近畿大学の紙森陽太、9大会ぶりの選手権へ押し上げた世代最強の左プロップ
関西大学ラグビーで旋風を巻き起こした近畿大学が全国大学選手権に9大会ぶりに挑む。昨季は新型コロナウイルスの影響もあり、リーグ最下位の8位に終わったが、今季は開幕戦で5連覇中だった天理大を下して勢いに乗って6勝1敗で2位に入った。10回目の出場となる第58回大会は、初戦の4回戦(12月18日@東京・秩父宮)で、慶應義塾大(関東対抗戦4位)と対戦する。
関西で旋風、初の秩父宮
近大の中心選手としてFWを引っ張ってきた一人が、世代最強のPR(プロップ)との呼び声が高い副将の1番、紙森陽太(4年、大阪桐蔭)だ。紙森は「正直、優勝して1位で大学選手権に出たかったですが、みんな、全力を出して頑張っての2位だったので悔いはないです。慶應と戦えますし、初の秩父宮ラグビー場なのでワクワクしています!」と笑顔を見せた。
近大が掲げた今季の目標は、大学選手権ベスト4だった。紙森は「今は、目の前の試合で慶大を倒すことに集中していますが、9シーズンぶりの大学選手権に出るからにはベスト4(慶大に勝つと準々決勝は東海大戦)を達成して国立競技場に行きたい」と意気込んだ。
現在の4年生は、紙森だけでなく、キャプテンCTB(センター)福山竜斗(4年、天理)、LO(ロック)山本秀(4年、京都成章)らがおり、中島茂総監督も期待して1年生から積極的に起用してきた代だった。「(同期は)いろんな個性があるいいプレイヤーばっかりで、みんなひたむきに努力すれば、天理大を倒して、関西で優勝が狙えると思っていた」(紙森)
ただ、コロナ禍の昨季は順位決定戦を辞退することになり最下位に終わった。紙森は「(試合ができず) 途中で終わってしまって、やっぱり不完全燃焼で悔いが残るシーズンだった。今季こそは、と思って全員で頑張っていました」と振り返った。
関西では優勝した京都産業大との一戦に12-16で惜敗して初優勝を逃し、紙森は「スクラムで自分たちの形をうまく出せなかった……」と肩を落とした。それでも開幕の天理大だけでなく同志社大にも勝利し2位に入った。その要因を聞くと紙森は「得点をされることが少なかったので、ディフェンスが特に伸びたと思います」と胸を張った。実際7試合のうち6試合は失点を10点代以下に抑えた。
近大では、春から「コンディション」と呼ばれる練習が週1回あり、1時間半、ほとんどボールを使わず走ったり、タックルしたりというトレーニングに費やすという。シーズンに入っても試合がない週は「コンディション」を続けていたことが功を奏した。「本当にキツいので、試合がある週は(コンディションがないので)ホッとします(苦笑)」(紙森)
プロップ一家の次男、ユース世代で結果
自分の役割であるスクラムに関しては、U19アイルランド代表を破った高校日本代表などユース世代の代表に選ばれた時から定評はあったが、昨季については「一人でどうにかしようと悩んでいた……」と正直に吐露した。今季はコーチ陣やHO(フッカー)金子隼(4年、中部大春日丘)と相談し、「試行錯誤して8人みんなでスクラムが組めている。右PR(プロップ)稲葉巧(1年、近大附)もすごく伸びましたし、ロック陣もすごく重いので結構、自信があります」と語気を強めた。
18日に対戦する慶大戦に向けて、紙森は「慶應さんは FWのセットプレーが強く、すごくいいチームなので、僕たちFWが相手のFWを抑えられるように頑張りたい。今季はバックスが大暴れしているので、FWは縁の下の力持ちになりたい」と意気込んだ。
紙森は大阪府出身。淀川工高、セコムでPRとして活躍した父(敏彦さん)と、陸上競技の砲丸投げで、高校時代に京都府内で3位だったという母の下、3人兄弟の次男として生まれた。
小学生の時は空手や囲碁教室に通っていたが、現在、ユニチカでプレーする兄のPR大樹(立命館大)の影響や、友人の誘いもあり中学1年から四條畷中などでラグビーを始める。紙森は当時からずっとPRで、父も兄も弟の智洋(大阪経済大3年)も全員PRだ。
中学のチームは決して強豪ではなく、12人がやっと集まり、大会に出れば1、2回勝つことができる程度だった。紙森は大阪府選抜のセレクションに残れず、さらには志望していた東海大仰星からも声がかからなかった。そんな時、早くから目にかけてくれていた大阪桐蔭高の綾部正史監督に「拾ってもらった」という。
「大阪桐蔭にフィットしていた」という紙森は、朝は400g、昼、夜600g、間食でも200gほどの白米を食べて体を大きくし、筋肉トレーニングにも精を出した。ベンチプレスは100kg挙がらなかったが、高校を卒業する頃には130kgは挙がるようになった。ちなみに現在では170kgを挙げるまで伸ばし、もちろん、チームトップクラスだ。
当時はチーム事情により右PRでプレーし、「花園」こと全国高校大会では高校2、3年で出場した。特に3年生の時は第97回大会準決勝で桐蔭学園(神奈川)を12-7で下し、同校初の決勝進出を果たした。決勝は、紙森にとっては因縁のある東海大仰星との大阪対決になったが、20-27で敗れて初優勝はならなかった。
「引き出し増えた」とスクラム磨く
それでも紙森にとっては、この試合がターニングポイントになった。「初めて大阪桐蔭として花園の決勝にいくこともできて、正直、楽しかった。この試合を通して、もっとラグビーをしたい、将来もラグビーを続けたいと思うようになりました」
大学までは大阪にいたかったことと、「最初に、熱心に声をかけてもらった」という理由で、スクラムに定評があった近大に進学した。元神戸製鋼のOB大西優希FWコーチ、OBの松浦圭二アドバイザー の下、年々、スクラムでの手や首の使い方など「引き出しを増やした」。紙森は身長173cm、体重105kgと世界的には決して大きくはないが、U20日本代表やジュニア・ジャパンなど国際舞台で活躍するまでに成長を遂げた。
「大阪桐蔭では文原俊和コーチには基礎の部分を教わって、近大では大西コーチや松浦コーチに新しいトレーニング方法や駆け引きなどを教えてもらった。(スクラムが)強くなったのは今まで僕に携わってくれたコーチのおかげだと思います」(紙森)
好きな言葉は「虎視眈々(こしたんたん)」。趣味は寝ること。憧れの選手は同じポジションのPR稲垣啓太(埼玉ワイルドナイツ)、近大OBの山本幸輝(神戸スティーラーズ)の2人だ。
卒業後、紙森は「リーグワン」の強豪チームに入る予定で、ラグビー選手としての目標は「日本代表になって活躍すること」である。「スクラムは良くなってきているとは思いますが、自分の中ではまだまだなのでチャレンジしていきたい」と先を見据えた。18日の試合は、100人ほどの部員全員と、紙森家も一家総出で東京まで応援に駆けつける。世代トップのPRとして紙森は「バックスの展開力も見てほしいですが、スクラムに注目してもらえたら、と思います。やっぱりスクラムで慶應を押したい」と腕を撫(ぶ)した。
「大学で一番成長した」という自慢のスクラムで、近大を初の国立の舞台へと押し上げる。