サッカー

「無駄にしちゃいけない」中村憲剛さんが中央大学サッカー部の後輩に伝えた思い

中村憲剛さんは中央大学の後輩に語りかけグラウンドで交流した(撮影・全て照屋健)

大学4年間は、プロになるための近道だった。昨年、J1川崎フロンターレで現役引退した中村憲剛さん(41)はこう語る。現在、関東大学リーグ2部に所属する母校・中央大学のサッカー部の後輩たちへ。1時間にわたる講演と、技術指導で伝えた思いとは。

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1番下からのスタート

「本当に1番下。経歴でも、能力的にも、1番下からのスタートでした」

12月14日。母校、中央大学多摩キャンパスに中村さんの姿はあった。サッカー部の後輩たち約60人を集めた日本財団による講演会。アスリートが母校を訪問し、経験を学生に伝える「HEROsプロジェクト」で、その思いを語り出した。

都立久留米高時代(現在は東久留米総合高校)では、都大会ベスト4。入学当初、同級生には「どこ高校?」と尋ねられた。全国高校選手権出場やJリーグクラブの下部組織にいた選手もいるなかで、大学では無名の存在。持久走ではゴールキーパーの選手に負け、「何しにきたの?」といわれた。それでも、「自分が1番下なのは分かっていたこと。あとは自分がやるだけだと思っていた」という。

講演は1時間ほど続いた

大学3年生のときには、2部に降格。そのときに意識したこと、取り組んだことを細かく、後輩たちに伝えた。

「52年間、中大はずーっと1部にいたんです。名門です。僕は10番をつけていて、戦犯なんです。自分が活躍したら、1部に残れた。すごい責任を感じました。使命感しかなかった」

歴史あるサッカー部で初めて、降格して2部で戦うキャプテンに就任。そのときの取り組みがその後につながった。

創部初の降格、2部主将の経験

同期、12、13人と毎日のようにミーティングをした。1部に戻るためには、全員が結束しなければいけないと考えていた。

部内の制度を変え、全員に役割を与えた。1年生も、部に関与してもらうように。「帰属意識をもってもらいたい」という思いからだった。普段はサッカーノートを書かなかった中村さんが「これは残さなければいけない」と練習メニューなどを記し、共有した。

「厳しいこともかなりいいました。すべては、1部昇格のためだと。でも、プロになる前にそういう1年間を過ごしたのはすごい財産。4年で、すべてをまとめる作業って、プロにはないんですよ。ピッチの中の経験、ピッチ外の経験は得がたかった」

在学中の2部降格の苦しさなど包み隠さず話した

大学4年の関東リーグ2部最終戦。退場者を出して10人で戦いながらも、勝って昇格を決めた日本大戦はプロになってからも財産だった。Jリーグで試合に出られないとき、その試合の映像をみて、自らを鼓舞した。

「あの試合がなければ、今の自分はない。高校に入ったときは、誰も見向きもしない選手だったことを今聞いているみんなに伝えたい。高校時代、有名だったから将来が約束されているわけではない。この4年間が大事だから。なににだってなれる。みんなには、可能性しかないから」

大学生からの質問

中大サッカー部はここ数年、中村さんのときと同じように関東大学リーグ2部に所属している。選手たちは、メモを手にしながら中村さんの話に聴き入った。そして、3年の荒木遼太(興国)は手を挙げ、質問した。

「来年4年生で、僕たちも毎週のようにミーティングしています。どうやったら、後輩が積極的にチームに関われるのでしょうか」

中村さんの回答は明確だった。

「僕たちと一緒ですね。でも、4年生だけでサッカーをするわけじゃない。大事なのは、みんなを見ること。こうやるぞ、だけではついてこない。先を走る人もいれば、後ろから支える人も大事。突っ走っているからついていけないのか、頑張っているからついていきたいと思うのか。みんなが言える空気づくりが大事かな」

グラウンドでは対面パスなどを実施した

中村さんを指導した佐藤健監督によると、中村さんのときも、「俺が引っ張る」という中村さんに対し、当時の副主将が周りをもり立て、バランスをとっていた。そうした経験を伝えた。「大学って(プロにいきたい人からみたら)遠回りに見えるかもしれないんですけど、僕のように高卒でなれなかった人間からすると、近道なんです」という。

「自分をしっかりみる」

講演会終了後、中村さんに話を聞くと、「無駄にしちゃいけないということですよね。ピッチの中と、外で役割があるということは伝えたかった。僕は18年間プロでやってきたわけで、ここで4年間、いろんなものを育んだおかげで、いろんなものが身につきやすかった。土壌を作ってくれたので」

例えば、川崎に入ってからもプレースピードの差に驚き、10日間ほどで「クビになるかもしれない」と危機感を感じた。遠征メンバーにも入れない。でも、そのときも大学のときのように、どうやってはいあがっていくかしか考えなかった。

「大事なのは自分をしっかり見ること。現在地はどこにいて、何ができて、何ができないか」

それを大学4年間で、学んでいたからぶれなかった。自分にベクトルを向ける大切さを貫いた。

後輩たちに思いは伝わっただろうか

2部で戦う後輩たちへのメッセージをお願いすると、「自分たち次第でしょ」といった。

「4年生がしっかりしないといけない。大学サッカーって。その姿をみて、次の学年が方向性を決める。よかったらそのまま続くし」

「本当に無駄にしないでほしい。密度は濃いと思いますよ。大学4年間って。自分のように、なんでもなかった人間がプロになることもあるんだから」

この日の活動は4年間の恩返し、といった中村さん。学生時代とは違い、人工芝になった多摩キャンパスのグランドで、最後まで学生たちに対面パス、一つひとつにこだわる大事さを伝えていた。

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