日体大・矢澤宏太 大学3年で花開いた二刀流「すべてのタイトルを獲得してプロへ」
首都大学野球リーグで、1年時から主軸として、今年度からはエースとしてもチームを牽引してきた日本体育大の矢澤宏太(3年、藤嶺藤沢)。同じ「二刀流」で、ア・リーグMVPに輝いた大谷翔平(エンゼルス)を「自分とはレベルが違い過ぎる。1人の野球ファンとして見ている感じ」と笑う来季のドラフト候補は、2年前の春にどのような思いで大学生活のスタートを切り、どんな日々を過ごしながら自身の技と心を磨いてきたのか。充実の3年目を終えた今の心境を聞いた。
二刀流でつかんだ大きな手応えと自信
大学では、投手として1年目に2試合、2年目に1試合、合計8イニングの登板があるものの、矢澤が実戦で本格的に「二刀流」を披露したのは、今年度の春季リーグ戦からだ。4月10日、東海大との開幕戦に「3番・投手」で先発出場。以降も毎週土曜日は先発投手を務め、翌日の日曜日はDHか野手で起用された。帝京大、筑波大、桜美林大との試合では土日連戦で4番に座っている。最終的な投手成績は2完投1完封を含めて3勝2敗、防御率0.90。エースの役割を十分に果たした一方で、野手としては打率.182と、チームの中軸とすれば物足りない印象も残った。その要因にもつながるが、春季リーグを通して感じたのは、「(肉体的に)しんどかった」と矢澤は語る。
「試合中は気持ちも入っているので一切感じませんが、たぶん疲れはたまっていて、気づかないところでバッティングのフォームが変わったり、力が入ってしまったりという部分があったと思います。1戦目に先発した後、2戦目にDHで出るだけでも体幹がきつく、打席で相手ピッチャーに顔を向けるのも首が張って見づらい感じでした」
そこで矢澤は秋に向けて、「ピッチング練習を多めにした次の日から朝一のバッティング練習に入って、しっかりと体を動かせるように意識しました。春が終わってから秋までは、今までで一番バットを振りました」と振り返る。それまでは投手練習の翌日はストレッチなど軽めのメニューから入っていたのを、より強度を高め、二刀流に耐えうるフィジカル強化に努めたわけだ。その取り組みが秋季リーグで実を結んだ。
投手成績は春と同じ3勝2敗だったが、登板回数は54回と3割以上増え、3勝すべてが完封勝利。なかでも11奪三振で自己最速の150kmをマークした帝京大との開幕戦は、矢澤自身が「150kmを投げられたのに加えて、キャッチャーと意思の通ったボールの数が多かった」と、これまでのベストゲームに挙げている。
打撃面でも打席数は春より減ったものの、打率をちょうど3割に乗せ、改めてバッティングセンスの高さも示して見せた。ちなみに矢澤にとって野手として会心の試合は、今春の帝京大2回戦。九回裏にサヨナラ本塁打を放った一戦を挙げる。「常に大きい当たりは狙っています。その試合はDHで4打席無安打でしたが、コーチの辻(孟彦)さんに『ここで打ったらスターだな』と言われ、『絶対に打ってやろう』と思って打席に立ちました」。単なる成長というだけにとどまらず、二刀流の選手として大きな手応えと自信をつかみ、矢澤は大学3年目のシーズンを終えた。
投手としての土台作りに注いだ2年間
幼稚園の年長で野球を始めた矢澤は、町田シニアに所属した中学時代を経て、高校3年間は藤嶺藤沢で過ごした。激戦区の神奈川では結局、甲子園出場は一度も果たせなかったものの、最速148km、高校通算32本塁打という矢澤に対する注目度は高く、多くのプロ球団のスカウトやメディアが試合や取材に訪れた。
2018年のドラフト会議では、プロ志望届を提出した矢澤に声はかからなかったが、「(当時は)プロの世界は全くイメージできていなくて、自信もなかった」と、悔しさや落胆の思いは湧かなかった。翌朝、藤嶺藤沢を訪ねてくれた日体大の古城隆利監督と話をし、「4年間できっちり成長できる。大学で野球をやるとなったら、もうやる気しか出てこなかったです」と、すぐに気持ちを大学へと切り替えていた。
日体大で二刀流を続けることも、まもなく決まった。「古城監督から『どっちをやりたいんだ?』と聞かれ、自分は『チームに従います』と答えたところ、監督さんから『どっちもやろうか』と。高校まではピッチャーも野手も両方やるのが普通だったので、自分としては今まで通りの野球をするという感じでした」。ただ、中日ドラゴンズでプロ選手経験を持つ辻コーチは、矢澤に大きな可能性を感じながら、同時に課題もあると見ていた。
「(矢澤を)高校の時から試合などで見ていましたが、彼の身体能力も含めて、監督とは野手として1年生からレギュラーで出場できるのではないかと評価していました。でも、投手としては1試合で10個ぐらい三振を取ったかと思えば、10個ぐらいフォアボールを出したり、まっすぐのボールをワンバウンドさせたり、ワイルドピッチも多かった。肩の強さや足の速さはありましたが、全体のバランスはまだまだで、フォームも一級品の肩に頼っていた印象です」
そこで古城監督や辻コーチと相談して立てたのが、「まずピッチャーとして体作りをして、上級生になってから試合で投げられるようにする」というプランだった。ウェートトレーニングは、投手全員に課せられる2日に1回のメニューはもちろん、足りない分は空いた時間を見つけて補い、全身を鍛えた。他にも「基礎となる投球動作を身につけたり、土台となる部分をひたすらやりました。本当に地道なことばかりでした」と矢澤は振り返る。辻コーチが説き続けたキャッチボールの重要性をしっかり理解し、実践したのも大きかったようだ。
大学に入学してからの2年間は、投手として大輪の花を咲かせるために、じっくり水や肥料をやり続けるような日々だった。
すべての個人タイトルを獲得し、ドラフト1位でプロへ
野手としての矢澤は、辻コーチの見立て通り、1年の春から出場機会をつかんだ。秋には「1番・センター」のレギュラーポジションを獲得。2年生になると春季リーグ戦はコロナ禍で中止となったが、秋は.368で打撃ランキング6位に名を連ねるとともに、ベストナインに選出される活躍を見せた。
練習に関して言えば、これまで3年間、投手のメニューはすべて行ってきた。ただ、野手の練習は、「基本的にはバッティングだけ入って、昨年まではリーグ戦前にサインプレーのシート打撃やシートノックに入るという感じでした。今年は外野でシートノックに入ったのは2回ぐらいで、あとは自主練習中に誰かが打っているのを捕ったり、バッティング練習中に外野に入って守っておくぐらい。他の人ほどたくさんノックを受けていません」と語る。
それでも投打両方をこなさなければならない二刀流の矢澤は、練習に割く時間が他の選手よりはるかに多い。その点は日頃から意識し、工夫していることがあるという。「だいたい夜9時ぐらいに次の日の練習時間などの連絡が流れてきますが、すべて入るピッチャー練習以外の時間はいつかなと確認します。たとえばピッチャーの朝練がなければ、朝にグラウンドに行ってバッティング練習をして、午後は他のピッチャー陣と一緒にやる。その日に決めるのではなく、前日のうちからある程度、次の日をイメージして予定を立てるようにしています」
試合中も感情のコントロールには気を遣う。野手で出場している時は、「いろいろな選手とコミュニケーションを取りながら、出番が回ってこないイニングなどはリラックスしてできる」という反面、投手を任された時は「キャッチャーとは最低限のコミュニケーションを取ったりしますが、こちらの攻撃中は自分の中で集中して次を考えているので、誰とも話をしないこともあります」と話す。
「そういう意味で、試合中に楽しいと思えるのはメリハリがある野手。ピッチャーは試合中に一喜一憂してはいけないと思っているので、そこまで楽しめませんが、試合が終わってバスに乗り込んだ頃に、『あぁ今日はやり切ったな』という充実感があります」
来年度に向けてスタートを切った新チームで、矢澤は副主将に就任した。来月行われる侍ジャパン大学代表候補合宿メンバーにも選ばれており、モチベーションは高まる一方だ。「(来年度は)チームでは日本一を獲(と)りにいく。新チームが始まって日本一を獲るんだという話もしょっちゅう出てきますし、本気で狙っています。個人としては昨年が外野手で、今年はピッチャーでベストナインを獲れたので、あとは首位打者と最優秀投手、そしてMVPも全部獲りたいと思っています」
大学で獲れるタイトルはすべて獲り、そこをステップに「ドラフト1位でプロに行く」。矢澤には、そんな自身の未来がはっきりと見えている。