軟式野球

創価大・山本裕二、先輩全員退部を乗り越えた高校時代「あの経験はすごく貴重だった」

山本は高1の11月に初めて野球をやめたいと思ってしまった(写真は全て本人提供)

山本裕二(創価大4年、安田学園)は5歳で野球を始め、昨年11月に軟式野球部を引退。今は母校・安田学園高校軟式野球部で学生コーチを務めながら、自分たちが立ち上げた草野球チームで野球を続けている。野球歴18年にもなる山本だが、1度だけ野球をやめようとしたことがあった。「なんのために野球をやっているのか分からなくなり、初めて野球を嫌いになりました」。そんな時に支えになってくれたのは、自身は野球経験がない高校時代の顧問・百瀬和徳さんの一言だった。

全国を目指していた1年目に同期7人だけになった

少年野球では東京都代表として東日本大会に出場し、ベスト8と結果を残している。中学校では目立った成績を残せなかったが、甲子園への憧れはあった。しかし安田学園に進んでから山本が引かれたのは、甲子園を目指している硬式野球部ではなく、創部2年目の軟式野球部だった。当時の練習場は屋上のテニスコート一面のみ。様々な環境整備はこれからという状況ではあったが、本気で全国を目指している先輩たちや百瀬顧問の熱意に触れ、「ここで頑張りたい」と思うようになったという。

しかし1年生だった11月、先輩たちが全員退部した。「うちは学業も頑張る学校だったので、その両立に悩んでいたようです」。先輩たちの姿を見て入部をした山本も現実に絶望し、初めて野球をやることに疑問を感じてしまった。大好きだった野球も嫌なものに変わっていた。それから何度も同期7人と話し合い、自分たちも退部をしようと考えた。その空気を察したのか、退部を申し出る前に百瀬顧問に呼び出され、こう言われたという。

「先輩たちがみんないなくなって悔しいよな。でもこの逆境から逃げたら何も残らないぞ。お前らが本当に全国に行きたいなら、俺の人生を捧げてでもお前らに尽くす」

その一言に「このご時世に、こんな熱い人もいるんだな」と山本は感じたという。これだけ自分たちのことを考えてくれる人は他にいないと思い、改めて野球と向き合う決意を固めた。

顧問の思いに触れ、退部を思いとどまった

「楽しい野球を全力でやろう」

それでも部員は7人。環境もままならず、試合すらできない。春の大会には他の部に助っ人を頼み、なんとか出場はできたが、結果は初戦敗退だった。「モチベーションの維持は難しかったと思います」。その中で山本は改めて「自分はなんで野球をやっているのか」を考えるようにした。少年野球を始めた時、当時の監督は知識や技術だけでなく、野球の楽しさを教えてくれた。「僕の野球の原点は『楽しい野球』だったなと思ったんです。だからその楽しい野球を全力でやろう、と気持ちを切り替えるとこができました」

2年生の春には百瀬顧問と一緒に勧誘に力を入れ、なんとか5人の新入生を確保。12人で2年目を迎え、夏の大会では東京都3位と結果を残した。「あのボロボロの状態からよく持ち直したなって思うんですけど、みんな『百瀬さんを絶対全国に連れて行くぞ』という気持ちで戦っていました」。最後の年は春と夏ともに準優勝、全国にはあと一歩届かなかった。特に夏はあと1勝で全国という大会だったが、「悔しいという気持ちよりも、あの苦しい状況を乗り越えてここまで来られてよかったという気持ちの方が大きかった」と山本は言う。

高校時代に乗り越えられたからこそ、大学でも軟式野球をやりたいと思えた

もし同じような苦境に陥っている人がいたなら、どんな言葉をかけますか?

「まずは一度、“目的感”を考える。特に大学生になればいろんな選択肢が広がりますし、野球以外にもやりたいことやできることはたくさんあります。その上であえて自分が今、野球をする意味は何なのか。それを改めて考えることが大切なんじゃないかな。正直、あの時は苦しかったですし、つらい思いもしました。でもその苦しい中で学ぶことはたくさんありました。今思えばあの経験はすごく貴重だったなと思います」

今は心から野球が好きだと思えるし、精神的にもタフになれたと感じている。野球を通して山本が得たものは、これからの人生においても大きな軸になってくれるだろう。

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