先発にこだわった松坂大輔 幻の「抑え」起用 あり得た大リーグ残留
松坂大輔を取材してきて、とても印象深い試合がある。
大リーグのメッツに在籍していた2014年4月24日。ニューヨークの本拠地球場で登板したカージナルス戦だ。
3点リードの九回からマウンドに上がり、速球主体の投球で三者凡退に仕留めた。
珍しい記録がついた。渡米8年目にして、メジャー初セーブだった。
日本時代を含めてもプロ通算2度目だ。ちなみにプロ初セーブは、西武2年目だった2000年。ただ、当時は調整登板で3回無失点だった。
純粋な「抑え」起用でのセーブは初めてだ。見事な火消し役に試合後、祝福の言葉を贈った。
そして、今後もセーブ機会で起用される可能性に触れた。「守護神・松坂」が誕生するかもしれないと期待もあった。
「ホッとしたよ」
第一声は喜びよりも一安心だった。
続いて返ってきた言葉は意外だった。
「けど、あまりうれしくはないんだよね」
同年の松坂はマイナーで開幕。4月中旬にメジャー昇格した。
当時メッツの監督はテリー・コリンズ氏。過去にプロ野球・オリックスを率いた指揮官は、豊富な経験を持つ松坂を先発から中継ぎと幅広く起用した。
松坂にとって、試合途中からのマウンドは不慣れなポジションだった。
レッドソックスに移籍した07年から救援登板は1度だけ。しかも、延長十三回の緊急登板だ。
最後のアウトをとるまで、いつも以上に緊張したという。
勝利投手の権利を持っていた先発や、前に投げた2投手の力投を無駄にしたくないからだ。
そして言った。
「中継ぎや抑えの重要性や大変さは分かっている。尊敬もしている。先発1人で勝てるとは思っていないからね」
「でも、もし選ばせてもらえるのなら、やっぱり先発としてまっさらなマウンドに上がりたい」
先発投手へのこだわりは強い。自分が投げるボールで試合展開は大きく動く。
それ以上に、試合を組み立てる作業に魅力を感じているからだ。
長いイニングを投げれば、打線とは3巡、4巡と対戦する。配球が偏っては打たれる確率が高まる。
抑えるために、試合前から色々な投球パターンをイメージした。試合中は打席でのしぐさやスイングから、相手の狙いを探る。
1試合に同じ打者と何度も対戦できる。その駆け引きが楽しかった。
そして、毎試合の目標は完投勝利だった。途中でマウンドを降りたくない。
好投した試合で、球数で交代を告げられると悔しがった。ボールをもらいにマウンドに来た監督になかなかボールを渡さず、笑顔で諭されたこともある。
14年シーズン、松坂に巡ってきた先発の機会は、34試合のうち9試合だけだった。故障やチーム事情もあり、7月中旬からは救援登板しかない。
もともと大舞台に強い選手だ。最初からセットアッパーやクローザーに指名していたら、違った活躍をしていたかもしれない。
そう思えるのは、大舞台で「抑え」に指名されかけたこともあるからだ。
レッドソックスに所属した08年、3勝3敗で迎えたレイズとのア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦だ。
連日の総力戦で救援陣が手薄になり、第5戦に先発した松坂はブルペン待機。幻に終わったが、終盤にリードしたら抑えに起用される見込みだった。
14年を最後に松坂は日本球界復帰を選んだ。その理由の一つが「先発投手」で勝負したいからだった。
当時、複数のスカウトの見立てでは、救援投手という役割ならば大リーグ残留もあり得たという。
でも、こだわった。思えば選手としての土台を築いた横浜高時代から、最初から最後まで投げきることをやりがいと感じていた。
甲子園に出場した3年生時も、「春も夏も1人で投げ抜くと。誰かに任せる意識は一切なかった」。そのために猛練習を課した。
先発マウンドへの強い思い。それは、松坂が長い間エースとして活躍できた理由の一つかもしれない。
(遠田寛生)=朝日新聞デジタル2021年10月19日掲載