日本ラクロスの歴史を変えた男 岩本海介・1
大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ5人目は、現役のラクロッサーで、アメリカのプロリーグに所属するデンバー・アウトローズで活躍する岩本海介(かいすけ、32)。日本のラクロス界を代表するサムライは、どんなラクロス人生を送ってきたのか。1回目はラクロスとの出会いについてです。
MLLの人気チームに所属
2018年、日本ラクロスの歴史が動いた。ひとりの選手がアメリカのプロラクロスリーグ(Major League Lacrosse、通称MLL)の試合に日本人で初めて出場したのだ。それがデンバー・アウトローズの岩本海介だ。
MLLは9チームで構成される。ニューヨークやボストン、アトランタなどにチームが点在し、ホーム&アウエー方式のリーグ戦が5月から9月にかけて繰り広げられる。このリーグのなかでもデンバー・アウトローズはここ5年で3度の優勝を果たしている強豪で、観客動員数がリーグトップという人気チームだ。昨年デビューしたばかりの岩本の出場機会は、まだ少ない。「今年は去年よりたくさん試合に出るのが、まず目標です」。現在は5月末に開幕するリーグ戦に向け、アメリカでトレーニングを積んでいる。
岩本に取材をしたのは、彼が日本に帰国したタイミングだった。「日本にいる週末は東京都内の公園でラクロスをやってるチームにまざったり、アメリカの選手が教えるクリニックの手伝いをしてるんですよ」。楽しそうに話す姿を見ていると、ラクロス小僧という言葉が思い浮かぶ。
慶應高の友だちのひとこと
彼がラクロスをはじめたのは高校生のとき。日本では大学からはじめる人が多いので、早いほうだ。そもそもラクロス部のある高校が日本には少ない。そのなかでも強豪として知られ、高校のチームとして唯一大学のリーグにも参加している慶應義塾高校が岩本の母校だ。
ふとしたひとことから始まった。高校1年の4月。授業中に友人から「ラクロス部のぞいてみない?」と軽く声をかけられた。高校でも野球を続けるかどうか迷っていたので、「とりあえず行ってみるか」くらいの軽い気持ちで練習に参加した。先輩からスティックを借りて、はじめてラクロスのキャッチボール。「とにかく楽しくて、初めて練習に参加した日の夜に、スティックを買いに走ってました」
こうして岩本のラクロス人生がスタートした。
空手と野球がゴーリーに生きた
高校生のときからプロになった現在まで、ポジションはずっとゴーリー。サッカーでいうところのゴールキーパーにあたり、体全体を駆使して直径6cm、硬質ゴムのボールを止めにいく。シュートのスピードは時速160kmを超えることもざらで、アメリカでは200km近く出す選手もいる。想像するだけで恐ろしいが、「シュートは怖くないです。脛はボコボコになってますけど」と、さらりと言ってのける。
小学生のころから空手を習い、黒帯の実力を持つ岩本だからなのだろう。シュートを打たれるまで体がぶれない、体幹の強さも備わっている。野球の経験もプラスになった。ボールをキャッチしたあとのすばやく正確なパスは、アウトローズのトライアウトでも高い評価を受けた。バッティングが得意だった岩本にとって、スティックを振る動作はお手のものだ。
はじめて出場した公式戦は、よく覚えている。2003年の秋季関東学生リーグ。3部まである大学リーグで、慶應義塾高校は1部にいた。「控えのゴーリーだったんですけど、先輩が胃腸炎になって急きょ試合にでることになったんです。専修大に7-6で勝ったんですよ」。この試合は慶應高がその秋に唯一勝った試合だった。高校3年になるとレギュラーに。「3年のときは2部だったんですけど、さらに3部との入替戦までいって。入れ替え戦は勝って、ギリギリ2部に残留できました」
高校生のときは正直ラクロスに対するモチベーションが落ちた時期もあった。ただ、大学生ばかりの関東ユースに選ばれ、「将来性がある」という評価をもらった。そして、入学したばかりのころに言われた「大学生になったときに日本代表を目指せるよ」という言葉が頭に残っていた。岩本は慶應義塾大学に進学し、ラクロス部に入った。