大学野球

連載:4years.のつづき

投手とアナウンサーの共通項 上重聡・4完

上重さんの頭に最初に浮かんだ職業がアナウンサーだった

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をします。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いでしょう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのでしょうか? 「4years.のつづき」を聞いてみましょう。シリーズ4人目は日本テレビのアナウンサー上重聡さん(かみしげ、38)です。PL学園高校(大阪)時代には背番号1で甲子園をわかせましたが、立教大学では苦しい日々をすごしました。最終回はアナウンサーとしての上重さんについてです。

前回の記事「素の自分で勝負したかった」はこちら

「ピッチャー上重!! 」と実況した少年時代

大学3年の9月に野球を諦めたとき、真っ先に頭に浮かんだ職業がアナウンサーだった。理由ははっきりしていた。「野球や当時のメンバーから離れたくなかった」。アナウンサーになれれば、野球の取材や中継に携われる可能性は高い。まったく別の道に進むのは怖かったという面もある。

ただ、自信は一切なかった。仲間うちなら軽口もたたけるが、人前で話すのは大の苦手だった。「昔から、授業で先生にあてられると真っ赤になって、もじもじするタイプでした」

PL学園高校で甲子園に出たときも、入念に「仕込み」をした記憶がある。ピッチャーというポジション柄、取材される機会は多かった。話すことにコンプレックスを感じていたため、場面を想定した問答を用意したことは1度や2度ではない。

このほど出した『20年目の松坂世代』の出版トークイベントで語る上重さん

その一方で、高校時代からアナウンサーに興味を抱いてもいた。甲子園で投げた試合をビデオで見返していると、試合の実況が耳に残った。「試合を彩るというか、テレビの放送やアナウンサーの言葉が試合の価値を高めてくれる」。思えば小学生のころ、近所の壁にボールを投げながら「さあ、ピッチャー上重!! 」と、自分で実況していた。

そして、日本テレビを志したのにも、幼少期の記憶が影響していたという。壁当てのときの「実況」は、日本テレビの巨人戦の中継がベースだった。

当時の上重少年の生活において、巨人戦は欠かせない存在だった。午後7時になると、テレビをつける。そして実況を聞きながら畳の部屋で素振りや、シャドーピッチングをする毎日だった。「プロのバッターはこんな打ち方をするんだ、なんて言いながらまねるんです。2時間ぐらいかな。いや、展開によっては中継が延長されるから、10時ぐらいまでやってた日もありましたね」

ずっと実況を耳にしていたことで、自然とイメージはできていた。話すことへの苦手意識は大きかったが、「苦手なものを職業にすれば、ずっと向上心を持ってすごせる」と覚悟を決めた。アナウンサー一本に絞った。

黙った方が伝わる

38歳になったいまでは、日米野球の実況を任されるほどになった。
放送席に座り、マイクをつけてみて感じたのは、アナウンサーとピッチャーには共通点がたくさんあるということだ。「登板する日に向けて体調や肩の管理、相手打者を研究するといった準備作業が、すごくアナウンサーに似てます」と話す。

試合当日の難しさも共通する部分だという。毎試合「できた」と感じるのは50%程度。「いざ放送席に座ると、何が起こるかわからない。いかに臨機応変に対応できるかですね」。反省や宿題が多く残るからこそ、ひたむきに向き合っていける。「ピッチャーも毎回完全試合はできないですよね。打たれたり点を取られたり。そこで課題を見つけて練習で鍛え、自分を磨いてマウンドに上がる。アナウンサーもその繰り返しだと思ってます」

社会人になって、読書やテレビ番組のチェック、映画鑑賞の時間を大事にしている。たくさんの情報に触れ、知識を蓄える。偉人の言葉からフレーズのヒントを得ることもある。「実況は視聴者に伝わってこそ、という思いがあります」。研究はいつしか日課になった。

先輩アナウンサーの実況から「黙る」重要性にも気づかされた。試合の状況によっては、あえて言葉を挟まない。「ただしゃべることが実況じゃない。このトシになって、黙る勇気がだんだん分かってきました」。球場のナマの音声を優先的に届けた方が、臨場感が伝わるケースもあると考えている。

ピッチャーもアナウンサーも、課題を見つけて練習で鍛え、自分を磨いていくのは同じ

さまざまな価値観に触れる4年間を

現在の自分の姿は、プロ野球選手を目指していた高校時代には、とても想像できなかった。だが、立教大学へ進んだことに後悔はない。むしろ「4年間ですごく成長できた」という充実感の方が、勝っている。

「いまの大学生たちにあえて何か伝えるとすれば、在学中にいろんな人と会い、話を聞き、さまざまな価値観に触れてほしいということです。自分のように4年間レギュラーになれなくても、仲間と野球を通して人間的に大きくなれた。立教大学に行かなかったら、アナウンサーという選択はしなかったかもしれない。だからこそ、いろんな人と触れ合ってほしい。高校時代とはまた違った仲間や、関係もできるはずです」

●日本テレビアナウンサー・上重聡さんの「4years.のつづき」全記事

 1.先輩の思い出奪った完全試合 2.投手をクビになりレフトへ 3.素の自分で勝負したかった 4.投手とアナウンサーの共通項

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