駒澤大・唐澤拓海が関東インカレ2種目で日本選手トップ 悔しさをバネに成長
駒澤大学の唐澤拓海(2年、花咲徳栄)は関東インカレで5000mと10000mの2種目にエントリーし、ともに全体の3位かつ日本選手トップの成績を残した。トラックシーズンに入ってから自己ベストを更新し続けていた唐澤だが、ここでもしっかりと実力を示す形になった。
ラストスパートで勝ちきった10000m
雨の中行われた初日の10000m。5月9日の日体大記録会5000mで13分15秒15をマークし、日本学生記録を塗り替えた東京国際大学のイェゴン・ヴィンセント(3年、チェビルベルク)がはじめから集団の先頭に立ち、その後ろに武蔵野学院大学のワンジク・チャールズ・カマウ(2年)、日本薬科大学のノア・キプリモ(3年)、創価大学のフィリップ・ムルワ(3年)が続いた。日本選手は創価大学の島津雄大(4年、若葉総合)、明治大学の鈴木聖人(4年、水城)、手嶋杏丞(4年、宮崎日大)と続く。唐澤は大八木弘明監督から、「力を温存して、余計な動きをしないように」「明治の2人は強いから、そこを意識して走れ」と言われていた。2人にぴったりとつく形で唐澤は走り続けた。
次第に留学生4人が1つの集団になり、第2集団の前に拓殖大学のジョセフ・ラジニ(3年)が出た。カマウが落ち、ヴィンセント、ムルワはそれぞれ単独走に。3位争いはラジニ、鈴木、手嶋、唐澤、國學院大學の藤木宏太(4年、北海道栄)の5人に絞られた。ラスト500mになってから、唐澤は一気にギアを変えてスパート。そのまま4人を置き去りにし、小さく手を広げてフィニッシュしたのちガッツポーズ。全体の3位、日本選手としてはトップでゴールした。
「タイムというよりは順位を気にして挑んだんですけど、最低でも日本人トップは箱根王者としてとらないといけないと思っていたので、素直に嬉しいです」。同日の朝にあったハーフマラソンで同級生の花尾恭輔(2年、鎮西学院)が2位、先輩の佃康平(4年、市立船橋)が7位、山野力(3年、宇部鴻城)が9位と活躍したことを触れられると「同級生の花尾だったり、先輩方がいい流れを作ってくれたので、緊張せずにレースに臨めました」と仲間の活躍が力になったことを明かした。
とはいえ、はじめは思っていたよりもペースが遅いことに焦りもしたという。「そこから明治の2人が(前に)出てくださったので、そこについていこうと。ラストスパートは自信があったので、失礼なんですけど(2人の)顔色をうかがっててきつそうだったし、自分の足も残っていたので『ここでいくしかない』と思いました」と勝負のポイントについて答えた。そして3日後の5000mに向けて「初めての大舞台で5000m、10000mの2種目を走れるのはすごく嬉しいし、期待に応えたい」と意欲を示した。
5000mでは同期の鈴木芽吹に先着
迎えた3日後の5000mは、1日目とは異なり日差しがきつく、強い風が吹きつけるコンディション。今回大八木監督から言われていたのは、「青学のルーキー(3人)には絶対負けちゃだめだぞ」だ。1000mをすぎてヴィンセントが飛び出すと、そのまま10000mのときと同様、独走状態に。唐澤は徐々に集団の中で前にポジションをあげていく。残り3周となったところで、キプリモ、唐澤、鈴木聖人の3人が抜け出した。キプリモが先行し、残り1周手前では後ろから追いついてきたラジニ、チームメートの鈴木芽吹(2年、佐久長聖)の4人での3位争いになった。
ラスト300mで唐澤はギアをあげ、他の選手を置き去りに。後ろから猛烈に追い上げてきた鈴木芽吹にわずかに先着し、小さくガッツポーズをしてゴールした。「最後400で切り替えようと思ってたけどなかなかあげられなくて。目の前に選手が何人かいて、『これを抜けばトップだ』という気持ちがあったから切り替えられました」と振り返った。
箱根駅伝に出られなかった悔しさを糧に
唐澤は3月27日の世田谷記録会で5000m13分40秒90をマークし、4月24日の日体大記録会10000mでは28分02秒52を出した。それぞれ自己ベストを大きく更新し、大八木監督からも「伸びている選手」として即答で名前が上がる存在になっていた。大八木監督からの期待を感じますか? と聞くと、「けっこういろいろ言われて……」と笑い、「でも、嬉しいです。期待されるのはプレッシャーにもなるけど、素直に嬉しいです」。10000mが終わったあとには「よくやった」と褒めてくれたという。
好調の要因をたずねると「やっぱり、箱根駅伝に出られなかったことが一番悔しかったです。2年生では誰にも負けないという気持ちで合宿もできたと思います」。唐澤は昨年、1年生ながら青柿響(聖望学園)、白鳥哲汰(埼玉栄)、鈴木芽吹、花尾とともに箱根駅伝の16人のエントリーメンバーに名を連ねたが、走ったのは白鳥(1区)、鈴木(5区)、花尾(7区)の3人だった。その悔しさを力に変えて、飛躍的に実力を伸ばしてきた。
2月は少しけががあったが、3月の走行距離は900kmを超えた。誰よりも距離を踏んだという自信がいまにつながってきていると話す。箱根駅伝後から意識的にスタミナの強化にも取り組み、スタミナがついたことで持ち味であるラストスパートを最大限に活かせるようになってきた。
鈴木芽吹に勝てて「少しだけ自信になった」
現状では、同学年の中では鈴木の力が抜きん出ている。鈴木は主将の田澤廉(3年、青森山田)とともに5月3日の日本選手権10000mに出場し、一時は先頭を走る積極的なレースを展開。伊藤達彦(Honda)、田澤に次ぐ3位に入り、27分41秒68のタイムを残した。唐澤はレースを寮のテレビで見ていた。
唐澤は10000mのレース後に「自分があそこにいたら2人についていけたかというと、無理だと思います。そこは差を感じたところでもあり、早く追いつきたいなと思います。でも学生トップの2人が同じチームにいるのは練習環境として素晴らしいと思っています」と話していた。5000mのレース後、鈴木選手に勝ちましたが……と話を向けると「ほんの少しですけど自信になりました」
年始の箱根駅伝では6区のリザーブだったという唐澤だが、来年箱根を走るとしたら往路の主要区間、特に3区を走りたいと答えた。駒澤の昨年の駅伝シーズンからのいい流れが続いていると感じさせる、唐澤の快進撃。まだまだチームは強くなっていきそうだ。