順大・原田凌輔、けがを乗り越え1500m初V、これからも後輩に背中を見せる
第90回日本学生陸上競技対校選手権大会 男子1500m決勝
9月17日@熊谷スポーツ文化公園陸上競技場
1位 原田凌輔(順天堂大4年) 3分43秒00
2位 山田俊輝(中央大2年) 3分44秒34
3位 高橋佑輔(北海道大4年) 3分45秒28
原田凌輔(順天堂大4年、専大松戸)にとって、日本インカレは順天堂大学で1500mを走る最後のレースだった。昨年の日本インカレは前日に肉離れを起こして欠場。今年は「自分も戦える」という自信をもってスタートラインに立ち、予選に続き決勝でも自己ベストを更新し、初優勝をつかんだ。
「直感」でスパート
レースは小島優作(順天堂大4年、仙台育英)を先頭に、その後ろに中央大学ルーキーの中野倫希(豊川)、少し離れて飯澤千翔(東海大3年、山梨学院)そして原田という順で進み、1周58秒ペースで通過。2周目も小島は同じペースで推し進め、伊澤を抜いて3番手に上がった原田と前の2人との差が開く。
ラスト1周を前にして、原田はスパートをかけて一気に2人を抜き去り、トップに出た。山田俊輝(中央大2年、市立橘)と高橋佑輔(北海道大4年、兵庫)もスパートをかけて2番手についたが、原田は最後まで逃げ切り、両手の人さし指で「1」を空に突き刺してゴール。9位に入った小島は笑顔で原田に握手を求め、原田も笑顔で小島の手を引き寄せた。
原田はレース後、「小島の強さはハイペースの回しなんですけど、自分はラストに自信があってラスト勝負だったら勝てると思っていたので、落ち着いて走ることができました」とコメント。スパートをかけるタイミングは特に決めておらず、原田は「直感」で勝負に出たという。後続ランナーの様子を大型ビジョン越しにうかがい、自分の後ろに選手がついていないのを確認。「今ならいけるかも」とペースを上げて揺さぶりをかけ、そのままスパートをかけた。予選から続いて決勝でも自己ベストを出せたことに、「まだ多少余力があったので、もう少しハイペースでも勝負できるかな」と言い、大舞台での快勝に自信を深めた。
「あまり力がない学年」と言われ
初めてつかんだ学生チャンピオンに、「ホッとする部分が大きくて。前から優勝できるという周りからの期待感もあったので、最後に優勝できてよかった」と原田。日本インカレには1年生の時から出場しており、その時は予選落ちだったが、2年生の時は6位入賞を果たしている。周りからも期待を受けて臨んだ昨年は、前述の通り前日に棄権を決めた。
大学ではけがに悩まされることが多かった。「僕たちの学年はあまり力がない学年なので、自分でやることを見つけてたくさん練習するタイプが多く、そうなると自分も置いて行かれたくないという気持ちが強くなって、ついつい走りすぎてしまっていました」。最終学年を前にして、原田はけがをしないことを一番のテーマに掲げた。練習メニューを長門俊介監督と相談し、体への負担を考えた上でそれまで8割参加していたチーム練習を5割まで減らし、その分、ポイント練習など1人で取り組むメニューを増やした。「自分の意見をしっかり話して相談できる監督なので、自分もここまでやってこられたのかなと思います」と、自主性を尊重してくれた長門監督に感謝している。
同じ日の夜には10000mのレースがあり、同期の吉岡智輝(順天堂大4年、白石)が日本人3位の8位入賞を果たした。吉岡は1500mで原田が優勝したレースを目の当たりにし、「同級生にあれだけ活躍されると僕も負けられないと思いましたし、スタートを前にして『やるぞ!』という気持ちをもって挑めました」と話す。
原田たちの代は周りから特徴が薄いという意味で“金太郎飴”と言われることもあり、長門監督も選手たちに、あえてそう口にすることもあったという。その悔しさを胸にコツコツと積み重ねてきたのが今の4年生たちだ。実際、1学年下の野村優作(順天堂大3年、田辺工)は「今年の4年生は全員、努力で上がってきた人たちなので、そういう面を自分たち後輩に見せてくれ、引っ張ってくれています」と話す。
自分も駅伝で勝負できる姿を後輩に見せたい
今後は駅伝に向けて走り込み、日本インカレから中1日の9月19日には日体大記録会で5000mを走る。そこで結果を出し、出雲駅伝のメンバー入りを狙っている。「上級生は例年に比べて安定感があります。下級生は1年生がとても勢いがあるので上級生も刺激を受け、全体的にいい流れで春と夏を終えられました。秋がすごく楽しみだなと自分は思っています。秋にもう1度走り込みをして、箱根に向けて確実にトップでゴールできるようなチームになっていけばいいかな」
今後は10000mも走って距離を伸ばし、駅伝シーズンでの活躍を目指しているが、原田が駅伝を目指すのは自分のためだけではない。「もし選手選考に関われなくても、自分が駅伝を目指すことでチームへ刺激になるでしょうし、もし自分が出雲のメンバーに選ばれたなら、自分の持ち味を駅伝にもつなげられるというのを後輩に感じてもらえたらいいなと思っています」。原田たちの代は4年生になってから、周りの選手に目を向けられるようになった選手が多いという。周りから新しい発見を得て、それを自分に落とし込む。その過程の中で原田も自然に、後輩たちにもそんな姿を求めているのだろう。
最後の日本インカレで学生チャンピオンとなり、原田は“赤マルサ”のユニホームの称号を手に入れた。ただ今後はこのユニホームを着てのレースはない予定だ。「1回くらい着たかったんですけどね」と悔しさを込めながら、「部屋に飾ることになると思います」と笑顔で話した。けがを乗り越えてつかんだ栄光もまた、後輩たちが何かを感じるきっかけとなるだろう。