陸上・駅伝

特集:第53回全日本大学駅伝

全日本大学駅伝から始まった皇學館大学駅伝競走部「地方の大学だからできること」

皇學館大は全日本大学駅伝に4年連続4回出場。昨年は17位だった(撮影・朝日新聞社)

皇學館大学駅伝競走部は2008年、地元・伊勢がゴールの全日本大学駅伝に出場するために創部された。11年からは日比勝俊さん(55)が監督に就任し、17年に初出場を果たしてから連続出場記録を伸ばしている。「当初は出場が目標だったのに、OBや大学、地域の方々の期待値は上がっていますし、学生たちもいろんな思いや覚悟をもって走っています。うちだからできることを日々考え、学生に向き合っています」と日比監督。そんな学生たちの力にしていきたいという思いから、スポーツギフティングサービス「Unlim」を開始した。

期待の新人・川瀬をあえて走らせない

今でこそ皇學館大は全日本大学駅伝の常連校だが、日比監督が就任したばかりのころは「間違いなく全日本を目指す気概のある雰囲気ではなかった」と言う。志のある選手がいても、その足を引っ張る選手もおり、ひとつの目標に向けて互いに高め合えるような状況ではなかった。いきなり大きく変えようとしても、学生たちの心は動かない。退部する学生もいたが、日比監督はリクルートにも力を入れながら、新陳代謝を繰り返した。

その結果は少しずつ現れた。14年の日本インカレ1500mで7位入賞を果たした若菜純一(当時4年)は元々、競歩の選手だった。皇學館大に入学した当初は「10000mを走らせたら、いつ終わるか分からないくらいだった」と日比監督は言うが、大学4年間で確実に力をつけた。それは若菜に限らず、ほぼ100%と言えるほど、選手たちには成長の兆しが見えた。

そして17年、近大高専(三重)3年生の時に5000mで14分23秒89をマークした川瀬翔矢(現・Honda)たちが入部した。その年は8人が入部し、8番目の選手も5000m15分14秒だった。例年、16分台の選手も多いだけに、チームの士気もぐっと高まった。しかし日比監督は早いタイミングで、6月の全日本大学駅伝東海地区選考会に川瀬を出さないと決めたという。

「川瀬が近大高専に入学してすぐの記録会で、私は初めて彼の走りを見たんですけど、『ひょろひょろだけど面白い子がいるな』と思ったんです。ただ波がある。暑くなっていく季節にはなかなか記録が伸びない。体が細いんです。偏食もありましたけど、圧倒的に量が少ない。だからまずは1500mから始めて体作りに取り組み、秋口に5000mを走れるようにしていけばいいかなと考えました。無理やり走らせて、彼に重荷を背負わせるのもよくないと思ったというのもあります」

川瀬は1年生の時、選考会は出なかったが本戦で1区を任され、区間9位と好走した(写真は去年の選考会より、撮影・朝日新聞社)

上級生の中には川瀬が入ったことで「これで選考会を戦える選手をひとり確保できた」という思いもあり、川瀬自身も選考会を走りたがっていたことを日比監督は感じていた。それでも上級生たちが力をつけ、新入生にも勢いのある選手がいたからこそ、「川瀬を走らせなくても選考会を通過できる」という自信が日比監督にはあったという。その思い通り、選手たちは選考会で力を発揮し、愛知工業大学に次ぐ2位で、初めての全日本大学駅伝出場をつかんだ。

「必ず全員に可能性がある」

全日本大学駅伝ではこれまで、17位、18位、19位、17位ときている。特に昨年は2区で川瀬が過去最多の17人抜きで区間賞を獲得し、全国的に皇學館大をアピールした。川瀬はロードだけでなくトラックでも結果を残しており、3種目の東海学生記録を樹立している(5000m/13分28秒70、10000m/28分10秒41、ハーフマラソン/1時間01分18秒)。大学長距離界では、力のある選手はこぞって関東の大学に進み、箱根駅伝を走っている。川瀬も関東に行きたいという気持ちはあったが、「それ以上に関東で戦うだけの自信を持てずにいたと思う」と日比監督は振り返る。「川瀬が青学や駒澤に行ったらどうなったんだろうと思うことはあります。でも箱根駅伝がない地方だからこそ、できることってあると思うんですよね」

関東の強豪校にとって箱根駅伝は大きな目標だ。1月2、3日に1区間20km級のレースで結果を出すために、多くの大学が1年間のスケジュールを組んでいる。もちろん日本選手権や日本インカレなど、トラックで結果を出すことも軸にしている選手はいるが、それはトップ選手に限られてしまう。「良い悪いの話ではなく、箱根駅伝がないからこそ、より柔軟に1年間のスケジュールが立てられますし、その選手の適性を見定め、一人ひとりにあったトレーニングができます」

「大学に入ってからの成長率ならうちは大学トップクラスじゃないかな」と日比監督(中央、撮影・松永早弥香)

もうひとつ、高校時代の持ちタイムで入部すら叶(かな)わない学生も多い。前述の通り、皇學館大に入部してくる選手の中には、5000mで16分台の選手も少なくない。だからこそ日比監督は「この子の何を伸ばし、何を生かせるか」を考える。「地方大学であるからこそ、そういったところは残さないといけないし、必然的に付き合っていかないといけない。全員に言っているのは『必ず全員に可能性がある』ということ。その可能性をどうやって追求するか。追求する姿勢、思いを持ってほしいです」

今年2月に行われたびわ湖毎日マラソンには4人出走し、4人ともサブ20(2時間20分切り)を達成した。そのひとりの宮城響は出雲駅伝も全日本大学駅伝も走っていない。地元・沖縄時代の先生たちは「宮城が5000m以上を走れるわけがない!」と口をそろえて驚いていたという。「うちには高校時代に悔しい思いをしていた選手たちもたくさんいます。コツコツと積み重ねて力をつけ、『俺もやれるんじゃないか』と変化していく。そんな仲間に刺激を受けて、続く選手がドンドン出てくる。いろんな選手にチャンスがあるのが今のチームだと思う」

5月の東海インカレ10000mで優勝した佐藤楓馬(2年、佐久長聖)は、高校時代の仲間を見返したいという思いを胸に、皇學館大に進んだひとり。前回の全日本大学駅伝では川瀬の後に続くキーマンとして3区を任されたが、かつてないほどの緊張感から思うように走れず、区間18位と苦しんだ。その経験を経て挑む2度目の伊勢路に期待したい。

今年5月の東海インカレで佐藤(先頭)は30分01秒40で優勝した(写真提供・皇學館大学駅伝競走部)

支援金が増えれば遠征・合宿を増やせる

川瀬をはじめ、力のある4年生が抜けてすぐ、全員でこれからのチームについて話し合った。昨年よりも下げた目標にするか、あえて上げるか。改めて自分たちを見つめてみると、飛び抜けて力のある選手がいるわけではない。それでも確実に選手の底上げができている。話し合いの結果、目標は去年と同じ東海3冠(東海インカレ長距離で最高得点、全日本大学駅伝東海地区予選会トップ、東海学生駅伝優勝)と、出雲駅伝と全日本大学駅伝では去年(12位と16位)よりも高い10位と12位を目標に掲げた。その最初の舞台となった東海インカレでは中長距離種目で全て入賞し、55点で最高得点。選手たちは自信を深め、6月13日の全日本大学駅伝東海地区予選会を見据えている。

学生たちは自ら目標を高め、一丸となって戦っている。しかしチームの支援体制は08年に創部した時からほぼ変わっていないという。普段は他の運動部と同じ寮に暮らしている。もっと高みを目指すのであれば、選手たちにあわせた食環境を整えたいと日比監督は言う。更に合宿や遠征も、支援金の中で回数を決めている。特に今年は新入生が22人と例年の倍。チーム内の競争力が高まることに期待する反面、学生に資金負担を強いることになる見通しだ。そうした支えになればという思いから、今回のスポーツギフティングサービスを決めた。

応援されることで、選手一人ひとりの「走る意義」を高めたい(写真提供・皇學館大学駅伝競走部)

「私が監督になってから、『人から応援されるアスリートになろう』と伝えてきました。まずは家族や友人、地域住民のみなさんに喜んでもらえるような、応援してもらえるようなアスリートになろう、と。その意識を普段の言葉や立ち居振る舞いでも表していけたらいいなと思っています。メディアで紹介されるようになれば、より多くの人々に自分たちの姿を見てもらえる。今回のことを通じて、選手たち一人ひとりが『これだけの人々に自分たちは応援されているんだ』『応援されているからこそ結果で応えていきたい』という意識になっていき、感謝を伝えられるようにしていけたらいいなと思っています」

地元・伊勢が舞台の全日本大学駅伝だからこそ、自分たちの姿で地元の人々を勇気づけたい。大学で力をつけてきた選手たちが、関東の強豪校に挑む。



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