横浜DeNA1位指名・入江大生 明スポ学生記者が見た未来のハマの星
昨年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1位指名を受けた明治大学の入江大生投手。恵まれた体格から繰り出す153km/hの直球とキレのあるスライダーが持ち味だ。そんな彼を2年間にわたる番記者として取材してきた思いを込め、ここに残したい。
コロナ禍で迎えた運命の日
2020年10月26日、プロ野球ドラフト会議が開催された。例年、野球部の寮に設置される記者会見場には、部員たちの話し声や笑顔でとても賑やかで、温かい光景があった。しかし昨年のドラフト会議は、コロナ禍によって一変。新型コロナウイルス感染対策として初のリモート方式で行われた。仲間に囲まれることなく、この日の主人公・入江はひとり、中央の席に着いた。
「第一巡選択希望選手。横浜DeNA、入江大生」。寮に設置されたテレビから、主役の名が響く。報道陣が焚くフラッシュの中、入江は大きく息を吐いた。一番前の特等席に座らせてもらった私は、今にも爆発しそうな焦燥を覚えながら、カメラのレンズ越しにその瞬間を捉えた。
成長の春
野球は素人の私だが、新聞部の中で入江の番記者を任せてもらうことになった。19年の春季リーグ戦の前のことだった。
もともと入江とは、少しだけ縁があった。私の父が仕事の都合上、図らずも16年の侍ジャパンU-18代表の台湾遠征に帯同していたのだ。
当時高校3年生だった入江は、内野手として同遠征に参加。「(入江は)素人の俺に質問してくるほど、野球に熱心だった」。寺島成輝投手(現・東京ヤクルトスワローズ)、今井達也投手(現・埼玉西武ライオンズ)ら投手陣が目立つチームでも、父の中では印象に残った選手のひとりだったという。
この19年春、入江は一皮むけた。「優勝を目標に」。その宣言通り、春季リーグ優勝決定戦では初勝利をつかむと、秋には驚異の防御率0点台をマーク。
「納得のいくピッチングができなかった」と、結果に苦しんだ1、2年次から一転。ぐん、と反動のついた加速と共に、ここから一気にプロ野球界まで駆け上がることとなる。
「投手」へのこだわり
ドラフト会議後の記者会見にて「野球を始めた小学校3年生から、ずっとポジションはピッチャーでいきたいと思っていました」と語った。母・小夜里さんに小学生時代の入江について尋ねると「とにかく野球が大好き。早く4番を打ちたい、早くエースになりたいって。練習が終わって暗くなっても、最後までやっているくらい野球が好きでした」と振り返る。
投手の魅力は「次々打者が変わっていくのに対して、自分の投球がどこまで通用するか」。抑えたときの楽しさから、野球にハマり没頭した小・中学時代を経て、夢の大舞台・甲子園を目指し、作新学院高(栃木)に進学。しかし、高校3年次の全国高校選手権。作新学院高54年ぶり2度目となる優勝の瞬間、マウンドに立っていたのは入江ではなく、今井達也だった。
同年の春季大会では背番号「1」を背負うも、準々決勝で逆転負け。投手としての自信もなくなり、小針崇宏監督からも「バット握っとけ」という指示があった。
ここから「バッティングでチームに貢献することを決めていた」。決意通り、史上7人目となる3試合連続本塁打を放ち、全国制覇に貢献。強打者として、学生野球界にその名をとどろかした。それでも「どうしてもピッチャーとして花を咲かせたい」。投手への強いこだわりを胸に、明治大に進学した。
勝利の女神に愛される男
ドラフト直前に真価を発揮した。力みがちで思うような投球ができずにいた昨秋。迎えた法政大学1回戦では9回13奪三振と、起死回生の完封劇を披露。一気に評価を引き寄せた。これまでも「何かがかかった一戦で力を発揮してきた」。土壇場での快投は、一時の偶然ではない。
母校・作新学院高校野球部の小針監督と岩嶋敬一部長の懐に飛び込み、取材をしたことがある。そこで、小針監督は「入江はおっちょこちょいで面白い。大会でベースを踏み忘れてアウトになったり。チームは勝ったので笑い話なんですけど、そういう運や助けてくれるような人との出会いがある」「甲子園も一球一球の出会いがよかったんでしょうし、明治大学に行っても入江は人に恵まれていますよね」と語っていた。
岩嶋部長もこれには大きくうなづく。また母・小夜里さんも口をそろえ、さらには「やっぱりそうですよね、みんなそう言うと思います(笑)」。入江自身も「人や運に恵まれているところが最大の長所」と言う。
環境と習慣を大事にすること。日々当たり前のことをこなして、徳を積んでゆく。いざとなったときにその巡り合わせが助けてくれる。小針監督から得た教訓を、高校から日々積み重ねてきた。明治大でも私生活重視の指導の下、「人間力」を磨いてきた。「運も実力のうち」。それは人生の局面でも、決して自分を裏切らなかった。
しかし一方で、高校当時のエース・今井にあって入江になかったものを尋ねると「人を蹴落としてでも俺がスターになるんだっていう気持ちは、今井のほうがあったんでしょうね」と小針監督。岩嶋部長も「優しくていい奴なんだよ。ただピンチになったときに、その弱い面が出ないといいんだけど」と述べた。そこには入江を認めつつも、優しく仲間思いな性格を心配する恩師の姿があった。
横浜で輝く星に
昨秋、安定感が見違えるほど増していた。「明治の11番を背負うことで、やらなくちゃいけないという気持ちが強く芽生えた」。以前の闘志むき出しの投球に加え、気迫を出しつつも、ペースを乱さない落ち着いたマウンドさばきが光るようになった。
責任感が強まれば強まるほど、技術面にも影響。「人よりも多く、人よりも前へ」。恩師らの心配を吹き払うかのように、187cmの長身から投げ込むボールの威力は磨きがかかっていた。「でもまだまだこれから」。さらなる高みを目指すには、今のままでは終われない。
横浜でスター選手への道を歩む。プロ1年目の目標は10勝を挙げること。「ずっと背中を見てきた森下さん(暢仁、20年卒、現・広島東洋カープ)を、いつか越せるように」。すでに新人賞を獲得した先輩をもしのぐ選手へ。横浜スタジアムの照明に包まれる中、実力と人柄で、青色に染まったスタンドを魅了する姿が待ち遠しい。
以下、ドラフト会議後に作新学院時代の恩師が入江に宛てたコメントを記す。
入江大生君へ
横浜DeNAベイスターズからのドラフト1位指名おめでとうございます。ここからが本当の勝負だと思います。謙虚さを忘れず、周りの人々に愛されるプロ野球選手になれるよう、日々努力し続けてください。チームの勝利のためにマウンドで腕を振っている姿を楽しみにしています。応援しています。
作新学院硬式野球部監督 小針崇宏
入江大生君へ
横浜DeNAベイスターズからのドラフト1位指名おめでとうございます。誠に光栄で喜ばしいことです。小学、中学、高校でお世話になった方々や地元栃木県の野球ファンのみなさんの期待に応えられるような活躍を期待しています。
しかし、プロの世界は異次元であり、全くの別世界です。いくつもの高い壁を乗り越えていかなければなりません。作新で身につけた気合と根性を忘れず、明治大学で学んだ知識と人間力で競争を勝ち抜いてほしいと思います。そして、誰からも愛され「息の長い選手」「人々の記憶に残る選手」になることを願っています。
作新学院硬式野球部長 岩嶋敬一