ならできるんじゃないか』と自信を持って走れます」。希望するのは往路、山以外の区間だ。「往路で区間3位以内で走って、チームに勢いをつけられたらなと思っています」。4年間本当にお世話になった前田監督にも、「恩返しの走りをしたい」という。

去年の強い4年生が抜けてから、「自分たちの代だけじゃなくて、チーム全員で強くならないと勝てない」と思って、下の学年との交流も積極的にするようになったという臼井。一方、同学年でなかなか駅伝メンバーに選ばれる選手がいなかったため、口うるさく言いたくはなかったが、どうしても他のメンバーに対して注意しないといけない立場にもなり、考える部分も多かった、と振り返る。

前田監督も臼井を「力を持っている、キーとなる選手」と期待をかける(撮影・藤井みさ)

「でも4年間地道にコツコツやってきた、力をつけてきた選手が結果を出せば、チームとしてもいい結果になると思います」。結果的に今回のメンバーには、臼井を含めた8人の4年生がエントリーされた。4年間ともに頑張ってきた同期のメンバー入りに、「めちゃくちゃ嬉しいです! 最後の最後で、一緒の目線で一緒のものを目指せるっていうのが。本当に楽しみです」。

そう笑顔で話す臼井からは、画面越しでも充実感が感じられた。苦しんだ末につかんだ仲間との舞台で、臼井はきっと輝きを見せてくれるだろう。

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