東洋大・藤原孝輝、高2で8m12を跳んだ男が世代トップレベルの二刀流を続ける意味
陸上競技の“ポスト東京オリンピック”を占う上で、藤原孝輝(東洋大1年)は注目すべき選手の1人である。洛南高校(京都)2年生だった2019年に走り幅跳びでマークした8m12(+1.7)は高校生初の8m台で、高校歴代2位の記録を16cmも引き離す突出した記録だ。国内のみならず、世界的にも世代ナンバーワンの存在に躍り出た。その藤原は110mHでも頭角を現し、世代トップレベルの二刀流選手として知る人ぞ知る存在となっている。
9月の日本インカレも2種目に出場し、走り幅跳びは7m55(+0.3)で6位、110mHは13秒72(+1.4)で5位。準決勝では13秒67(+1.4)の大幅自己新を出している。走り幅跳びでは伸び悩んでいるが、110mHでは順調な成長を見せた。藤原の現在地を日本インカレの結果と、柴田博之パーソナルコーチ(洛南高監督)への取材から探ってみた。
初のインカレ、110mH自己新でも5位
今春、洛南から東洋大学に進んだ藤原は、5月の関東インカレには故障の影響で出場できず、9月の日本インカレが初の大学対校戦となった。2種目に出場した感想を次のように話している。
「走り幅跳びは感覚が良かったのに記録を伸ばせませんでした。何が原因か分からなくて、これからスタッフや先輩方と相談していきます。110mHは初めてスタートがうまくできて、特に2歩目、3歩目が良かったです。決勝は3台目で浮いてしまって多くの選手に先行されてしまったのですが、準決勝では中盤、後半につなげられました。ハードリングはそこまで変えられたということはありませんが、刻む速さは変わってきています」
藤原の身体的な特徴は、「春に190cmに乗りました」という長身だ。110mHのスタートから1台目までの歩数は7歩で、中学の時からその歩数だという。一般的には8歩で、7歩の選手も近年現れ始めてはいるが、中学の時からという選手は聞いたことがない。身長が高くバネもあるから、無理なく大きなストライドが可能になるのだろう。
しかしストライドが大きいことは、ハードル種目ではプラスになるとは限らない。ハードルに対して踏み切る位置が近くなってしまうからだ。上方向に跳び上がるハードリングになり、タイムをロスしてしまう。藤原が跳躍力を生かし、遠くから踏み切るハードリングをするためには、ハードル間を小刻みに走る必要がある。藤原が言った「刻む速さ」は、遠くから踏み切るための小さなストライドを以前よりも速く刻めるようになった、という意味だ。柴田コーチは「中学の頃から体は大きいのに速く動くことができる選手でした。ハードルのように距離・歩数の制限がある中で速く体を動かすことができれば、(他の種目にも応用できる)感覚的な部分が優れていく」と話している。
高校時代にハードルでも全国トップレベルだった藤原が、自己記録を更新しても日本インカレでは5位だった。これは110mH全体のレベルが上がっているからに他ならない。優勝した泉谷駿介(順天堂大4年、武相)は今年6月の日本選手権優勝時に13秒06(+1.2)の日本記録、今季世界5位のタイムを出した選手である。東京オリンピックでは準決勝に進出した。
泉谷の日本インカレ優勝タイムは13秒29(+1.4)で、2年少し前なら日本新のタイムだった。2位の横地大雅(法政大3年、城西)と3位の村竹ラシッド(順天堂大2年、松戸国際)は13秒4台。数年前なら簡単に日本インカレで勝ってしまうようなタイムで走っているのだ。5位の藤原が「110mHはいい結果を出せた」と話すのはそうした背景がある。そして「もっと上を目指していけると感じられた試合です。 走り幅跳びとの両立は大変で疲れも出ましたが、収穫も多かった」と続けた。
U18世代で世界トップの力を示した走り幅跳びだけでなく、110mHも国内で切磋琢磨(せっさたくま)していけば世界で戦う選手に成長できる。日本インカレはその可能性を感じさせた。
そして2種目に挑戦することの利点も藤原は感じていた。「(技術的な)相乗効果はあまり感じていませんが、どちらかで失敗してももう1つがうまくできれば気持ちが楽になります」
洛南の選手は2種目を行うことが多いが、「一番の目的は“逃げ道”を作れること」(柴田コーチ)だという。専門種目を1つに絞ると、壁に当たった時に精神的にも苦しくなる。その時、別の種目で結果を出せれば平常心を保つことができ、壁に当たっている種目の原因も冷静に分析できる。本当に逃げてしまうのではなく、再挑戦する態勢を整えるための“積極的な逃げ道”と言えるだろう。日本インカレの藤原が、まさにそれだった。
高2で8m12という記録が誕生した背景は?
藤原が高2だった19年。8月のインターハイ走り幅跳び優勝時にマークした8m12は突出したレベルの記録だった。陸上ではU20だけでなくU18でも世界選手権が開催され、記録集計も両カテゴリーで行われている。藤原の8m12はU18で19年の世界1位。2位選手の記録を39cmも引き離していた。同年のU20世界リストでも、2歳年上のジャマイカ選手に7cm上回った上での1位だった。
どうしてそこまでの記録を高2の段階で出せたのか。藤原本人は「踏み切り前のリズムにアクセントを付けられるようになり、地面からの反発を受けやすくなりましたが、実際のところ整理し切れていない」と当時の取材で話していた。1988年ソウルオリンピック走り幅跳び代表だった柴田コーチも、明確に“これだから”とは話さない。
ただ、藤原がブレイクする要素はいくつかあったという。日本陸連による科学的な分析では、(1)踏み切り前の助走スピード減少を最小限にとどめながら踏み切り時の鉛直速度を獲得できる(2)踏み切り時の重心が高い(3)踏み切り動作の後半でも地面に力を加えられる、ことなどがデータ的に明らかにされている(陸上競技マガジン2019年12月号より)。
柴田コーチは以前から「助走の減速が少なく踏み切ることができるので、もうひと伸びがある」と藤原の跳躍を見ていた。そして長年の指導経験から、次のような特徴があると指摘する。「藤原には足首とヒザ関節の強さがあります。走る動作を行っている中で、一瞬で関節を固められる。地面から返ってくる力を、関節を固められるから体の中心でしっかり受け取ることができるんです」
桐生祥秀も育てた洛南式トレーニング
洛南はインターハイ総合優勝9回が示すように、多くの種目で全国レベルの選手を輩出してきた。「中学生でもできるメニューばかりですが、それを正しい姿勢で行うことが洛南高のトレーニングです。その基本をしっかりとさせること、弱い部分を補強すること、100mを速く走れるようにすること。専門種目に特化したトレーニングはしていません」
日本人初の100m9秒台(9秒98、日本歴代3位タイ)を東洋大4年生の時にマークした桐生祥秀(日本生命)も洛南で育った。種目に特化はしていなかったが、「関節を固めて地面からの反力を水平方向に転換する動作」は洛南でのトレーニングの多くで意識できる。短距離だけでなく、ハードルや走り幅跳び、三段跳び、混成競技でも多数のトップ選手を輩出してきた理由がそこにある。
だが藤原の関節を固められる特徴は、「諸刃の剣」でもある。「大きな力が伝えられる分、体の弱い部分に大きな負荷がかかります。それで藤原の場合は腰を痛めることが多いのです」。高2のシーズン前も腰を故障していたし、今年も「3月中旬から6月の頭まで、股関節と腰の2カ所」(藤原)を痛めて練習が十分にできなかった。そうした短所を補うために、藤原は人一倍の努力をしてきた。腰を痛めている時期に陰で補強をしているシーンを、柴田コーチは何度か見ているという。
8m12は藤原が大きな体でも素早い動きができること、関節を瞬時に固められること、洛南が地面反力を利用するトレーニングを重視していること、補強など地道な練習を継続することなどが背景にあり、多くの要素がインターハイという高校生が極限の集中力を発揮しやすい大会で凝縮されて誕生した。
短距離と走り幅跳び、走り方の違いに直面
東洋大に進学した藤原は引き続き柴田コーチの指導を受けているが、試合中の指示など細かい部分は東洋大スタッフが行っている。もともと柴田コーチは「観察型の指導者」だという。選手の動きや状態を一定期間見た上で指導者側の考えを選手に話し、選手自身の考えも引き出して今後の方針を話し合う。試合や練習の映像が東洋大スタッフから柴田コーチに送られるが、その都度コメントを返すスタイルではない。
前述のように、「こうしたからこの結果になるんだ」と安易に決めつけないのも柴田コーチのスタイルだ。日本インカレの藤原についても「成長のどの段階にいるか、つかみきれていません」と前置きした上で、走り幅跳びと110mHの2種目を行う利点と難しさの双方が同時進行していることを指摘する。
利点としては、スピードが上がっていることが一番だという。「大学1年時は故障もあったので、短距離に重きを置いて強化を進めてきました。技術も大事ですが、どのくらいスピードが高まるかを見てみたかった」と柴田コーチ。100mは高校時代の11秒20から10秒64に、200mは21秒68から21秒38に上がった。100mの方が急激な上昇だが、高校時代の出場レースが少なかったことがその理由で、200mの方が現状を表している。東洋大は桐生が9秒台スプリンターに成長した大学で、今年の日本インカレでも鈴木碧斗(2年、大宮北)が100mで優勝している。「10秒5で走っても速く見えない東洋大の環境を利用させてもらっています」
純粋なスプリントとハードルの走りはイコールではないが、110mHのタイムも日本インカレで一気に伸びた。そして助走スピードが速い走り幅跳び選手ほど記録が良くなる傾向があることは、客観的なデータでも実証されている。しかし藤原の場合は、スプリント力の向上が走り幅跳びにつながっていない。今の走り方では走り幅跳びではしっかり踏み切れないと柴田コーチは感じているし、藤原自身も日本インカレ2週間後に200mを走った際に「これでは跳べない感覚です」と話したという。
「トレーニングには“獲得”と“消失”が必ずある」
柴田コーチは「トレーニングには“獲得”と“消失”が必ずある」と言い続けてきた。レベルが高くなければ、獲得が消失を上回ることは難しくない。だが高いレベルで突き詰めるトレーニングをすると、ある点ではプラスに働いても別の点でマイナスが生じてしまう。これも「科学的なエビデンスがあるかと言われると、説明が難しいのですが」と、前置きをして次のように指摘する。「今季は恥骨を痛めたこともあって、以前は股関節から腸腰筋だった主導筋が、大臀筋(だいでんきん)からハムストリングに移りかけています。これはスプリントにはプラスの筋肉の動かし方ですが、踏み切り動作を考えると鉛直方向の力を出しにくい」
別の言い方をすれば、脚を素早く回転させてスピードを出すのではなく、地面をしっかり押す走りでスピードを出す。前者は100mの選手に多いピッチが強調された走りだが、後者は走り幅跳び選手に多い“ゆっくり走っているように見える走り”である。前述の陸連によるデータ分析で、8m12の跳躍は(3)踏み切り動作の後半でも地面に力を加えられること、が判明した。踏み切り動作と走りの動作はもちろん違うが、当時の藤原が地面をしっかり押すタイプの動きだったことは推測できる。
今季は短距離のスピードを上げることに傾注してきたが、来季以降、走り幅跳び寄りの走り方に戻すことも選択肢の1つだ。そして藤原が走り幅跳び寄りの走りをしていても、周囲に速い選手が多ければ自然と走るスピードが上がっていく。東洋大の環境は、藤原が走り幅跳びに向かって行く時にも必ずプラスになる。「自分が8m12を跳べたのは事実です。その力を自分が持っている。そう言ってもらうことも励みになっています。8m12を出した時の解析と同じ跳躍でなくても、違う方法でも8mを跳べるかもしれません。現在の体と跳躍で跳びたいと思っています」
自己記録に2年間近づいていないが、藤原は前向きのメンタルをしっかり維持している。
大学で2種目を行うことの意味
だが現時点では、走り幅跳びに専念していくと決めているわけではない。短距離寄りの走りで110mHの記録が上がっているからだ。藤原は日本インカレで「いつかは種目を絞るかもしれませんが、大学にいる間は2種目に取り組んでいきたいです」と話した。走り方としては高いレベルで両立しにくい面もあるが、長身の選手が踏み切るという点で優位性のある2種目かもしれない。8m12の跳躍の陸連によるデータ分析にもあったように、(2)踏み切り時の重心が高いことは走り幅跳びで有利に働く。110mHでも、ハードル間を小さなストライドで刻む大変さはあるが、106.7cmのハードルを越える動作において重心の高い長身選手は間違いなく楽になる。
柴田コーチは「現在はまだ過渡期」だと言う。「何百人という素材を見てきましたが、藤原はちょっと違うな、と感じられる選手です。だからこそ、決着をつける時期は少し後でもいい。大学4年間を高校3年間の感覚で育ててもいいのかもしれません」
しかし洛南時代と全く同じでいい、とは考えていない。大学前半は“逃げ道”を作っておく意味で2種目を行ってもいいが、「大学卒業後に絞ることを考え始めたのでは遅い」と感じている。「藤原が世界に挑んでいくのがどちらの種目になるのか。それは分かりませんが、徐々に逃げる時ではなくなっていく、ということです。走り幅跳びの助走と110mHのインターバルの走り、それぞれの種目に応じたトップスピードを養成していかないといけない」。つまり両種目でそれなりの結果を残しながら、絞る種目を考えていく。簡単なことではないが、藤原もその覚悟はできている。
「来年は走り幅跳びでもう一度8mを跳ぶことが目標です。どうしたら自己記録が更新できるか、工夫していきたい。110mHは成長できていると今回感じられたので、学生日本一を目指します。オリンピックや世界陸上オレゴン大会の標準記録(13秒32)も破れるように記録を上げていきたい」
4年間の学生競技生活で2種目を両立させることが、将来的にどちらかの種目で世界トップレベルに成長する基礎になる。藤原はそのスタート地点に、今年の日本インカレで立つことができた。