創価大・山本裕二 野球歴18年目、母校の学生コーチとして1対1の対話を重視
5歳の時に野球を始め、小中高大全て軟式野球部。「野球は一生もの」と話す山本裕二(創価大4年、安田学園)は3年生だった昨年11月をもって部を引退したが、現在は母校・安田学園高校軟式野球部の学生コーチをしている。指導者として意識しているのは1対1の対話。「お互いのバックグラウンドを知ってないと、きつく言った時の感じ方が違うと思うんです」。それは昨年、副将として部を支えた時から意識してきたことでもあった。
嫌われ役を買って出てくれた主将をサポート
首都大学軟式野球連盟に所属する創価大学は、山本が入部前の2017年に1部昇格を果たし、山本は1年生だった時から1部の舞台を経験。秋リーグでは奪三振賞にも選ばれている。しかし2年目は2部に降格。「2部で戦うのは俺たちだけでいい」。山本は同期とそう決意して、ラストイヤーを迎えるはずだった。しかし新型コロナウイルスの影響を受けて春リーグが中止。例年であれば春で3年生は引退して世代交代となるのだが、「舞台に立てないままでは終われない」と山本たちの代は話し、秋こそは大会が開催されることを願って練習を継続した。
チームは毎年、主将が1人、副将が3人という体制をとっている。同期との話し合いの中で山本は副将になり、今のチームの中で自分が果たすべき役割を考えた。「僕らの代の主将は率先して嫌われ役をやってくれていました。ただ全部はっきり言うので、後輩が萎縮してしまうこともあったんです。でも例えば練習メニューなどは僕らで話し合って納得した上で主将が言ってることなので、僕は『こういう狙いがあるんだよ』と後輩たちに伝えてサポートすることを心がけていました」。上から一方的に伝えるのではなく、選手一人ひとりとコミュニケーションを取りながら思いを伝えることが必要だと、山本自身も感じていた。
最終的に秋リーグは1部と2部を混ぜたトーナメントになり、入れ替え戦は中止となった。山本は大会の直前に肩を壊してしまったが、それでも仲間は「お前が投げて負けるなら悔いはない」と言ってくれ、山本は応急処置をした上で球数を絞り、マウンドに立った。チームは初戦で敗れてしまったが、このチームで戦えたことを山本は誇りに感じている。「後輩たちを1部に行かせてあげられなかったことが悔やまれます」。今シーズン、後輩たちは続く世代のためにも、1部昇格をかけて戦っている。
選手が言い出しやすい環境を作る
冒頭の通り、山本は昨年11月に部を引退し、今年7月からは母校で学生コーチをしている。安田学園高校軟式野球部は14年に創部した時から百瀬和徳顧問の教え子たちが学生監督・コーチとなり、後輩たちを指導している。山本も選手だった時から長期休みの時に部に顔を出していたが、本格的に指導を始めたのは今年になってからだ。高1だと6つ下にもなるが、「練習以外の場では雑談しかしてないですし、僕がいじるから向こうもいじってくるし、仲のいいお兄ちゃんという感じだと思います」と山本は笑いながら明かす。
指導者として一方的に伝えるのではなく、選手自身に考えさせ、意見をしてほしいと考えている。「なんでエラーしたと思う?」「ここをこうしたらどうなるかな?」。そんな言葉を投げかけながら、選手の言葉を待つ。そのために普段のコミュニケーションが大切になる。
「彼らから言い出しやすい環境作りが必要だなと思っています。練習の時はしっかり指導し、でも練習が終われば1人の“山本裕二”として接する。学校生活とか、趣味の話とか、恋話とか、何でもいいと思うんですよ。それでこの人は話しやすい人だなって思ってもらえたらいいのかなって考えながらやってます。それが信頼関係につながっているかは、彼らの感じ方次第だと思うので僕は分からないんですけど、でも部の雰囲気はいいんじゃないかなと思ってます」
引退してからは高校時代の仲間と一緒に草野球チームを立ち上げ、社会人になっても野球を続ける予定だ。野球歴はもう18年目になり、「これができたのはこういう基礎練をやったからだなというのは経験で分かりますし、これまでの野球人生の中で積み重ねてきた知識や技術はある方だと思います」と言う。その上で、指導者になった今はコンディショニングについて改めて勉強もしている。「本当に野球が好きなんだと思います」。山本は笑顔を浮かべながら、そう話してくれた。