早稲田大・太田直希、27分台直後の箱根で残した悔い ラストイヤーこそは駅伝三冠を
太田直希(早稲田大4年、浜松日体)は昨年12月4日の日本選手権10000mで27分55秒59をマークし、その翌月にあった今年1月2日の箱根駅伝2区では区間13位と苦しんだ。「あのレースが一番大きいです。トラックと駅伝では必要な要素が全く違います。どちらにピーキングを合わせるのが正解だったのか、今でも分かりません」。太田が27分台をマークしたことでチームの士気は高まったが、太田自身は箱根駅伝で思うような走りができなかった。その経験もラストイヤーの大きな糧になっている。
高3で初の都大路、高校で人としても成長
両親に続き姉も兄も長距離をしていた影響で、太田は中学校進学を機に陸上部で長距離を始めた。仲間と一緒に走るのが素直に楽しく、中3の時には3000mで全中に出場。高校は2つ上の兄・智樹(現・トヨタ自動車)の後を追って地元・浜松の強豪校である浜松日体高校に進学した。その後、太田は大学も兄と同じ道を進むが、中学生の時に感じていた兄弟の気恥ずかしさには次第に慣れていったという。
高校では「トラックではインターハイ、駅伝では都大路(全国高校駅伝)」を目指して競技を続け、高3の時には5000mでインターハイに出場。14分32秒22のタイムで予選1組8着、あと一歩で決勝進出を逃し、「全中の時とは違って決勝を逃した悔しさの方が大きかった」と振り返る。
その一方で高3の時に静岡代表として都大路に出場し、太田は1区を任された。「とにかくチームの流れを作ろう」という強い気持ちでスタートラインに立ち、第2集団の中で冷静にレースを進めた。最後は7位で襷(たすき)をつなぎ、チームは6位をつかんだ。「入賞を目指していた中での6位だったので、結果には満足しています」と太田は言う。ちなみにこの時の1区区間賞は後に同期となる中谷雄飛(早稲田大4年、佐久長聖)、区間2位は後に後輩となる井川龍人(早稲田大3年、九州学院)だった。
高校時代を振り返ると、太田は競技力だけでなく人としても成長できたと感じている。「挨拶などの礼儀もそうですし、日々の練習ではその目的を考え、試合ではその結果から何が足りなかったのかを自分で考えていました。そうした積み重ねが成長につながったのかなと思っています」。また親から文武両道を常日頃から言われていたこともあり、太田は競技だけでなく勉強にも力を注ぎ、大学は「兄が行ったからというのはあるけど、スポーツも勉強もトップクラスだから」という理由で早稲田大学を選んだ。
ルーキーで学生3大駅伝全てを経験
早稲田大に入学し、太田はルーキーながら学生3大駅伝全てを経験している。ただその1年目を「無難というレベルよりも下で終わった」と振り返る。
出雲駅伝では5区区間7位、全日本大学駅伝では4区区間10位で「(区間賞だった)塩尻さん(和也、当時順天堂大4年、現富士通)にあっという間に抜かされた」という印象が強く残っている。特に箱根駅伝は前年度に総合3位だっただけに、総合12位の結果はショックなものだった。「兄が2区を走ったんですけど、けが明けの準備不足な状態で、それでも2区を走らないといけない状況でした。自分は8区を走ったんですけど全然良くなくて(区間10位)、何もチームに貢献できませんでした」
2年目の2019年は箱根駅伝予選会の翌週に全日本大学駅伝があるという過密スケジュールだったが、チームは「予選会トップ通過で箱根駅伝3位以上が見えてくる」と考え、トップ通過を目指して予選会に挑んだ。しかし結果は9位。ギリギリでの本戦出場に危機感を感じ、当時の4年生が中心になってチームを変えるために動き、何度もミーティングを重ねた。「『今のこの意識で戦っても意味がない!』という強い言葉も交えて話し合い、自分もこのままじゃダメだという気持ちが高まりました」。迎えた全日本大学駅伝で太田は5区区間5位、チームは6位と意地を見せた。続く箱根駅伝で太田は8区を任され、区間4位。チームは総合7位となり、全日本大学駅伝に続いて箱根駅伝でもシード権を獲得した。
コロナ禍、体を作ってからのシーズンイン
昨シーズンは新型コロナウイルスが猛威を振るい、様々な大会が中止・延期になった。早稲田大は春に2カ月ほど寮を閉鎖し、各自帰省して個別での練習となった。次のレースがいつになるか見えない中ではあったが、太田は今はじっくり体を作る期間だと切り替え、気持ちを切らすことなく練習を継続した。その結果が全日本大学駅伝での4区区間2位(区間新記録)での快走につながった。「相楽(豊)監督には『3区の中谷と4区の太田で流れをもっていく』と言われていて、中谷がトップで持ってきてくれたから、その流れをつなぐという思いで走りました」。早稲田大は6区で首位を明け渡し、5位でフィニッシュ。「自分が区間賞をとれていたら」という思いが太田にはあった。
そして前述の通り、12月4日の日本選手権10000mで27分55秒59をマーク。「自分でもまさか27分台が出せるとは思っていなかった」と太田は言うが、コロナが明けてからシーズン通して好記録をマークできていたことが少しずつ自信になり、それが走りにも現れたのではと感じている。
ただその日本選手権を終え、約1カ月で箱根駅伝に照準を合わせる難しさを痛感。「箱根に向けて各大学のエースがしっかりと仕上げているんだから、自分ももっとやらないといけない。高いレベルで結果を出し続けないといけないと思いました」。箱根駅伝で早稲田大は往路を11位で終え、復路で追い上げての総合6位、復路では4位だった。
準備不足で苦しんだ前半シーズン、夏が勝負
ラストイヤーを前して、チームは「学生駅伝三冠」という目標を掲げたが、太田自身は思うような走りができない日々が続き、自信を失いかけていた。ワールドユニバーシティゲームズ(旧ユニバーシアード)代表がかかっていた3月の学生ハーフマラソンでは16位に終わった。1時間3分48秒と自己ベストではあったが、「先頭集団に食らいついていかないといけなかったのに、いい走りができなかった」と振り返る。4月の日本学連10000m記録会では28分53秒07。同じレースで後輩の井川が27分59秒74とチーム内3人目の27分台をマークし、「学生トップの走りを見せてくれて、すごく心強い後輩だな」と感じた。
5月の関東インカレ10000mでは28分47秒39と、27分台の記録を持つ太田からすると苦しいレースが続いているが、「全部準備不足のままレースに臨んでしまった」と課題は見えている。だからこそ今年の夏は距離を踏んで貯めを作る。走行距離を増やすだけでなく1回の練習に20km以上を走るメニューも加え、午前練習がオフの日も補強を入れる。スタミナとともにスピードをつけ、出雲駅伝から全ての駅伝で区間賞を狙い、チームを勢いづける走りを目指す。特に全日本大学駅伝は前回、4区区間2位で区間賞を逃しているが、「特にこだわりはなく、任された区間で」と言い、チームの勝利を第一にしている。
太田の同期には東京オリンピック男子400mHセミファイナリストの山内大夢(ひろむ、早稲田大4年、会津)がいる。また浜松日体時代の1つ上の先輩には男子競歩20km銀メダリストの池田向希(旭化成)もいる。身近な存在だった人たちが大舞台で活躍する姿に刺激を受け、「いつかは自分も」という思いが膨らんだ。特にこの男子マラソンが引退レースと公言して挑んだ大迫傑(Nike)の走りからは目が離せなかった。「大迫さんは次の若い世代とおっしゃっていて、僕らの世代、もっと若い世代が(オリンピックで)メダル争いに絡んでいかなければと思いました」
そのためにも今やらなければいけないことを全うする。学生駅伝三冠。目標はぶれない。