専修大・喜志永修斗、けがから帰ってきた司令塔は声とプレーで仲間を支える
左ひざに巻かれたサポーターは、まだ外れていない。しかし、専修大学のポイントガード・喜志永(きしなが)修斗(3年、豊浦)は実に楽しそうに、スプリングトーナメント(関東大学選手権、4月23日~7月11日)でコートを駆けた。「やっぱりバスケって楽しいなと思ったし、(1年生の時の)新人戦で準優勝したメンバーとまたプレーできてるのがめちゃくちゃうれしかったです」。復帰初戦で感じた思いを、喜志永はこのように話した。
初めての大きなけがでどん底まで落ちた
高校時代にU18日本代表入りし、大学でも1年生の時から出場機会を得ていた喜志永に、昨年11月、大きな転機が訪れた。スタメンとして起用され、司令塔としての躍進が期待されたオータムカップ(関東大学リーグ戦の代替大会)の練習で、左ひざが抜けたような感覚を覚えた。病院に行くと、前十字靭帯断裂という診断を受けた。初めての大きなけがだった。
筆者が知る喜志永は、いつも前向きで明るい青年だ。12月に別の取材で専修大を訪れた時も、松葉杖をつきながら「やっちゃいました」と笑っていた。しかし、改めて当時の思いを聞くと、「けがから松葉杖がとれる1カ月くらいは、バスケットのことを考えるのが嫌になるくらいまでどん底まで落ちました」という言葉が出た。「こんなにバスケットが好きで、勝つためにいろんなことをやってきたのに、なんでプレーできないんだろう。そもそもなんでバスケットをやってたんだろうって思うところまでいっちゃいました」。胸が詰まるような吐露だった。
そのような苦しい日々を助けたものとして、喜志永は2つのトピックを挙げた。
まずは、頼もしい先輩たちの存在だ。キング開(4年、アレセイア湘南)からは、診断を受けたその日に「お前が帰ってくるまで俺がやる。帰ってきたらまた一緒にやろう」とメッセージが届いた。山本翔太(4年、日大山形)からも「来年こそはお前と一緒に優勝する」と言葉があったという。「先輩たちにはけがで迷惑をかけたことへの申し訳なさしかなかったので、本当に大きな支えになりました」と喜志永は振り返る。
もう1つは、インカレ後の故郷・山口で過ごした日々。喜志永は豊浦高時代の恩師の要請で、数カ月にわたって後輩たちの練習に付き合った。「当時はジョギング程度しか体を動かせなかったので指導がメインでしたが、無邪気にバスケットを楽しんでいる高校生と過ごすのはすごくいいリフレッシュになったし、今後が楽しみな選手と話をすることで、自分自身の視野も広がりました。すごく密な時間を過ごせたと思います」
その他にも、アシスタントコーチとしてベンチ入りしたインカレで、佐々木優一ヘッドコーチの右腕として戦術理解を高めたり、これまでも故障がちだった左ひざに負担をかけない体の動かし方を身に付けたり……。復帰までの約8カ月間は、喜志永にとって苦しくも実りある時間だった。
「しゃべりながらバスケをしている」ような選手
完全復帰にはもう少し時間がかかる。喜志永は出場時間を制限しながら今大会を戦い、接触が起きそうなプレーにはほとんど加わっていない。それでもロスター中唯一、大学以前からポイントガードを務める喜志永がコートに入ると、専修大のオフェンスにはスッと一本の芯が通った。
特に印象的だったシーンがある。5位決定戦・大東文化大戦の第4クオーター。喜志永はインサイドに入り込んでいた寺澤大夢(4年、東海大諏訪)を大声でアウトサイドに呼び、ボールを渡した。「次、開さん!」。寺澤がキングにパスをすると、キングは目の前のスペースを見逃さず3Pシュートを打ち、それを決めた。鋭い突破や鮮やかなパスによらず、喜志永は声だけでチームの得点を演出したのだ。
バスケットボールは、レベルが上がれば上がるほど選手間のコミュニケーションが重要視される競技だが、喜志永のそれは際立ったものがある。マッチアップするポイントガードがセットプレーを指示したら、仲間たちにそれを伝えて注意喚起。ディフェンスリバウンドを奪えば、「ゴー!」と叫び、チームが得意とする速攻に持ち込む。「プレーしながら声を出す」というより「しゃべりながらバスケをしている」という表現がしっくりくる。
「ポイントガードって常日頃しゃべってないとコートを把握できないと思うので、ポイントとなるところは、細かく分かりやすい形で伝えようとしています。『ディフェンス(を頑張ろう)』みたいな抽象的なことは、誰でも言えるじゃないですか」。そう話す喜志永は、チームにおける自らの役割についても言葉を重ねた。
こみ上げる準優勝の悔しさ、今度こそ頂点へ
「専修は能力が高いと言われながらなかなか勝てていないチームなので、そういう選手たちの能力を生かせる存在が必要だと思うんです。4年生だと、開さんや野崎由之さん(4年、市立船橋)は爆発したら止められないし、寺澤さんは身体能力が高いし、翔太さんは3Pの精度が高いし、齋藤瑠偉さん(4年、羽黒)はブレイクでボールを持たせたらなんでもできちゃう。ただコントロールできる選手があまりいないので、僕はそういう選手たちの手綱を握って、要所要所で点を取りにいって……」
ここまで話した上で、「うーん、何て言うんですかね。難しいですけれど」と喜志永は笑った。これだけ話せるのであれば、その先の“難しい”部分にも程なくたどり着けるような気がする。
不本意なファールを犯してしまった選手を「OK!」と笑顔で迎える、シュートを決めた選手でなくアシストやリバウンドで貢献した選手をたたえるなど、細やかなフォローも光る。仲間を気持ちよくプレーさせるのも司令塔の仕事だととらえているからだ。
「新人戦で準優勝しましたけど、準優勝って悔しいんですよ。めちゃくちゃ。今回コートに立って、あの時の悔しさがまたこみ上げてきたので、先輩たちを泥臭く支えて、このチームで日本一を取りたいと改めて思いました」。そう話す喜志永は、豊かなコミュニケーションと深い思いやりをもって、今年こそチームを高みに連れて行く所存だ。