大学ラクロス

連載:4years.のつづき

ラクロス選手として進歩するためのプロ挑戦 岩本海介・3

新卒で入った会社は、ラクロスを目一杯やれる環境ではなかった

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多い。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのだろう。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ5人目は、現在アメリカのラクロスプロリーグで活躍する岩本海介(かいすけ、32、デンバー・アウトローズ)。3回目は慶應義塾大学を卒業後、アメリカでトライアウトに挑戦した話です。

前回の記事「慶大ラクロス部で経験した死闘」はこちら

ラクロスのできる環境を求めて

2009年に慶大を卒業した岩本海介は、友人たちとともにラクロスの社会人クラブチーム「Stealers(スティーラーズ)」を創設した。「ラクロス界に新しい風を吹かせる」とのテーマのもとに発足したチームは、東日本クラブチームラクロスリーグ1部に所属。昨年は全日本選手権のベスト4に進出した。日本代表経験者も多く、メンバーたちは各自の仕事の合間をぬって練習や試合に参加している。

もちろん職業や職種によってはなかなか参加できないメンバーもいる。外資系の医療機器メーカーで営業職に就いた岩本もそうだった。平日は忙しくて満足に練習ができないうえ、週末でも仕事の呼び出しがかかるので、試合前のウォーミングアップだけで仕事へ駆けつけることもあった。

毎年何よりも楽しみにしていた「サムライカップ」という大会のある週末にも、急きょ出張を宣告された。「ここまでラクロスができないのは、ちょっと違うな……」と転職を決意。転職先を探すときは「東京でラクロスができないなら内定はいらない」と強気にでた。そして12年夏、この条件を認めてくれたカード会社に移った。

スティーラーズのユニフォームを着た岩本(左、写真は本人提供)

アメリカ留学で出会ったラクロス文化

大きな転機が訪れたのは、転職から2年半ほど経ったときだった。父が経営する会社に入ったのだ。「いままでお世話になった父の会社で恩返しができれば」と考えた。そこで会社のために必要になるのが、ビジネスでも通用する英語力。会社は欧米への事業拡大を狙っていた。そして15年5月、アメリカのポートランドへ留学する。ここでアメリカのラクロスに、初めて触れることになる。

ポートランドはアメリカの中で目立ってラクロスが盛んな土地ではないが、それでもラクロスを楽しむ層は一定数いた。いわゆる草ラクロスだ。「ポートランドにラクロスショップがあったので、まず練習場を教えてもらいました。その練習に参加して『日本でラクロスをやってた』という話をしたら、すぐに打ち解けました」

岩本がアメリカで強く感じたことがある。「ラクロス好き同士だったら、もうそれだけで友だちなんですよね。言葉が通じなくても、酒が飲めなくても何も関係ないという雰囲気なんです」。ポートランド到着から1カ月後にはもう、ラクロスのトーナメント大会に出場した。「英語もままならない状態です。ただ試合になると、日本でやるのとそんなに変わらないんですよね」

プロ挑戦の決断

そして16年2月、語学留学も終わる時期に一つの決断をする。「プロチームのトライアウトを受けてみよう」と。合格不合格よりも、自分の実力がどれくらい通用するのか知りたかった。ゴーリーとしてもっと進歩するためには何が必要なのか。プロの意見も聞きたかった。

2月から4月にかけて4つのチームのトライアウトに挑戦した。「デンバー・アウトローズ」、「ボストン・キャノンズ」、「チェサピーク・ベイホークス」、「オハイオ・マシン」。結果はどこも不合格だった。ただ、ボストン・キャノンズのトライアウトでは、シュートをすべて止めた。コーチから「すごいパフォーマンスだった」と高い評価をもらえた。のちになってから、各チームのゴーリー枠が埋まってしまったために受からなかったと知った。そのときは明確な理由もなく落ちたのが悔しかったし、実際に受けてみて通用するとも思った。「もう一度挑戦したい」という気持ちが芽生え、いっそうトレーニングに励んだ。

トライアウトのあとは一度日本に帰ったが、大学でビジネス論を学ぶため、9月に再渡米。カリフォルニア大学アーバイン校に留学した。ここでビジネスを学ぶ一方、平日は週3日ほど大学の練習に参加し、週末は地元ラクロスチームの練習に参加した。「地元チームには高校生からおじいちゃんまでいて、みんなでラクロスを楽しむんですよね。練習が終わる5分くらい前になると、大人たちは『このあと、どこのバー行って飲もうか』なんて話を始めるんです」。純粋にワイワイとラクロスを楽しむ雰囲気が好きだった。楽しむことは、岩本にとってラクロスの原点なのだ。

プロとしてフィールドに立つ岩本

2度目のトライアウトはパスしたが……

そして17年2月、岩本にとって2度目のトライアウトがやってきた。挑戦したのはデンバー・アウトローズ。60人ほどの挑戦者がいた。「トライアウトの前に膝をねんざして、あまり走れなくて……」。ただコーチからは、ボールをキャッチしたあとの素早いパスをほめられた。1週間ほどあとに1通のメールが届いた。トライアウトの結果は、合否にかかわらずメールで届く。「合格してました。ただ、合格したってことは分かるんですけど、このメールが果たして本当に自分に来たものなのか?  間違いじゃないのか?  と思って、友だちにも読んでもらいました」

合格は5人ほど。ゴーリーは岩本のみだった。プロの世界に片足を踏み入れた瞬間だった。だが現実はそう甘くはなかった。トライアウト合格のあとの4月、トレーニングキャンプ前の選考に落ちてしまった。

●日本人初、アメリカのラクロスリーグでプレーする岩本海介さんの「4years.のつづき」全記事 1.日本ラクロスの歴史を変えた男 2.慶大ラクロス部で経験した死闘 3.ラクロス選手として進歩するためのプロ挑戦 4.どんなときもラクロスを楽しむ

4years.のつづき

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