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連載:4years.のつづき

夢破れても“財産”得た 同志社での4years. 澤井芳信・2

澤井さんはプロ野球、さらにはメジャーリーグを目指し、同志社大学に進んだ

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ7人目は、上原浩治投手(巨人)らアスリートのマネジメントを手がける株式会社スポーツバックスの代表取締役・澤井芳信さん(38)。2回目は同志社大学での4年間を振り返ってもらいました。

プロへ行くための単位取得計画

同志社大へ入るにあたって、澤井さんは一つの計画を立てていた。

「3回生までの間にゼミ以外の単位をすべてとり、最終学年は野球に集中する」

ドラフト会議で指名されてプロ入りするには、4回生の2シーズンでスカウトにアピールするのが不可欠だ。プロへ行くための計画だった。「学内で一番レポートの多い学科だったと思うんですけど、ほんとに必死でやりましたよ。実際、3回生までにゼミ以外全部とりました」と澤井さん。講義に試験にレポートに、練習、トレーニング、そして試合。ハードな毎日だったが、この経験が社会人になってから大きく生きてくる。

勝負をかけ、散った4回生の春

同志社大が所属する関西学生リーグのレベルは、想像していた以上に高かった。立命館大には3学年上に田中総司(投手、元ダイエー)、2学年上に山田秋親(投手、元ダイエーなど)、平本学(投手、元ヤクルト)ら、のちにプロ入りする選手が名を連ねていた。近畿大にも同学年に林威助(外野手、元阪神など)、大西宏明(外野手、元近鉄など)、1学年下に糸井嘉男(外野手=大学生当時は投手、現・阪神)。同志社大のチームメイトにも、同学年には平石洋介(外野手、現・楽天監督)、1学年下には渡辺亮(投手、元阪神)、2学年下に染田賢作(投手、元横浜)らがいた。

立命館大と近畿大が優勝を分け合い、同志社大はなかなか優勝争いに絡めなかった。それでも澤井さんは1回生の春のシーズンからレギュラーの座をつかみ、3回生の秋にはショートでベストナインを獲得している。

澤井さんは4回生で勝負するために、1回生のときから計画的に単位をとってきた

3年間でゼミ以外の単位をすべて取得し、迎えた勝負の春。しかし、ここで極度の不振に陥ってしまう。「4回生の時の野球が、一番、うまくいかなかったですね……。何が原因かって考えても分からない。うまくいかへん、けど頑張らな、っていう焦りもありました」

4回生の春と秋は、いずれも近畿大がリーグ戦を制した。秋は近畿大と同志社大が8勝2敗1分け、勝ち点4で並んだが、同志社大はプレーオフで敗れ、澤井さんが在籍した4年間8シーズンは1度もリーグ優勝できなかった。

関東では早稲田大の和田毅(投手、現・ソフトバンク)、亜細亜大の木佐貫洋(投手、現・巨人コーチ)、日本大の村田修一(内野手、現・巨人コーチ)ら自分と同学年のドラフト候補たちが「松坂世代」と呼ばれて注目されていた。この世代の先頭を走る松坂大輔は、西武ライオンズのエースとして活躍していた。その秋のドラフトでは33人の大学4年生が指名され、プロ入りした。ただ、澤井芳信の名が呼ばれることはなかった。

「3回生の秋には、スポーツ新聞に“来年のドラフト候補”として僕の名前も挙げてもらってました。なのに4回生の春がぜんぜんダメで、就職活動失敗です(苦笑)。そういう状況やったんで、夏ぐらいに社会人野球の練習に参加したんです。関東のチームでやってみたいっていう気持ちがあったので、知人の紹介で千葉の新日鉄君津の練習に行かせてもらったんです」

社会人で力をつけ、2年後のドラフトで今度こそプロ入りする。強い決意を胸に、澤井さんは市民球団かずさマジック(新日鉄君津を母体とした企業複合型チーム)でプレーすることを決めた。

平石監督は一生の友で、仕事のパートナー

4回生のとき、澤井さんは同志社大の副キャプテンを務めている。監督からキャプテンに指名されたのは平石洋介だった。平石は少年野球、中学のボーイズ、PL学園高校野球部と、所属したチームで常にキャプテンを任されてきた。PL学園3年生の夏、松坂を擁する横浜高校と甲子園の準々決勝で延長17回の激戦を経験した一人である。澤井さんと平石さんは、同志社大で1回生の春からともにレギュラーとして戦ってきた。

「お前がキャプテンやってもよかったんちゃうか、って言ってくれた先輩もいたんですけど、僕もキャプテンは平石やろ、と思ってました」。澤井さんも京都成章高校ではキャプテンをだったが、平石とはタイプが違うと言う。「平石は厳しいけど人間味があって、熱い。僕はどちらかいうと、チームの和を大切にするタイプです」

澤井さん(左)と平石さん。二人の縁はいまも深い(写真は本人提供)

平石は大学卒業後、社会人のトヨタ自動車を経て2004年秋のドラフト7巡目指名を受け、楽天に入団した。プロでは在籍7年間で通算122試合に出場、通算37安打に終わったが、引退後はコーチを経て昨年、梨田昌孝監督の成績不振によるシーズン途中辞任に伴い、監督代行を務めた。今シーズンからは正式に楽天の監督に就任した。平石のマネジメントも現在、澤井さんのスポーツバックスが手がけている。

「平石には引退した時から『お前は絶対監督になるから、そのときはうちに来てくれ』って言ってたんです。それが実現しました!!」

一生つきあえる友であり、仕事でのパートナーでもある平石と出会えたことも、同志社大学での4years.で得た財産の一つだ。

4years.のつづき

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