國學院大・鈴木彩生、自分のためにアルペンとクロスカントリーの二刀流
大学2年生になった鈴木彩生(西武文理)は、決して多くない関東育ちのスキーヤーだ。スキー好きの両親に連れられて滑り方を覚え、小学1年生から競技を始めた。週末や休みに長野のスキー場に通い腕を磨いてきた。雪とあまり縁がなく、恵まれた環境ではなかったことが、逆に一人で行動する力を身につける助けになったという。
自分で考えることを鍛えられた
鈴木は東京都で生まれ、高校は埼玉へ通った。都会の学校は当然、スキーに特別な理解があるわけではなかった。「モチベーションの維持が難しかった」と振り返る。高校では、一人で早めに登校し、ランニングなどの朝練をこなしてきた。練習パートナーはいなかった。仲間から食事などに誘われると、「これからジムへ行くから」と断ることもあった。そうやって自分で考え実行することに慣れていたため、國學院大學へ進んで寮生活を始めても、苦になることはなかった。
コロナ禍で入学以来、オンライン授業が続く。2年になり対面授業も再開されたが、鈴木がとる授業は原則オンラインで、入学してからまだキャンパスで授業を受けたことがないという。「すごく残念。やる気が出ないこともあった」そうだが、前期の授業を終えた。休みに入り、体力作りなど夏場のトレーニングに励んでいる。
行き詰まった「誰かのために」
アルペンスキーしかやったことがなかった鈴木は、大学1年目にノルディックのクロスカントリーとジャンプに初めて挑戦した。「どうすれば自分が部に貢献できるのかを考えた」からだった。アルペンが本職ではあるが、ノルディック部門での戦力が増えれば、団体戦での得点にもつながる。
昨夏に初めてローラースキーを使ってクロカンの練習をしてみた。インラインスケートの競技経験があり、スムーズに対応できて自信を深めた。しかし、雪上ではクロカン用のスキー板にはエッジがないこともあり、下り坂の操作法が難しかった。シーズン中は転倒の不安と戦いながら10kmのレースにも出場した。初めて体験する競技自体は面白かったが、結果には満足感は得られなかった。「誰かのためにと思ってやると、競技を行う本質を失ってしまう。結局、アルペンスキーの方も中途半端になって」。腰痛も重なり、不本意な1年目だった。
中学校で教わったことだったか。頭の隅に引っかかっていたアダム・スミスが国富論でとなえた言葉「神の見えざる手」のことを思い出した。「詳しいわけではないですが、『自己利益の追求が翻って社会全体の利益につながる』ということだったと思う。当時は理解できなかった。周りの人のために何かをやることが、ずっと社会のためになると思ってきたから」
シンプルに貫き通す
昨シーズンの経験から考え方を変えた。クロスカントリーへの挑戦は誰のためでもなく、自分のためだと。「部のためとか得点を稼ぐためと考えていたが、そう考えれば考えるほどプレッシャーを感じ、また、周りの期待に応えられるほど結果も残せなかった。それでは、モチベーションは続かない」。クロスカントリーは体力的にもきついが、アルペンにはない魅力を感じた。一方でジャンプは最後まで恐怖心を拭えなかった。「シンプルに自分がやりたい種目に挑戦する。クロカンはあくまでもメインではなく、アルペンにつながるものを見つけられればいい。その副産物として得点を稼げたら、部にも貢献できる」競技力やキャリアの向上に役立ちそうなマイナビの講座があるのを知って受けているのも、自分が興味を持ち面白いからだった。「国富論」を持ち出すまでもなく、コロナ禍で先行きが不透明な時期だからこそ、シンプルな考えで2シーズン目に挑む。