驚異的市民ランナーチームGRlab 代表・外村翼さんのランニング人生!
今回の「M高史の陸上まるかじり」は外村翼(ほかむらつばさ)さん(32)のお話です。清風高校では主将を務め全国高校駅伝に出場。日本大学では4年間競技者として走り続けてきました。大学卒業後は、いま注目の市民ランナーチーム・GRlab(ジーアールラボ)の代表をされています。関西、関東を中心に約140名が在籍。また、アマガサキタイムトライアルの運営、市民ランナー高速化プロジェクトの活動も行っています。
有森裕子さんに憧れて
大阪府出身の外村翼さん。まだ幼稚園の年長だったころ、1996年のアトランタ五輪を家族でテレビ観戦していた時のこと。「有森裕子さんが女子マラソンで銅メダルを獲得されたんです。有森さんの感動的なインタビューを見て胸に響くものがありました。当時おままごとが好きでインドアな子供だったのですが、必死に頑張って涙を流されている姿に心を打たれました」。そこから外村さんのランニング人生がスタートしました。
「父が市民ランナーで、小学校の6年間で約100回くらい大会にも出場していました。ただ当時は人と競り合うのに興味がなく、沿道に手を振って走っていました(笑)。闘争心がない子供でしたね」と個性的だった外村少年(笑)。
一番の思い出は小学2年生の時のこと。「有森裕子さんがゲストの大会に参加したのですが、帰り道にたまたま有森さんにお会いしたんです! 父が『この子は有森さんのおかげで走り始めて』とお伝えしたところ有森さんが『私よりも凄いね』と褒めてくださったのが嬉しかったですね!」。憧れの有森さんからの言葉は今でも鮮明に残っているそうです。
中学でも陸上部に。最初は3000mで12分かかっていたそうですが「走るのが好きで部活が終わってからもずっと走っていたところ、2年生の時に市大会で上位に入って、記録が伸びる面白みを感じました」。タイムも3000m9分43秒まで伸ばしました。
清風高校では主将、都大路にも出場
高校は強豪・清風高校へ。入学当初は基本となる12kmJOGでも最初ついていくのが大変だったそうです。「流しですら速くて離されそうになり、流しなのに先輩に背中を押されていましたね(笑)。全然通用しないまま終わるのかも当初は思っていましたね」。そこから外村さんは「3年間しかないですし、走るのは好きなので、とりあえず走ろうと(笑)」。気持ちを切り替えて、とにかく走る作戦に出ました。
「当時の清風高校は午後練習がメインで、朝はそこまでやっていませんでした。そこで朝練も午後練と同じくらい走り込んだんです」。その結果、2年生の秋には5000mで15分02秒まで伸ばすことができました。2年生の都大路ではアンカーを務めました。「夢のような時間でした。これは自分なのか!と思いましたね」とふりかえります。
3年生になると主将に。「キツく言うタイプではないので、まずは自分が競技に取り組むことと、チームとして1つの方向を向くことが大事と思って『都大路で2時間08分以内で10番台を目指す』という目標を毎日言い続けたんです。最初はみんな厳しいだろうという感じだったと思いますが、それでも毎日言い続けました」。言葉で毎日伝え続けるとともに、紙でも配布して視覚的にも目標を共有し続けました。
迎えた都大路ではチームとして9年ぶりの10番台となる16位。タイムは目標に12秒ほど足りなかったそうですが、持ちタイムでは30位番前後からの躍進。外村さんも6区6位と、主将としての走りを全うしました。「みんなに感謝の高校3年間でしたね」。毎日が濃かったという高校時代を過ごされました。
競技の難しさを知った日本大学での4年間
高校卒業後は日本大学へ。大学1年時からBチーム内ではハーフマラソンで上位となり「このままいったら2年生で箱根も行けるだろうと油断していました。井の中の蛙でしたね。競技の難しさ、自己管理の難しさも感じました。自分の意志がより競技にかえってくることを知りました」と順調にはいきませんでした。
「3年生になって、マラソン選手を何人も育てた監督に代わったことと、僕自身長い距離の方が適性があったのでフルマラソンのタイムを出して、箱根を狙おうと決意しました」。2月のフルマラソンにエントリーし、夏場は一人で月間1000km以上走り込むも、1週間前に疲労骨折が判明し、まさかのDNS。「今ふりかえると反省点ばかりです。今の方が自分の体のことを考えていますね(笑)」といいます。
4年生の時はBチームの寮の寮長も務めました。駅伝メンバーに絡むことはできなかったものの「4年間で走り込んだ総距離だけは誰にも負けていないです。それが今のウルトラマラソンの下地になっている気がしますね。また、厳しかった寮生活の経験は今につながっています」。と4年間陸上に捧げた大学生活でした。
驚異的!GRlabの躍進
大学卒業後、社会人として働きながら、高校時代の仲間とGRlabを立ち上げました。「最初は人数も少なくて、大阪城公園に行って名刺を配っていました(笑)」。2012年に立ち上げて、最初は2〜3人からスタートしたものの現在は140名が在籍するまでに成長。20〜30代が多いそうですが、幅広い年齢層のランナーさんが在籍しています。
代表をしていて「大前提として楽しみながらモチベーションが高まるように」「GRlabのユニホームを着たら気持ちが引き締まるチームに」と言ったことを意識しているそうです。
「ランキングを作成したり、周りの選手の活躍を常に共有していますね」とメンバーのモチベーションを刺激する取り組みも行っています。
中でも特筆すべきは兼重志帆さん(旧姓:里中さん)。高校時代は400m、800mの選手で、インターハイには4×400mリレー、800mに出場。大学では競技から離れ、社会人になってから再び走り始めて、GRlabに入る前は5000mも17分台でした。同じGRlab内で結婚し、夫・兼重優介さんがコーチとなり、そこから走るたびにベストを更新。5000m15分39秒63、マラソン2時間28分51秒まで記録を更新し、今年の日本選手権5000mでは12位。Denka Athletics Challenge Cup 2021 女子10000mでは優勝も飾るなど、実業団選手顔負けの快走が続きます。
「兼重さんの良いところは楽しみながら続けているところですよね」と語る外村さんですが、外村さんの「楽しもう」というのが精神が皆さんにも伝わっているのかもしれないですね!
クリック合戦!大人気アマガサキタイムトライアル
GRlab代表の肩書きの他に、アマガサキタイムトライアル(通称・ATT)の運営・リーダーもしている外村さん。
「元々、ハナミズキ記録会(アマガサキタイムトライアルの前身)には中学の時から出場していました。参加費500円、ワンコインで走れる記録会がずっと続いていました。市民ランナーになってからも出ていたところ、スタッフの高齢化により廃止すると知ったんです!」
そこで外村さんは運営されてきたスタッフの方に声をかけました。「『僕らが引き継ぐので教えていただけないですか?』とお伝えしたところ『ぜひやってください』とお返事いただきました!」 こうしてハナミズキ記録会が名称を変えてアマガサキタイムトライアルとして存続が決まりました。
「昔からホクレン・ディスタンスチャレンジやゴールデンゲームズinのべおかのようなレースを市民ランナー向けにできたらと思っていました。さらに関東で開催しているオトナのタイムトライアル(OTT)を見て、こういう記録会をやりたいと思いましたね」。外村さんの熱意と行動力、楽しもうとする姿勢が魅力や共感を生み、大人気トラックレースへと進化を遂げていきました。
あまりの人気ぶりに、エントリー募集開始時刻とともに応募が殺到。市民ランナーさんにはおなじみのワードである「クリック合戦」に。なんとランニングイベントエントリーのサイトがサーバーダウンするほどの熱気です!
「ワンコインで最高の1日を」をキャッチフレーズに、当初と変わらず参加費は500円。来年3月に予定している100回記念大会は、なんと長居陸上競技場(ヤンマースタジアム長居)を貸し切っての開催が決まっています!
市民ランナー高速化プロジェクトも!
GRlab、アマガサキタイムトライアルに加えて「市民ランナー高速化プロジェクト」にも携わっています。
外村さんは大学卒業後、仕事をフルタイムでこなしながらGRlab代表、アマガサキタイムトライアル運営するなど精力的に活動していますが、2018年に転職して現在の勤務先である大阪経済大学の職員となりました。
その1年後に北京五輪代表の竹澤健介さんが駅伝ヘッドコーチに就任することになったのです。「以前、ATTにも来ていただいたことがあり、面識はあったのですが、びっくりしましたね(笑)」
大阪経済大学で教員をしている短距離の九鬼靖太さん、長距離の竹澤健介さんというスペシャリストに外村さんも加わり「市民ランナー高速化プロジェクト」がスタートしました。「長距離の竹澤さん、短距離の九鬼さん、お二人とも知識も経験もとてつもないので、それぞれの強みを活かして、市民ランナーの方に落とし込んでいくプロジェクトですね」。イベント開催やコロナ禍でのオンラインイベントなど精力的に活動しています。
本業である大学職員をしながらGRlab代表、アマガサキタイムトライアル運営リーダー、市民ランナー高速化プロジェクトといったい何足のワラジを履くのかというほど行動力あふれる外村さんですが、1人のランナーとしてもある目標に挑んでいます。
「同じシーズンで『5000m14分台』と『24時間走の250km走破』を達成したいです。どちらか1つを達成している人は多いですが、同一シーズンに両方達成している人は見たことがないので現状打破したいですね!」。トラックの5000mから24時間走という超ウルトラマラソンまで挑む外村さんのモチベーション、それは「いろんな人に希望をと言ったら大袈裟ですけど(笑)、かっこよさより面白さですね。あとはGRlabでも掲げている「驚異的」ですね!僕自身ができていないとカッコ悪いなと(笑)」
小学校で走るのが好きだった外村少年は、大人になってからも大好きなかけっこを通じて、ランニングの輪を広げ、人生というロードを走り続けています!