東大野球部のアナリスト・齋藤周の挑戦「文武両道を日本中の憧れにしたい」
東京大学野球部を学生スタッフ兼アナリストとして支えているのが、齋藤周(あまね、4年、桜修館)だ。データによる根拠のある取り組みを推進する一方で、部の認知を高める発信活動にも力を入れている。
デジタル化を推進し、データを積極的に活用
齋藤はリーグ戦のメンバー表では「学生コーチ」として登録されている。だが、他校の学生コーチとは役割が少し、いや、かなり違うようだ。東大野球部内の肩書きは「学生スタッフ兼アナリスト」。その仕事は、グラウンド内外での練習サポートに加え、昨年12月に齋藤が中心になって新設した「アナリスト部門」でのデータ分析や動作解析、さらにはSNSなどを使っての情報発信と、多岐に渡る。
選手から「学生スタッフ」に転じたのは2年生の秋。高校時代は内野手で一番を打っていた齋藤は、新人戦の主将を務めるなど、もともとプレーヤーとして期待されていた。しかし2年夏にケガをしてしまう。「どうすればチームに貢献できるか考えた末に決断しました」
今ではプログラミングもお手のものだが、選手時代は、パソコンにも精通していなかったという。「エクセルがやっとくらいでしたね」。データ分析も学生スタッフになって、1から勉強を始めた。幸運だったのは、学生スタッフになってすぐ(2019年秋)、東京六大学が神宮球場に設置されている「トラックマン」を使用できるようになったことだ。トラックマンは、ボールをトラッキング(追跡)し、様々なデータを取得できる弾道測定器。投球ではリリースポイントの位置、ボールの回転数(回転速度)、ボールの変化の大きさなどを、打撃では打球の速度・角度・飛距離などが計測できる。東大ではトラックマンの廉価版を2017年12月より導入していたが、これによってデータ分析の精度が上がった。
2年前には投球用のトラッキングシステム「ラプソード」も取り入れており、今春のシーズン後には打撃用も採用。東大はデジタル化を推進し、デジタルの力を積極的に個人のレベルアップやチームの強化、そして戦略に活用している。
大事なのはいかにデータを伝えるか
もっとも、東大の部員の中にも“感覚派”はいる。そういう選手には「感覚的につかんでいることを数値で明確に理解することが、個人の成長やチームの勝利につながると、丁寧に説明しています」。
現在行われている秋のリーグ戦では、こんなシーンがあった。早稲田大学とのカード、走者なしで強打者の蛭間拓哉(3年、浦和学院)が打席に入ると、三塁手の大音周平主将(4年、湘南)が右翼手の前へ。3人で一、二塁間を固める「蛭間シフト」を敷いたのだ。大学野球ではあまり例がない大胆なシフトだが、これは齋藤がデータを踏まえて発案した戦術だった。右方向に引っ張る打球が多い蛭間が、空いた三遊間を狙い打ったとしてもそれは結果論。臆せずに確率を重視する東大の姿勢がうかがえた。
アナリストとして、齋藤が大事にしていることがある。それはいかにわかりやすくデータを伝えるか。「持っているデータを全て伝えても情報過多になります。特に個人の場合はかえってプレーの妨げになるので、内容を絞っています。例えば、打者に相手投手のデータを伝える時は『1行』くらいの分量で。これはなかなか難しい作業ですが」
連敗ストップが進路を変えるきっかけに
言わずもがなであるが、いくらデータ分析に長(た)けていても、チームが勝たなければ、アナリストは評価されない。齋藤も東大が春のシーズンで連敗をストップするまでは悔しい思いをしてきた。法政大学との最終戦に勝ち、2017年秋から3つの引き分けを挟んで続いていた64連敗を止めた時、ようやく報われた気持ちになったという。
そして、この勝利は齋藤の進路を変えるきっかけに。9月13日、自身のツイッターで私事として、内定していた企業に断りを入れ、幼い頃から憧れていたプロ野球の世界(NPB球団)を目指すことを報告した。このツイートは大きな反響を呼び、実に5000近くの「いいね」がついた。
進路を決めるにあたっては、戦術面での意見を求められるなど、信頼関係にある井手峻監督からも影響を受けた。東大からドラフト3位(1967年二次ドラフト)で中日に入団した井手監督は、引退後コーチを経て、1987年にフロント入り。球団代表兼連盟担当など、2015年2月に退任するまで要職を歴任した。
「井手監督から、球団スタッフの仕事内容や、球団経営について話を聞かせてもらい、プロ野球の世界で働きたい思いが強くなりました」
ツイッターでは普段、東大野球部の学生スタッフ兼アナリストの立場から情報を発信している。フォロワーは4000人以上。齋藤の発信には数多くの人が関心を寄せており、東大野球部の認知度を高めている。「ツイッターに力を入れ始めたのは3年生になってからです。いま持っている野球の知識があれば、自分の中学、高校時代も変わっていたのでは……という思いから、主に中・高生に向けて発信しています。ツイッターを通して、少しでも東大の野球部に入りたいという人が増えてくれたらと」
秋の1勝の裏にあった明確な根拠
秋のリーグ戦の立教大学との2回戦。東大は9安打7得点とよく打ち、今季初勝利を挙げた。敗れた1回戦でも四回までに6点を奪い12安打と、春は10試合で22得点だった打線が見違えるような姿を見せた。ただ齋藤からすると、これはたまたまではなく、根拠があるという。
「立大戦で打撃が好調だった理由は3つあります。1つは打撃部門のリーダーである高橋佑太郎(4年、私武蔵)が1人ひとりのフォームをかなり細かくチェックして、改善箇所をアドバイスしていたこと。2つ目はトレーニングのリーダーの奥野雄介(4年、開成)が打撃向上のためのトレーニング方法を伝えていたこと。この2つが実を結んだことに加え、3つ目の理由として、データ分析で狙い球が絞れたからだと思います」
実は打撃の強化は、連敗を止めた春の法大戦の後、帰りのバスの中で始まっていた。
「春は走塁に力を入れ(リーグ最多の24盗塁)、勝った法大戦も盗塁、エンドランと足を絡めた戦術で得点を取りました。でもこのままでは秋は勝てない、打撃を強化しなければという話をし、チーム内で意思統一をしたんです」
他校の警戒が厳しくなっている中で、着実に盗塁数も伸ばしている。3カード終了時点でチーム盗塁数は13。立大に勝った試合では、体重94㎏の4番打者・井上慶秀(4年、長野)が二盗を成功させた。早大戦ではけん制で足を封じられる場面もあったが、夏場の練習では通算228盗塁の元巨人・鈴木尚広氏の指導のもと、マークをかいくぐる練習も重ねてきた。残り2カードでもその成果を見せるつもりだ。
勝ってもニュースにならないチームにしたい
齋藤はプレーヤーではないが、「野球の虫」だ。読書家で年間200冊は読むというが、これも野球のため。小説やビジネス書など、幅広く他分野の本に接することで、野球に通じるヒントや新しい着想を得ているという。リーグ戦前日には東大野球部の「一誠寮」の自室に持ち込んだピアノで、自校と対戦校の応援歌を奏で、気持ちを高める。最高学府・東大のアナリストという肩書きから、インテリジェンスの側面が浮き立つが、野球を愛してやまない、野球に対して熱い男である。
大学ラストシーズンも残り2カード、4試合になった。年間2勝は達成したものの、もちろんそれで満足していない。齋藤は「白星を積み上げて、勝ってもニュースにならないチームにしたい」と言葉に力を込める。可能性がある限り、風穴を広げ、それぞれの役割を全うすることで勝利を呼び込むつもりだ。
「東大は常に主語がチームにあります。自分が勝つためにどうするかではなく、チームが勝つために自分がどうするか。この考えが徹底しています」
文武両道を日本中の憧れに――
齋藤の挑戦はまだ終わっていない。