野球

連載:4years.のつづき

素の自分で勝負したかった 上重聡・3

上重さんは「ミスター・パーフェクト」のプレッシャーとも闘った

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をします。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いでしょう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのでしょうか? 「4years.のつづき」を聞いてみましょう。シリーズ4人目は日本テレビのアナウンサー上重聡さん(かみしげ、38)です。PL学園高校(大阪)時代には背番号1で甲子園をわかせましたが、立教大学では苦しい日々をすごしました。3回目は3年生になって迎えた新たな苦難の日々、そして人生の大きな決断についてです。

前回の記事「投手をクビになりレフトへ」はこちら

再び背負った十字架

大学3年のときの話になると、上重は「だましだまし投げてましたね」と苦笑いになった。前年に春秋で5勝し、完全試合まで達成。希望に満ちあふれていたが、また新たな壁が彼を待ち受けていた。「ミスター・パーフェクト」のプレッシャーだ。

ちょっといいピッチングをしても、誰も驚かない。周囲の期待値の変化を肌で感じた。常に「プラスアルファを」と自分を追い込んでしまう。大学に入った直後、自分で自分にかけたプレッシャーの再来だ。「また十字架を背負ってしまった」。心は乱れ、当然投球も乱れた。

何とか気持ちをつなぎとめられたのは、父の和夫さんの言葉があったからだ。2年生のある日、大阪から会いに来た両親と浅草のもんじゃ焼き店を訪れた。もんじゃをつつきながら、ボールが怖くて投げられない状況を打ち明け、野球をやめる可能性も伝えた。これまで両親に一切の弱音をはかなかった上重が、プライドを捨てた瞬間だった。

重い空気のまま食事が終わった。店を出て、父と母の孝子さんと3人で地下鉄の駅まで並んで歩いた。10分ほどの距離が、やけに長く感じた。駅に着き、別れ際に和夫さんが言った。「いままで十分いい思いをさせてもらった。やめたければ、やめればいい。補欠で4年間やってもいい。自分の思うようにやりなさい」

予想外の言葉に胸が締めつけられるような思いだった。平静を装い、両親に背中を向けて地下鉄への階段を下りる。涙があふれた。「頑張れと言われるより、グッときた。その言葉ですごく楽になったんです」

盲腸から始まったアクシデントの波

両親のためにも。そう誓って奮い立ち、野球を続けてきた。今回もなんとかしたい。もがきながら日々を過ごした。しかし、状況はいっこうに改善しない。それどころか、夏以降は次々とアクシデントに見舞われた。

始まりは盲腸だった。手術を受け、練習を休んだ。回復後、練習の遅れを取り戻そうと急ピッチで調整した。これが凶と出て、秋口の練習試合で右太ももの内転筋を痛めてしまう。治りきらないまま投げていると、今度は右ひじが悲鳴を上げた。

「パチン! 」

腕に力が入らなくなった。急いで医師に診てもらうと、靱帯を損傷していた。「いまでいう(靱帯修復の)トミー・ジョン手術を受けないと、100%元通りにはならない状態でした」。

野球人生で初めての大きなけが。そして、つきまとう不安が上重を追いつめた。「2年のときと同じ苦労をはね返すには、あのときの倍以上のパワーが必要でした。自分の中に、もういちどはね返すだけの余力はなかった」。限界に達した。

度重なるけがに、身も心も限界に達した

松坂に本気で怒られた

そのころ、周り同級生たちは就職活動を始めていた。立教大に入る前、自分がプロ野球に進む条件として「(ドラフト会議で)逆指名されるか、ドラ1か2位」「親友の松坂大輔のような活躍ができること」という二つを設定していた。「松坂みたいな活躍はできない。いっさい迷いませんでした」と、3年生の9月、誰にも相談せずに「引退」を決め、アナウンサー試験にエントリーした。

突然降りかかってきた就職活動だが、机に向かって勉強したり、書類を準備したりする作業は苦ではなかった。母の教育方針で、小学1年生から英会話、3年生からは塾に通っていたのが生きた。「あのころは勉強させられることをよく思っていなかったんですけど、アナウンサーになれたのも、親の導きのおかげです」

就職活動は順調に進んだ。両親や関係者にも次々と「引退報告」を済ませていく。ただ、松坂だけには、どうしても切り出せずにいた。

「相談がある」。ある日、松坂を昼食に誘った。じくじたる思いがあった。オシャレな店が立ち並ぶ六本木。対面した松坂に、ついに告げた。松坂は本気で怒ったという。「同じ舞台で投げる日を待ってた、と言われたんです。一番しんどかったですね」。プロ野球で松坂と投げ合う。そんな夢が自分だけのものではなかったことを、改めて実感した。

4年生の春、ラストイヤーが始まったころの上重さん(撮影・森井英二郎)

野球をやめると決めて18年ほどが経つ。「過去に戻りたいですか? 」。少しいじわるな質問を投げかけると、上重はうなりながら言った。

「もう一回挑戦してみたかった思いは、多少あります。戻るなら1年の春。背伸びして、自分を大きく見せようとしてた時期です。素の上重聡で勝負する4年間をやってみたかった。もっと自然体でできたら、また変わってたと思います」

●日本テレビアナウンサー・上重聡さんの「4years.のつづき」全記事

 1.先輩の思い出奪った完全試合 2.投手をクビになりレフトへ 3.素の自分で勝負したかった 4.投手とアナウンサーの共通項

4years.のつづき

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