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特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

中京大中京・印出太一 主将として無敗で終えた夏、「勝てるキャッチャー」を目指して

昨年の甲子園交流試合、主将・捕手としてチームをまとめる印出(撮影・朝日新聞社)

中京大中京3年生のシーズンには、主将で4番・捕手としてチームの大黒柱を担った印出太一(早稲田大1年、中京大中京)。そのチームが始動した秋から一度も負けることなく、高校生活を終えた。スランプやコロナ禍による大会中止など、苦しい時期もあったが、揺らぐことのない自分の夢と強烈なキャプテンシーが、それらを乗り越えるパワーとなった。早稲田大の未来を託されたルーキーが、高校3年間を振り返る。

甲子園は「行かないといけない」場所

「甲子園に行って、プロ野球選手になる」
小学校で野球を始めた頃から、印出はその夢を持ち続け、毎日を過ごしてきた。東海中央ボーイズに所属した原中3年の夏には、ボーイズ日本代表の一員に選ばれ、アメリカでの世界少年野球大会優勝を果たしている。「甲子園は、高校野球をやるからには一度は行かないといけない場所」という思いが強かった。

「中学2年の秋という早い時期に、中京大中京の高橋(源一郎)監督が『うちでやらないか』と熱意をもって声をかけてくださったのと、2009年の夏に堂林翔太選手(現・広島)がいた中京が全国制覇した大会も印象深かった。家から15分で通える地元でもありますし、この伝統校で勝負したいと中京大中京に進むことにしました」

チームのレベルの高さや先輩たちの意識の高さを感じつつ、新たな環境で野球ができることで「ワクワクする気持ちもあった」。1年生の6月に行われた大阪桐蔭(大阪)との招待試合で3安打と、自らの存在をアピールした印出は、夏の大会から一塁手のポジションを担うようになる。しかし、満足いく成績を残すことができず、チームも西愛知大会ベスト8で敗退。「もっとできたな」と思ったと同時に、「夏は簡単じゃない」と痛感した。

高1の6月、大阪桐蔭との招待試合で早速大きくアピールした(撮影・朝日新聞社)

勝つことの難しさは、新チームとなった秋季大会でも感じさせられた。県大会の決勝で東邦に4-8。東海大会は、センバツ行きが懸かった準決勝で津田学園(三重)に2-13とコールド負けを喫した。「自分としてもチームとしても今ひとつでした。力はあるチームでしたが、最後に勝ち切れないという課題があって、それは結局、翌年の夏まで克服できなかった」と、甲子園は届きそうでなかなか届かなかった。

そうした中、印出は2年の春からは本職の捕手で試合に出始め、夏に正捕手の座をつかんだ。捕手には並々ならぬ思いを持っている。「自分はキャッチャーが好きですし、一番大事なポジションだと思っています。もちろん、ピッチャーあってのキャッチャーですが、キャッチャーあってのピッチャーでもある。キャッチャーがうまくコントロールして、ピッチャーが気持ちよく投げられるのが理想です。肩が強くて盗塁を刺せるとか、たくさん打てること以上に、0点で抑えて勝てるキャッチャーが良いキャッチャーだと思うので、それは当時から変わらず目指しています」

今年早稲田大学に入学。小宮山監督から次世代の中心選手と目されている(撮影・小野哲史)

打撃不振を乗り越え、神宮大会初優勝

印出には、これまでの野球人生で2度のターニングポイントがある。1回目は初めてのスランプに陥った中学2年の頃、チームの総監督から「このままそこそこの野球人生を過ごすのか、犠牲にするものは犠牲にしてでも野球に打ち込んで上を目指すのか」と厳しく言われ、ひたすら練習する癖がついたという。2度目は高校2年の夏。愛知大会準決勝で誉に敗れ、印出も4戦で打率.083と、大会を通じて不振に終わった。

「先輩にも申し訳ないし、自分自身もどん底だった。悔しいを通り越して、どうしたらいいかわからなくなりました。これからキャプテンとして新チームも始まるのに、やっていけるのかという不安ばかりでした。でも、諦めたくはないし、甲子園に出て勝ちたいという思いが、自分を立ち直らせてくれました」

気持ちを奮い立たせるだけではなく、実際に行動にも移した。「調子が悪いと一括りにしてはダメだと思っていろいろ研究し、フォームどうこうというより体の面が負けている、パワーが足りないと感じました。そこから個人的にパーソナルのジムに通うようになり、体重も増やしてスピードも求めながら取り組んだ」ことで、秋から調子がぐんぐん上がっていく。

4番を任された県大会は、5試合で打率.579と大活躍。決勝の愛工大名電戦では本塁打を放ち、チームを11年ぶりの優勝に導いた。東海大会でも津商(三重)、藤枝明誠(静岡)、県岐阜商(岐阜)を下し、頂点に立っている。ただ、印出は「センバツ行きを決められたので、もちろんうれしかった」と話したものの、チームはここで満足しなかった。チームが立ち上がった時から「神宮大会優勝」を目標に掲げてきたからだ。

神宮では、8-0で明徳義塾(高知)に快勝した初戦の後、天理(奈良)との準決勝が、「自分の野球人生の中でも1番か2番くらいに印象深い試合」となった。序盤から先行される展開を強いられ、6回終了時点で4-8。8回に一挙に逆転に成功するも、9回に追いつかれたが、その裏に1点をもぎ取ってサヨナラ勝ちにつなげた。

優勝への執念を捨てず、神宮大会初優勝を引き寄せた(撮影・朝日新聞社)

「周りから見れば、ずっと負けムードの内容でしたが、自分たちはずっとベンチで『負けてないぞ』と言い続けていました。あのチームの執念が凝縮された試合だったと思います」
勢いを増した中京大中京は、決勝で健大高崎(群馬)を4-3で破り、神宮大会初優勝に輝いた。

「無敗」をテーマにやりきった高校野球

大きなモチベーションで冬季練習にも取り組めた中京大中京ナインだったが、コロナ禍でセンバツ甲子園の中止が決定。その報を印出は、ジムでトレーニング中にテレビのニュース速報で知った。チーム内ではネガティブな意見を口にする者が少なくなく、練習の雰囲気も良いとは言えなかったが、「自分が折れたらチームは終わる」と印出は歯を食いしばって踏ん張った。ところが、自粛期間が明けると、今度は夏の甲子園も中止が決まり、状況は厳しくなるばかりだった。

「自分も含め、何か目標がないと気持ちが切れてしまうと考えた時、去年の夏を最後に俺たちは負けていない。だったら甲子園交流試合を俺たちの引退試合と決めて、そこまで負けずに終わろう、と提案したら、みんなの反応が良くて、『無敗』が新たなテーマになりました」

甲子園交流試合の抽選後、笑顔で撮影に応じた印出(中央)と高橋(左、現中日)、中山(現巨人、撮影・朝日新聞社)

大きな紙に「無敗」と書いてグラウンドに掲げ、取材を受ける時も「無敗」を強調した。負けは許されないから、練習にも自然と熱が入った。印出が8戦で打率.500をマークした県の独自大会は着実に勝ち上がり、決勝では愛産大工を1-0で振り切った。続く交流試合でも智辯学園(奈良)に延長10回タイブレークの末にサヨナラ勝ち。エースの高橋宏斗(現・中日)らとともに、新チーム発足以降28連勝で高校生活を締めくくった。

「甲子園のグラウンドに立った時は鳥肌が立ちました。練習もなく、すぐに試合だったので、感慨に耽(ふけ)っている時間はありませんでしたが、試合中に甲子園の雰囲気を噛(か)みしめながら、楽しんでプレーできました。普通に大会が行われていたらどうだったろうとも思いましたが、僕自身は自分たちらしく終えられたので、そこに悔いはありません」

ルーキーながら大きな期待を受ける

今年度からは早稲田大に進み、また1つ上のステージでのチャレンジが始まっている。小宮山悟監督は、明治神宮大会で優勝した時に印出を知り、「負けないまま高校生活を終えるのは、なかなかできることではないですし、彼のキャプテンシーは中京の高橋監督が絶賛していました」と話す。体の線の細さや大学野球における捕手としての経験の少なさといった課題はあるものの、「今年度の4年生正捕手が卒業した後、順当ならば来年からは印出でいきたい」とルーキーに大きな期待を寄せる。

早稲田でも「勝てるキャッチャー」となってチームを引っ張るつもりだ(撮影・小野哲史)

大学では六大学野球のリーグ戦や全日本大学野球選手権もあるが、印出が強く意識しているのは、高校時代に続いて、明治神宮大会で優勝すること。投手陣やチームメイトから信頼される〝勝てるキャッチャー〟となって、名門ワセダを引っ張っていくつもりだ。

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