陸上・駅伝

特集:第53回全日本大学駅伝

早稲田大ルーキー・石塚陽士 出雲駅伝区間賞の先に描く「世界」につながる未来

出雲駅伝4区区間賞で一躍注目された石塚。じっくりと今の思いを聞いた(撮影・小野哲史)

2011年度以来となる学生駅伝三冠を目指してスタートした今年度の早稲田大学。出雲駅伝は6位に終わり、悔しい結果となったが、4区で区間賞に輝く快走を見せたのが、ルーキーの石塚陽士(早稲田実)だった。早大の1年生での3大駅伝区間賞は、マラソンで6位に入賞した東京オリンピックを最後に現役を退いた大迫傑氏が、11年の箱根駅伝で獲得して以来の快挙だ。名門復活のカギを握る新星が、出雲での自身の走りとこれまでの歩みを振り返りつつ、春にスタートを切った大学生活の抱負を語った。

自信を持って臨んだ出雲駅伝

相楽豊駅伝監督から「4区で行くから」と言われたのは、出雲駅伝4日前の水曜日の練習後だった。そのとき石塚の胸には、「やってやるぞ」という強い意気込みがこみ上げてきたという。「夏合宿もタレることなく、全部こなせたので、その部分はだいぶ自信になっていたからです」と語り、動画サイトで4区のコースを確認するなど、スタートラインに立つまでの準備も抜かりなかった。

3区の太田直希(4年、浜松日体)が4位で中継所に飛び込んできた。優勝を目指すことを考えれば、「もうちょっと前で来てくれたら嬉(うれ)しいなというのはありました」と言うが、「あのあたりの位置で来る展開もなくはないと思っていたので、全く想定外ではありませんでした」と石塚はあくまでも冷静で、襷(たすき)を受けると勢いよく走り出した。

出雲駅伝での区間賞は喜びより驚きのほうが大きかったと振り返る(撮影・小野哲史)

最初の1kmは2分40秒。「駅伝のセオリーである入りを突っ込むというところはできて、うまく2位集団との差を詰められたのは良かった」と振り返るように、10秒前にスタートした青山学院大学の若林宏樹(1年、洛南)に早い段階で追いつくと、並走しながら創価大学の濱野将基(3年、佐久長聖)を抜いて2位に躍り出る。中間点を過ぎてからの後半3kmは、「向かい風や気温30度を超える暑さがあって、ずるずると行ってしまった。1km3分10秒ぐらいまでかかってしまったのは反省点です」と言いながら、青学大をぐんぐん引き離した。

ラストも切り替えた石塚は、襷を受けた時点で43秒あった首位・東京国際大学とのタイム差を、5区の伊藤大志(1年、佐久長聖)につないだ時には24秒に縮め、堂々の区間賞も獲得した。「走り終わって時計を見たら18分40秒で、かなり遅めのタイムでした。だから区間賞を獲れるとは思っていなくて、区間賞と聞いた時は、喜びよりも『えっ?』という驚きの方が強かったです」と笑う。結果的に早大はここから順位を落とすことになるものの、レース終盤に入ったこの時点でチームを再び勢いづかせたのは間違いなかった。

課題を残したトラックシーズン

出雲駅伝で持ち味のスピードを存分に見せつけた石塚だが、高校までの実績面でも大一番での安定感が光る。町田南中3年のシーズンは、全中で1500m4位、3000m3位と2種目で入賞した。早稲田実高に進んでからも、1年生で国体少年B3000m3位。2年生の沖縄インターハイでは1500mと5000mでともに8位入賞を果たし、国体でも少年A5000mで8位に入った。さらに昨年度はインターハイの代替大会として行われた全国高校大会の5000mで6位に入ると、秋には日本選手権1500mに出場し、シニア選手に混ざって9位と健闘している。日本一の経験こそなかったが、全国大会のような舞台でも「大きな失敗をしない」というのが石塚の自己評価だ。

ただ、早大に入学した今年度のトラックシーズンは、1500mで出場した関東インカレの6位や日本選手権(予選敗退)といった結果を「あまり良くなかった」と振り返る。「自己ベスト(3分44秒62)を更新できなかったですし、日本選手権はラスト勝負が苦手と分かっていながら、最初に出られず、うまく使われるかたちで自分のレースができなかったからです」

関東インカレ1500mではラスト1周まで前方につけるも、6位となった(撮影・藤井みさ)

その要因を石塚は、「5月や6月は授業との両立を始めたばかりで、練習もついていくのが精一杯でした。練習の手応えを得られないまま、試合を迎えたという感じで、走る前に自分に自信を持てなかった」と考えている。石塚が所属するのは教育学部の中でも理系の生物学専修で、寮から1時間20分ほどかかる早稲田キャンパスがメインとなる。オンライン授業もあったが、前期は週4日通わなければならず、チームで主に水曜や木曜に行われるポイント練習に参加できないことも少なくなかった。しかも授業は、2年生になればさらに忙しくなるという。また、石塚にとっては初めての寮生活で、いろいろと慣れない面もあったに違いない。

石塚は何かを決断しなければならない時、しっかりと将来を見据えた上で決断を下す。たとえば早大への進学は、高校を決める段階で考えていた。「中学時代から監督から言われたことをただやるというより、監督とコミュニケーションを図りながら自分で考えて取り組んできたので、高校も早稲田大学に進むことを考慮しながら、同じように取り組める早実に決めました」

大学入学後すぐは授業と練習の両立に手一杯だったと振り返る(撮影・藤井みさ)

大学での学部も「陸上競技に多少は関わる分野の勉強ができるところで、大学卒業後のことを考えた時に、競技を続けるかどうかはまだ決めていませんが、理系の道に進みたかった」と話し、それに加えて教職課程も履修しているのは、「いつか教員になって陸上を指導したいと思うかもしれないから」と語る。「陸上をやりたいから、自分の学びたい勉強を諦めることはしたくない」という信念が石塚の根底にはある。

充実の夏合宿が秋シーズンの快進撃へ

納得のいくレースが少なかったトラックシーズンだったが、その間も秋の駅伝シーズンに向けて、長い距離への準備をしっかりと進めていたのは、用意周到な石塚らしい。「日本選手権までは1500mで試合に出ていましたが、それが終わってゼロから作るとなると、出雲には間に合わない。春から基本的なジョグの量は減らさずに続けてきました。それがあったので夏合宿にもスムーズに移行できたと思います」

7月から5000mのレースに出場し始め、下旬から行われた夏合宿では、相楽監督から「8月の月間走行距離を上級生は800km、1年生は700kmを目指していこう」と言われたが、石塚は「駅伝のレースになれば、学年は関係ない。そこで区別されるのは自分としては嫌だった」と、自ら先輩たちと同じ目標を設定。各自ジョッグの日に質をできるだけ落とさずに距離を踏むことを意識した結果、10000mで27分55秒59を持つエース格の太田に次ぐ、チーム2番手の845kmを走破した。そこでつかんだ自信が、9月の5000mでの自己ベスト(13分55秒39)や出雲での快走に結びついたわけだ。夏合宿では最も長い35km走も問題なくこなし、全日本大学駅伝、箱根駅伝と徐々に伸びていく距離に対する不安もないという。

世界の舞台で活躍する選手になっていきたい。石塚の思いにブレはない(撮影・小野哲史)

大学入学当初から描いている、石塚の4年間の青写真には少しのブレもない。「早稲田のスローガンは、常に世界を見据えていくこと。日本国内だけに視野を向けるのではなく、来年からは世界大会も本格的に再開されていくと思うので、ワールドユニバーシティゲームズなど世界の舞台で活躍できる選手になっていきたいです」

ここでも「専門種目を絞るというより、どの種目でも行ける準備をして、最終的に戦えそうな種目を選びたい」と語るあたりに、石塚の一貫した思考が垣間見える。しかし、国内で戦えない選手に「世界」を口にする資格はない。そんな思いを胸に、石塚は今、間近に迫った全日本大学駅伝と、その後に続く箱根駅伝に気持ちのすべてを向けている。

「今季はチームとして3大駅伝の三冠を目指していて、出雲では優勝することができませんでしたが、まだ二冠の可能性は残っているので、そこに貢献できるようにやっていきたい。全日本はどの区間を走るか決まっていませんが、12km前後の区間だと出雲の約2倍。残りの期間でしっかり練習を積んで、出雲のように区間賞を取ったり、区間賞争いに加わるような走りができたらと思っています」

陸上も勉強も、自分が選んだことに対してはすべて全力を注ぐ。石塚のその実直な姿勢が、名門復活を目指すチームに、もはや欠かせない存在になりつつある。

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