アメフト

法政大学の蔀啓介元主将 「常に冷静に謙虚な姿勢を大事に」はま風にも注意を

9年前に対戦した関西学院大の梶原誠人主将(現パナソニック)と法政大学の蔀啓介主将(右、撮影・坂上武司)

アメリカンフットボールの学生日本一を決める甲子園ボウル(12月19日)は9年ぶりに関西学院大学と法政大学の顔合わせになった。2012年、前回の対戦では試合時間残り2秒で関学が決勝のフィールドゴール(FG)を決め2年連続25度目の優勝を飾った。法大はラン、パスともに獲得ydで上回りながらあと一歩及ばなかった。
法大の主将だった蔀(しとみ)啓介さん(31、現PentaOceanパイレーツ)に激闘を振り返ってもらい、当時のチームの雰囲気やその後のアメフト人生を聞きました。

第67回甲子園ボウル(2012年12月16日@阪神甲子園球場)

関西学院大20-17(0-0、3-0、7-7、10-10)法政大

前半、法大は2度FGに失敗し、関学がFGで先制した。後半の立ち上がり、関学はWR木戸の94ydキックオフリターンTDでリードを広げる。法大はQB近藤からWR松永のTDパスで3点差に迫り、第4QにはRB池田へのTDパスで逆転。さらにFGで7点差にした。 関学はけがで先発を外れたエースQB畑を投入、10分過ぎに48ydのTDパスを通して追いつくと、最後は5本のパスで前進し、K堀本がサヨナラFGを決めた。

どん底からたどり着いた甲子園

1年と4年のときに甲子園ボウルに出場しました。1年のときは2本目(先発の控え)だったので、リーグ戦の序盤で少しだけ交代出場しました。関西大と対戦した甲子園ボウルでは出番がなく、正直そこまで記憶もありません。ただ、負けたあとに表彰式などのセレモニーが長かったなあと、そういうことだけなんとなく覚えています。

当時はコージ・トクダ(現イコールワン福岡)さんが4年で主将でした。印象は、真面目で寡黙な人という感じですね。当時の法大には下級生と上級生がペアを組むパーソナルコーチ(PC)制度があって、先輩に世話をしてもらったりポジションの練習を指導してもらったりするんですが、僕は同じポジションだったコージさんとPCを組んでもらい色々教えてもらいました。僕自身4年のときに主将をしたのですが、コージさんへの憧れがあって44番をつけていました。

日本一のアメフト部に入って驚いた3つのこと 「コージ・トクダ物語」大学編
2009年の甲子園ボウルで法大主将としてプレーしたコージさん(撮影・諫山卓弥)

4年の時は、どん底からのスタートだったのを覚えています。僕らの代はスタッフを入れても19人しかおらず、法大としては人数もとても少なかったんです。自他ともに弱い代だという認識がありました。

春の関西大との定期戦で、数年ぶりに負けました。当時の関大には、現在、オービックシーガルズで活躍している砂川敬三郎選手や前田眞郷選手、清家拓也選手らスターが多く、点差以上の差を感じたことを覚えています。秋シーズンも苦戦続きで、早稲田大に逆転勝ちし、関東決勝で対戦した日本大にも1点差でなんとか勝って、甲子園への切符をつかみました。

僕は自分で立候補してキャプテンになったんですが、カリスマ性があるタイプではなかった。夏くらいまでは「自分でなんとかしなければ」と苦悩しましたが、途中から同期をはじめとした仲間にどんどん頼ることで、チームがまとまっていったんです。

最終的には僕自身そんなにすることはなく、代表者、あるいは代弁者としてチームに声をかけることが役割でした。それくらいひとつにまとまってやれたのが、印象に残っています。「ONE」というスローガンを掲げていたのですが、そのようになれたかなと。節目の試合のときは、監督だった青木均さんに「家族を守るために戦え」という話をされて、心を奮い立たせていたことを覚えています。

甲子園ボウル出場をかけた日大戦は1点差の辛勝だった(撮影・西畑志朗)

(甲子園は)それまでの道のりを考えると、夢見心地ではないですが「ここまで来た」という気持ちはありましたね。コーチからはこんなことを言われていました。
「甲子園に立った時に、練習通りのフィールドと同じように感じるならやってきたことに自信を持てている、大きく感じるようだと準備不足、相手や雰囲気に飲まれている。注意しろ」

実際にはいつも通りの感じで、浮き足立たずに落ち着いてやれたと思います。関学の印象としては、やはり関東にはない完成度を感じました。ランのブロックや、キッキングの完成度が関東のチームとは違う感じでしたね。

最後は残り2秒でFGを決められましたが、試合が終わったときは全部やり切ったな、という感じを抱きました。試合中、主力メンバーにけが人が複数出てしまったことが少し心残りです。

パイレーツへ、選手取材も経験

僕はトップチームでやれるほどの選手ではなかったので、アメフトを続けることにそこまで積極的ではなかったです。就職で明治安田生命のグループ会社にはいったので、会社がスポンサーをしていたパイレーツに入部しました。2年目から4年間主将も務めました。

パイレーツのDLとして現役を続けている(撮影・北川直樹)

選手としてではなく、アメフト界に関われる、貢献できるような仕事がないかなと考えはじめていました。新卒でシステムエンジニアの仕事をしていたので、アプリ開発など技術面で関われるものがあれば、とかも考えていました。そんなときに、アメフト専門のWEBマガジンをつくっている会社の求人広告を見たんです。すぐに応募して18年から入社しました。

選手から取材する立場には意外とスムーズに移行できました。ただ、どうしても戦術に意識がいってしまうので苦労もありました。色々な取材をしましたが、印象に残っているのは地方取材ですね。中でも西南学院大の伊藤嵩人選手(イコールワン福岡)や九州大の藤本優臣選手(電通)、中京大の横山海マクスウェル選手(イコールワン福岡)を見た時のことをよく覚えています。取材していて、彼らはトップチームでも十分やれると思いました。マイナースポーツで地方との情報格差があるとよくないと思い、地方取材に力を入れましたね。

ちょうど2年間勤めてから転職しました。かつての仲間に「戻ってきて欲しい」と言われ、選手復帰もしました。いまはシステムエンジニアをしながら週末にアメフトをしています。取材対象だった選手と対戦することもあって、なんだか不思議な気持ちもあります。本当は試合後とかに話したりしたいんですが、このご時世なのでそういうことができないのが少し残念です。やっぱりチームみんなで一つのことに向かっていくアメフトは楽しいなと、改めて感じています。選手生活は、家庭とのバランスをとりながら長く続けていきたいと思っています。

日本一を目指せるチーム

僕らのとき法大は「トマホークス」というニックネームで、17年に体制がかわった際、現在の「オレンジ」になりました。コーチ陣も入れ替わったので、当初は「違うチームになってしまった」と思うこともありました。自分で取材をしたこともあり、選手の考え方は変わった部分もあると思いました。僕らは人間形成の一環として、勝つことを手段にしていたような部分があり、「なんとしても勝たねば」という切迫感に近いものがありました。いまはどちらかというと、そういう考えにとらわれず自由な発想でアメフトに向き合っていて、プレーもダイナミックさが際立っているように感じます。

大学4年の春、人工芝工事があった際に鹿島ディアーズのグラウンドで練習させていただいた時期があるんです。法大OBの有澤玄ヘッドコーチや矢澤正治ディフェンスコーディネーターは、当時鹿島に在籍されていました。2人のようなトマホークス時代を知っている方がトップで見られているので、やはり親近感はありますね。しっかりと準備されて、きちんと仕上げている印象もあります。

就任5年目で法大を甲子園ボウルへ導いた有澤玄ヘッドコーチ(撮影・朝日新聞社)

チームスタイルとしては、僕らの時とは違ってフィジカルなフットボールをしていると感じます。関東決勝の早稲田大戦を見ましたが、試合中も勝ってからも浮つかず、振る舞いから日本一を目指しているチームというのをすごく感じました。甲子園ボウルからは少し遠ざかっていましたけど、勝つべくして勝ち上がってきた良いチームだなと思います。


法大にしかできない準備を大事にして試合に臨んでほしいと思います。僕らの時は、スカウティング(対戦相手の分析)に加えて、自分たちの強みと弱みについて全員で意見を出し合ってプランを立てました。1年から4年まで、一丸となって向かっていってほしい。当時、部には人間形成のピラミッドという考えがあって、クラブハウスの壁に貼ってあったんです。土台に「挑戦、感謝、誠実」という考えがあって、日本一になることで一人前の人間になれる。試合が終わるまで常に冷静に、謙虚な姿勢を大事にして、ぜひ、これを体現してほしいなと思います。

「法大らしいダイナミックなプレーを」(撮影・北川直樹)

今の関学は、当時よりもフィジカルが強くなっていて、隙がないチームになっているように感じます。特にゲーム終盤に強い。常に先読みして色々想定して、法大らしいダイナミックなプレーでゲームをブレイクしていってほしい。関学に勝つにはそれが必要だなと思いますね。あと、甲子園は関東の試合会場と違って「はま風」が強いです。僕らのときはFGを失敗したり、リターンTDを決められたりとキックで苦労しました。関学はキッキングゲームがとてもしたたかなので、その部分でもぬかりなく戦ってほしいです。僕らは勝てなかったので、ぜひ、2006年以来の勝利をつかんでください!

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