慶大ラクロス部で経験した死闘 岩本海介・2
大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ5人目は現在アメリカでラクロスのプロリーグで活躍する岩本海介(かいすけ、32、デンバー・アウトローズ)。2回目は慶應義塾大学時代の話です。
日本のラクロス先駆者の誇りを胸に
2005年、慶應義塾高校から慶大に進学した岩本は、迷わずラクロス部の門をたたいた。慶應ラクロス部は1986年に創設された日本初のラクロスチームで、「Pioneer's Pride」を代々受け継いできた。「常にトップでなければならない、ラクロスの先導者でなくてはいけない」という教えを胸に、岩本の大学ラクロスが始まった。
いまでこそ大学生チームに社会人のコーチがいるのは一般的だが、当時はほとんどいなかった。先輩に習うか、独学するかしか上達の道はない。その点、岩本は恵まれた環境にいた。慶應ラクロス部は日本代表経験者を多く抱えるチームだ。岩本のポジションであるゴーリーにも、世代別の日本代表を経験してきた先輩がいた。岩本はまず先輩の真似をするところからゴーリーを突き詰めていく。「教えてもらうというよりも、むしろプレイを見て学んでいく感じでした。いま思うのは、自分で考える癖がついたことですね」と振り返る。
ゴーリーとしての理想像はシュワルツマン
同じころ、海外の選手にもあこがれを抱いていた。いまアメリカで活躍する岩本が、初めて触れた海外のラクロスだ。何度も全米制覇を果たした名門ジョンズ・ホプキンズ大学所属のゴーリー、ジェシー・シュワルツマンのプレーをトレースした。「たたずまいやゴーリーとしての動き、勝負どころでのビックセーブ。とにかくカッコよかったんです」。ジェシーは2015年に引退したが、大学卒業後はデンバー・アウトローズに所属していた。「僕がアウトローズのトライアウトに合格したのは偶然ですけど、うれしかったですね」
アウトローズ在籍時のジェシーの試合もほとんど見ている。岩本にとってゴーリーの理想像がそこにあった。とくに好きなプレーの映像は繰り返し見ている。「ジョンズ・ホプキンズ大学が1点リードの試合終了間際。そこで味方がクリアミスをして相手ボールになるんです。残り1秒を切ったときに相手エースがシュート。で、ジェシーのビックセーブで試合終了。初めて見たときは鳥肌が立ちました」。岩本は試合前にモチベーションを高めるため、いつもこのシーンの映像を見ていた。
岩本に大学時代に印象に残っている試合を聞いてみた。ひとつは4年生のとき、初めて勝って泣いた試合。もうひとつは3年生のときに不思議な感覚におそわれた試合だ。「僕らのまわりでは史上最高の学生決勝と言われてます」。相手は日体大。「7-7で延長に入ったんですけどなかなか勝負が決まらず、延長も4クオーターに入って、足をつる選手もたくさん出た死闘でした。敵味方関係なく『頑張ろう』と言い合うような雰囲気になってて。結局同点優勝の直前で日体大に決められて負けたんですけど、あの瞬間はフィールドとベンチにいるメンバーしか会場にいないような錯覚に襲われました。応援の声も何も覚えてないんです」
たどり着いた「JAPAN」
とにかくラクロス漬けの日々だった。超がつく真面目ではないかもしれないが、ラクロスが好きで楽しいから、自分が必要だと思ったことは必死にやる性格だ。筋トレも練習もそう。驚くことに、ひざの前十字靭帯が切れたまま試合に出たこともあるという。そして努力が実り、大学時代にひとつの目標にたどり着いた。U21日本代表に選ばれのだ。「JAPANというジャージを着ることがひとつのモチベーションだったので、素直にうれしかったです」。当時を振り返る岩本に笑顔がこぼれる。高校時代からの夢を実現させた。
09年に大学を卒業。大学を出るとラクロスから離れる選手も多いが、岩本はラクロスが好きだから、どんなに忙しくても離れなかった。そして仲間たちと新しい社会人クラブチーム「Stealers」を立ち上げ、新たなラクロス人生を自ら切り開いた。