陸上・駅伝

特集:第52回全日本大学駅伝

全日本大学駅伝初出場のびわこ学院大・吉岡幹裕監督「選択肢を増やし夢を広げたい」

レース序盤からびわこ学院大の選手たちは集団を形成。できるだけ前で走ろうという積極性が見られた(すべて撮影・藤井みさ)

9月17日に行われた全日本大学駅伝の関西地区第4代表選考会。8人の10000m合計タイムで競われたレースを勝ち抜いたのは、初出場のびわこ学院大学だった。全日本大学駅伝に出場する大学として、記念すべき100校目を飾ることになったびわこ学院大。どのようなチームなのか、吉岡幹裕監督(47)に話を聞いた。

最後まで崩れなかったびわこ学院大の選手たち

関西地区の選考会はまず10000mの8人の合計タイムで書類選考が行われ、1位の立命館大学、2位の関西学院大学、3位の京都産業大学が出場を確定。4位に関西大学、5位に大阪経済大学、6位にびわこ学院大学がつけたが、4位から6位の合計タイムの差はわずか14秒あまり。この3校に絞って選考会が開催されるという変則的な選考となった。通常は10~12名が走り8名の合計タイムという形が一般的だが、今回は感染拡大防止の観点から1チーム8名のみが走り、8名の合計タイムで競う形に。一人の遅れがチームに響くという緊張感があった。

当日は15時50分からレースが行われた。気温27度、湿度は70%を超え、時おり雨もパラつく蒸し暑い天気。トップでゴールしたびわこ学院大の湯川達矢(4年、日高)が「牽制しあったので必然的に譲り合った形になった」と振り返る通り、びわこ学院大の選手と関西大の選手が先頭を交代しつつ集団を形成しながらレースを進めた。

湯川(17番)と井上(21番)は積極的に先頭を引いた

湯川、びわこ学院大の井上亮真(3年、飾磨工業)や関西大の石森海晴(4年、報徳)が積極的に引き、8000mを過ぎたところで湯川がスパート。そのまま最後まで駆け抜け、初出場に大きく貢献した。関西大は石森が9000mすぎで脱水のような症状となり棄権。チームとしての記録は残らなかった。

創部5年目、練習を積み重ね目標を達成

びわこ学院大駅伝部は2016年創部。5年目にして全日本大学駅伝出場という目標に到達した。吉岡監督は昨年、全学年が揃った時点で「勝負できるかな」と感じていた。しかしにわかに注目が集まり、SNSで「びわこ学院大」の名前が取り上げられるようになると選手たちが浮足立ってしまったという。

「結局チームがうまく回らず、今年に課題を残してしまいました。1月の大阪ハーフマラソンからうまく走れて、(関西の出場枠が)4枠あるから狙いに行こうと。この3カ月ぐらいチームで走れなかったりとイレギュラーもありましたが、主力の4年生を中心に崩れなかったので、3、4年の積み重ねが力になったんだなとつくづく感じました」。コロナ禍の中、3月下旬から6月中旬まではほとんど全体練習ができなかった。しかしその中でも選手たちが自主的に「トラックレースが始まった時にしっかり対応できる体作りをしよう」と取り組んだ結果だった。

選手も施設もなにもないところからの出発

吉岡監督自身は高校時代に長距離に取り組んでいたが、部の指導方針と合わず退部。しかし走るのは好きなので続けていた。地元・奈良で友人が鴻ノ池スポーツクラブを立ち上げる際に、長距離のコーチとして参画。奈良県内の公立高校で指導者のいない部活や、中学生の指導などにあたってきた。高校の大会に行った際に、都大路の常連でもある滋賀学園高校の大川亨監督と縁ができ、系列校であるびわこ学院大で駅伝部の監督をやってみないか? と声がかかった。

吉岡幹裕監督は笑顔で取材に応えてくれた

奈良から滋賀へ。そもそもびわこ学院大はどこにあるのか? それも知らない状態から始まった。実際に行ってみると、何も準備されていなかった。初日に事務の人から言われたのは「来年駅伝部は何人入ってくるの?」。「こっちはまだ名刺もないのに! って思いましたよ。まさにゼロからのスタートでした」と笑って思い返す。

そこから2年目にはスポーツ推薦の制度を整え、主に関西の高校を中心に勧誘をして地道にチームを作ってきた。「自前のものは何もないんですよ。寮はレオパレスだし、食堂は大学近くの食堂のおばちゃんに無理を言って作ってもらってます。練習場所も市の施設を使ったりとか……まあ田舎なので、走る環境があるのはいいなと。でも不便なところでなかなか都会の子に振り向いてもらえなくて、最初はすごく大変でした」

うまくいかないことは山ほどあった。だが、全国、いや県レベルでも埋もれていた選手を勧誘し、地道に育成を続けた。「1、2年目の子たちが形をつくってくれたなと実感しています」。今回選考会でトップとなった湯川は、びわこ学院大が目指している選手像そのものだという。

トップでゴールし、チームメイトの走りを見守る湯川

「高校ではまったく無名でしたが、4年間かけて力をつけてきたと思います。うちはもとからすごい選手は入ってこない。4年かけて夢や目標を達成しよう、というのをチームカラーにしています。今年の4年生はそれを地でやってくれました。下級生にも見ておいてほしいですね」

「関東で強くなる」だけが全てじゃないと示したい

選手の勧誘をするようになって感じるのは、やはり箱根駅伝という存在の大きさだ。吉岡監督自身も「箱根駅伝を見るのは大好き」だといい、「そりゃ夢を描くと思いますよ」という。だが生き方や進路が多様化している中で、それだけがすべてではないと少しずつ発信していきたいという思いがある。

「選手たちが立命館や関西学院と戦えたりしてくれば、『あれ、この大学ってなんだろう?』って興味を持ってくれる学生や指導者も増えると思うんです。『強くなりたかったら関東に行く』じゃなくて、頑張ることで関西学連のレベルを上げていって、魅力的な地域になれば、夢の形をもっと描けると思うんです。その礎を作りたいですね」と熱く語る。

思わず「関東の強豪校に行ったら埋もれてしまうような選手が、ここに来れば大舞台(全日本)を走れるという可能性もあるわけですよね?」と聞いてみると「めちゃめちゃあります!」と返してくれた。「例えば5000m15分台の子でも、うちならちょっと頑張ったらレギュラーになれるよ、スピードがなかったらじっくり距離を踏めるよ、とかそういった話をします」。今の学生は、みんなそうやって勧誘してきたのだという。

このゴールにびわこ学院大は何位で飛び込んでくるだろうか(写真は昨年撮影)

今年卒業した1期生の今西洸斗(ひろと)は、実業団・JFEスチールに進んだ。大阪桐蔭高校出身の今西の同級生には、青山学院大に進んだ中村友哉(現・大阪ガス)がいた。中村は高校時代に5000m13分台の記録を持つ世代トップレベルのランナー。かたや今西は、吉岡監督が声をかけたときは15分台のランナーだった。

「それが4年経って、実業団という同じ舞台に残ってるんです。人生なんてわからない。長く続けていたらどこで芽が出るかわからないし、そういう子を増やしたいです」。そしてこうも続ける。「僕はスポーツは文化だと思ってるんで。見てもらってなんぼ、名前が上がってなんぼ。テレビを見て憧れて始める、それでいいと思うんです。夢のある環境で続けてほしいなって思いますよね」

目標の第一歩に手が届いたびわこ学院大。夢を広げて、陸上界にもっと多様性を増やしていきたいと奔走する吉岡監督と、ここから始まる第2章にも期待だ。

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