日体大・池田耀平 1年目の悔しさを胸に躍進、絶対的エースへとして最後の箱根駅伝へ
12月4日に行われた東京オリンピックの代表選考を兼ねた日本選手権。マラソンで東京オリンピックに内定している大迫傑(ナイキ)など、日本のトップランナーが数多く出場する10000mのレースに、日本体育大学の池田耀平(4年、島田)は挑んだ。
池田が出場した10000m2組目は、相澤晃(旭化成)が27分18秒75の日本新記録をたたき出して東京オリンピック内定をつかみ、伊藤達彦(ホンダ)や田村和希(住友電工)も日本新記録をマークするなど、超高速レースとなった。そんな中、池田は日体大記録更新となる27分58秒52をマーク。「27分台を目標としていたので素直にうれしい」と喜びを語った。
大学1年目は故障の連続「4年間で1番苦しかった」
日体大の絶対的エースと呼ばれる池田の大学4年間は、決して順風満帆なものではなかった。
池田は小学校3年から中学校3年まで野球を経験。陸上は中学2年生の時に出場した駅伝がきっかけで、高校1年生から始めた。入学当時は実力こそなかったが、継続的に練習をする中でみるみると力をつけていった。
高校3年生ではインターハイ1500mで5位入賞と結果を残したが、その一方で「インターハイで実力の差を知った。他の選手たちに勝てるようになりたい」と考え、大学での競技継続を決めた。そのインターハイでの活躍もあり、箱根駅伝の常連校とも言われる中央大学や大東文化大学の誘いもあった。だが高校の顧問が日体大出身で、将来は教員を志望していたこともあり、池田は日体大への入学を決めた。
ルーキーイヤーから活躍すると思われたが、入学した4月に右足のシンスプリントを発症し、その後も1年間で計4回の故障を経験した。池田にとってどん底とも言える、苦しい時間が続いた。池田は「4年間で1番苦しかった。走れない時間が続き、モチベーションがなくて正直やめたいと思うこともあった」と苦悩の日々を振り返る。
だが、諦めなかった。走らなくてもできることを考え、コツコツと補強やウエイトトレーニングを地道に続けた。完全によくなったのは、2年生になってから。池田は「2年生では1年目をもう一回やりなおす」と、ルーキーの気持ちを忘れずに再スタートを果たした。その気持ちをもち、池田は力をつけていった。
同じ地元の帝京大・小野寺と競い合いながら
そんな2年生の時には学生3大駅伝で全て1区に抜擢(ばってき)され、チームの主力として活躍した。3年生になってからは、5000mで13分台、10000mでは28分台に突入するなど、学生トップランナーのタイムをマーク。チームのエースとして着実に実績を重ねた。
池田には高校から切磋琢磨(せっさたくま)してきているライバルがいる。帝京大学のエース小野寺悠(4年、加藤学園)だ。池田と小野寺は同じ静岡県出身。小野寺は高校1年生の時から14分台をマークするなど、エースの選手として活躍していた。池田は「小野寺くんに勝つことが高校時代の目標」と話すように、ライバルとして戦ってきた。
池田は高校2年生の時まで小野寺に1回も勝てなかった。だが高校3年生で臨んだインターハイ東海地区予選の5000mで初めて勝った。大学でもその関係は続き、池田は「試合前には連絡をとっています。小野寺くんも負けたくないと意識してくれていて、いいライバル関係が築けています」と気持ちを語った。前回の箱根駅伝では、池田は小野寺と同じ1区に抜擢され、「勝ちたいと思っていいレースができた」と区間3位の大活躍を見せた。
池田には“勝負飯”がある。レース前に食べるミートソーススパゲティだ。前回の箱根駅伝前には寮の栄養士にお願いして作ってもらった。遠征しての試合前にもコンビニで買っている。「どっかの試合で食べたら結果が出たので意識している」と力になっているのだ。
また、前回の箱根駅伝後にはうれしい出来事があった。それは、アイドルグループ「日向坂46」の齊藤京子が会員制メッセージアプリにて、池田について書いてくれたことだ。池田は元々、「ビジュアルと歌唱力がいい」と齊藤京子を推していた。「すごくうれしかった。来年も今年以上に頑張って気づいてほしいです」と笑顔で明かしてくれた。
自粛期間中もエースとして、4年生として
箱根駅伝後も池田の好調は続いた。2月の丸亀ハーフで1時間01分36秒をマークし、日体大記録を更新。池田は「前半は日本記録ペースで突っこんでしまった。でもそこから粘りの走りができた」と大きな自信へとつなげた。
だが3月に入ると、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、数多くの試合が中止や延期となった。更に部活の練習や活動自体も制限され、厳しい状況が続く。この影響で池田は4月、地元・静岡に帰省した。感染対策予防をして、ひとりでの練習が始まった。「いつかみんなでまとまって練習できる日がくる。そのためにも、練習で引っ張っていける準備をしていた」とエースとしての自覚をもち、練習に取り組んでいた。また、チームではオンラインのミーティングを2週間に1回のペースで行い、コミュニケーションをとることも大切にしていた。
レースのない状況が続いたが、自粛期間中にホクレン・ディスタンスチャレンジの開催が決定した。そのこともモチベーションにして取り組んでいた。そして、自粛明け最初のレースとなった7月のホクレン千歳大会では、5000mで13分57秒82の自己ベストをマーク。5カ月ぶりのレースを「今の現状を確認することができた。レースを走れる喜びを感じた」と振り返った。
池田の快進撃は止まらない。10月の箱根駅伝予選会では日本人トップを狙い、積極的な走りを見せて日本人3位。日体大は6位に入り、73年連続本戦出場をつかんだ。11月1日の全日本大学駅伝でも2区区間3位と、安定感のある走りを見せている。11月14日の日体大記録会では、10000mで28分10秒57の自己ベストをマークし、「ペース走感覚でいいかたちで走れた」とまとめた走りを見せた。そして12月4日の日本選手権。「最後の1000mで電光掲示板を見た時に、25分17秒だった。ここで27分台出さないと後悔すると思って必死に頑張った」と、冒頭の通り、10000mで日体大記録更新する活躍を見せた。
最後の箱根では“花の2区”で日本人トップを
池田は「1年生の時は、走れなくて悔しい思いをした。その悔しさを糧に、コツコツと練習して成長してきた。学生最後の年は、エースとしての自覚をもって走れたから記録が出すことができている」と今季好調の要因を振り返った。同期に向けて、「故障が多くて弱い世代と言われてきた。でも自分もそうだけど、必死にやってきて力をつけてきた。今回は同期9人が箱根のメンバー入りを果たせたことは、ひとつとして成果が出せた。最後は目標であるシード権をとって、4年生みんなで笑顔で終わりたい」と思いを熱く語った。箱根駅伝で“花の2区”を希望しており、「日本人トップをとってチームのシード権に貢献したい」と意気込む。
1年生の時の悔しさを胸に、地道にコツコツと練習に取り組み力をつけてきた。最後の箱根路で4年間の思いをぶつけ、笑顔の襷(たすき)リレーを見られることに期待したい。