陸上・駅伝

日体大・大畑怜士、けがを乗り越えてブレイク 準エースへと成長したラストイヤー

けがに苦しんだ日々を糧にして、大畑はこのラストイヤーにかけている(撮影・藤井みさ)

第98回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会

10月23日@陸上自衛隊立川駐屯地周回コース(21.0975km)

3位 日本体育大学  10時間39分32秒
大畑怜士 個人91位  1時間04分12秒

今シーズンの日本体育大学はエース・藤本珠輝(3年、西脇工)の活躍が目立っているが、このラストイヤーに花開いた選手がいる。大畑怜士(れお、4年、島田)だ。

大畑は春シーズンに覚醒し、5000mで13分台(13分58秒24)、10000mで28分台(28分41秒93)をマークするなど、チームの準エースへと成長を遂げた。だがそれまでの大学3年間は度重なるけがに苦しみ、主要大会への出場はゼロ。初出場となった今年の関東インカレや全日本大学駅伝関東地区選考会、日本インカレで力を示し、箱根駅伝予選会にも挑んだ。そんな大畑にこれまでの軌跡とラストイヤーに急成長を遂げた要因を聞いた。

島田の先輩・池田耀平に憧れて

大畑は中学校ではバスケに打ち込み、島田高校(静岡)に進んでから陸上を始めた。中3で出場した地域の駅伝で「走るのが楽しい」と実感し、また「身長が高くないのでバスケよりも陸上が活躍できる」と思い始めたことがきっかけだった。高3では主将を務めた。大畑は「キャプテンを務めて、前に立って練習する意識が芽生えていい経験ができました」と振り返る。記録も学年を上がるにつれ伸びていき、高1の時は5000mで15分台だったが高3では14分27秒までタイムを縮めた。そんな高校時代を大畑は「70点です。インターハイ、都大路に行けなかったのは悔しいです。でも県で戦える力がついてキャプテンを経験できたからです」と評価する。

大学は伝統校である日本体育大に進学。池田耀平(現・カネボウ)に憧れたからだ。池田は島田時代の1つ上の先輩でもあり、「高校の時から目標にしていました。いつか追いつきたい、超えたいという思いがあって、日体大しか考えていませんでした」と大畑は池田に対する熱い思いを語った。

「1年生からガツガツいってやろう」と強い気持ちをもって挑むも、前半戦は膝(ひざ)下や足首のけがに苦しんだ。その秋に復帰を果たし、5000mや10000m、ハーフマラソンに挑戦したが、「思い描いていた記録はでなかった」と振り返る。2年目も同じ故障に悩んだ。「周りにどんどんタイムを抜かされていきました」と悔しさを抱えながら、時間だけが過ぎていった。

ラストイヤーに向け、同期と一緒に毎日40km

3年生になってから復帰をしたが、「2年生の時に走っていなかったので、調子を取り戻すのに苦労しました。ベストを狙いにいく状態ではなかったです」と万全な状態では走ることができなかったという。だが、大畑は故障の時期も補強で鍛え続け、「1年生から3年まで全然走れなくて補強ばかりしていました。体幹では誰にも負けないです」と前向きな気持ちを崩すことなく、練習を継続した。

日体大は昨年度の箱根駅伝で14位に終わった。大畑は「メンバーに絡むことすらできなかった。先輩方も期待してくださっているので、その期待に応えたい思いが強かった。自分がやってやろう」と強い決意を胸に、大畑は1月から3月まで、毎日40kmと長い距離を踏んだ。その練習の陰には仲間がいた。「1人では練習できませんでした。一緒に付き合ってくれた水口(裕斗、4年、加藤学園)には感謝したいです」と仲間に支えられた。

子どもの国マラソンのハーフマラソンの部で優勝し、大畑は大きな自信を得た(写真提供・saya)

この努力が結果に表れた。3月にあった子どもの国マラソンのハーフマラソンの部で初優勝し、「やってきたことが結果に表れて、嬉(うれ)しかった」と喜びを語った。その後に行われた、全国招待大学対校男女混合駅伝では1区区間3位。「3kmでしたが、他大学とのレベルの差を実感しました。区間賞をとれなかったことがすごく悔しい」とこの大会を機に一段階ギアを上げたという。

ここから大畑の快進撃が始まった。3月の日体大競技会では5000mで高校以来となる自己ベストを更新。4月の日体大競技会では10000mで28分54秒16で28分台入りを果たす。このレースは当初、5000mに出場する予定だった。だが全日本大学駅伝選考会のメンバー入りをアピールするため、玉城良二監督と相談して変更した。29分30秒切りを目標にしていたが、8000mまで余裕があり、ラスト一周で攻めの走りを見せ、自己ベストをマーク。続く5月の関東インカレ男子1部10000mでは、「自分の走りができれば結果がでる」と自信を持ち、「緊張よりも周りの選手にどれだけ食らいついていけるか楽しみだった」と力に変え、28分41秒93と再び自己ベストを更新した。

関東インカレ男子1部10000mで大畑(33番)は自己ベストをマークし、準エースへと成長した(写真は本人提供)

そして6月の全日本大学駅伝関東地区選考会は、藤本とともに各校のエースがそろう最終組(4組目)に選ばれた。「任せてもらった以上、必ずいい走りをしたい」。大畑は前の方で勝負するつもりだったが、想定より速いペースだったため、後ろの集団についてレースを進めた。最終組の中で日本人7番手の15位に入り、日体大は7位で全日本大学駅伝の切符をつかんだが、大畑は29分00秒90のタイムにも納得できず、「自分の力不足を実感した」と不甲斐(ふがい)なさを語った。

充実した夏合宿を経て、箱根駅伝予選会の選考レースへ

7月の日体大競技会では5000mで13分58秒24をマーク。同じ組には久しぶりに一緒に走る島田時代の後輩もいた。大畑は「後輩には負けたくない」という強い気持ちから「タイムよりも勝ち切りたい」と勝負にこだわり、その気持ちが自身初の13分台につながった。「前回の試合を超えられれば、自己ベストが出る。気負いもなく自分はチャレンジャーとして、勝負に徹することができている」と気持ちの面でも成長を感じている。

7月中旬から9月初旬まで行われた夏合宿では、「チームを引っ張らないといけない」と最上級生、エースとしての役目を考えた。「みんながきつい時にペースを上げ、プラスαで練習に取り組めたことで充実した夏合宿になった」と力を更につけ、後半戦に挑んだ。

最後の夏合宿では同期の絆も深めた(2列目の右から2人目が大畑、写真は本人提供)

10月の日体大競技会10000mは、箱根駅伝予選会の選考を兼ねたレースだった。大畑の設定は29分30秒。嶋野太海コーチが5000mまで引っ張り、残りはフリーのレース展開だった。大畑は「最後まで余力を残していけた。予選会をイメージした走りができた」とまとめるレースができたという。29分18秒59とチーム4番目にゴールし、初めて箱根駅伝予選会のメンバーに選出された。「選ばれたことが嬉しかった。自分がタイムを稼いでチームに貢献したい」と予選会に向けて気持ちも高ぶっていた。

最初で最後の箱根駅伝「チームに貢献したい」

10月23日、日体大は74年連続箱根駅伝出場をかけて箱根駅伝予選会に挑んだ。1周2.567kmを8周するハーフマラソンは強風の中で行われ、「向かい風で力が奪われてしまった。後ろの集団走に追いつかれてしまい、タイムを稼げなくて申し訳ない」と大畑。チーム内8番手の91位でゴールし、「4年生の仲間にすごい助けられた」と同期への思いを口にしながら、自分の役割を果たせなかった悔しさをにじませた。

日体大はチーム全員の力で3位通過を果たし、74年連続箱根駅伝の切符を獲得した。大畑自身、「1年前の自分では、予選会を走れてることを想像できていませんでした」と言う。でも「故障していた時期も、腐らず補強できていたことで、体がぶれない走りができるようになった。故障している時期が長くつらかったけど、努力をし続けたことでメンバーに選んでいただけ、他大学と張り合えるまで成長できました。自分の走る姿を見て、『自分でもできる』と思ってもらえると嬉しいです」と、後輩に最上級生として背中を見せ続けることを誓った。

箱根駅伝予選会で大畑(44番)は序盤から積極的な走りを見せたが、強風に苦しめられ、チーム内8番目のタイムだった(撮影・藤井みさ)

箱根駅伝の目標は「任された区間でチームに貢献したいです。区間1桁でチームにいい流れを与える走りをしたい」と意気込む。どんなに苦しい時でも、努力を積み重ねてきたことが今の結果に結びついた。だからこそ最初で最後となる箱根路に向け、大畑はただ前だけを見ている。

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