陸上・駅伝

特集:第98回箱根駅伝

駿河台大マネージャーたちの箱根駅伝 組織としての強さ、入念な戦略、全てが初めて

表舞台に立つことはなくても、チームにとってマネージャーは欠くことのできない存在だ(左から小林、佐野、齋藤、倉野、小金澤コーチ、撮影・松永早弥香)

駿河台大学駅伝部は2012年に陸上部から分離して創部され、同じタイミングで11年からコーチを務めていた徳本一善さんが監督に就任。そして今年10月、箱根駅伝予選会を8位で突破し、箱根駅伝初出場をつかんだ。涙を流して歓喜する選手たちのそばで、マネージャーの齋藤友美(4年、東農大三)も笑顔を浮かべ、同じ空間で喜びを分かち合えなかったマネージャーたちのことを思っていた。令和初、44校目の初出場のかげには、マネージャーたちの活躍があった。

駿河台大・徳本一善監督「メンタルだけは1番」、初の箱根駅伝に揺れ動いた選手らの心

学生主体の組織作りを

今シーズンの駿河台大学駅伝部には部員が69人おり、うち5人がマネージャーだ。主務の佐野智哉(4年)は和歌山北高校3年生の時に全国高校駅伝(都大路)でアンカーを経験しており、駿河台大でも箱根駅伝初出場を目指して走り続けるつもりだった。だが3年生の時に、チームのために選手からマネージャーに転向。自身の経験を生かしながら部を支えている。

マネージャー歴という意味では齋藤が一番長い。東農大三高校(埼玉)では選手として走っていたが、駿河台大ではマネージャーを希望して駅伝部に入部した。齋藤が入部した18年当初は本当に箱根駅伝に出られるのか懐疑的なところがあったというが、その18年を境にチームは変わり始めた。

佐野(左)は昨年10月、箱根駅伝予選会のメンバーに入れなかったことを機に、選手からマネージャーに転向した(写真提供・駿河台大学駅伝部)

当時2年生で翌19年には主将を担った石山大輝(現・希望が丘学園鳳凰高校教員)などが徳本監督とコミュニケーションを取り始め、徳本監督も学生中心の組織作りに意識を向けるようになった。その力になってくれたのが、徳本監督が法政大学の選手だった際に、外部OBコーチとしてサポートしてくれた小金澤英樹さんだった。小金澤さんは16年からアドバイザリーコーチとして駿河台大の指導にあたり、組織作りに意識を向けてチームを強化。学年別と実力別にユニットを設け、更に選手に役割を与えることで、一人ひとりが組織の中で考えて行動することを促してきた。

予選会で最高のパフォーマンスを発揮するために

自分たちの力が今どのくらいで、他大学とどれだけの差があるのか、箱根駅伝予選会を戦うにはより綿密な分析が必要だと小金澤コーチは感じていた。そこでマネージャーたちにも役割を与え、新たに「データ班」を設立。データ班は箱根駅伝予選会で競うことになる大学に目星を付け、1年を通してどの大会でどれだけの結果を残しているのかが一目で分かる資料を作成する。「こういう資料は学生が作ってなんぼだと思うけど、当初は誰一人やらなかった。でも今春に卒業したマネージャーとかが、『こういうのはあるべきですよね』と言って手伝ってくれ、それからはある程度のデータは学生が入力してくれるようになりました」と小金澤コーチは言う。

夏合宿などではその資料を選手全員に配り、箱根駅伝予選会に向けた戦略を選手一人ひとりにイメージさせた。「それまでは『予選会突破はやっぱり無理なんじゃないか』と感じていた選手もいただろうけど、夏合宿で走り込み、資料の裏付けもあって、『自分たちも戦えるんじゃないか』という前向きな姿勢に変わっていきましたね」

株式会社エイムのサポートを受け、選手たちは箱根駅伝予選会の前から水素・酸素カプセルを活用している(写真提供・駿河台大学駅伝部)

また、前回の箱根駅伝予選会前にけが人が相次いだ反省を生かし、選手たちはどんなにきつい練習の後でも、自分たちでできるボディーケアを欠かさずやるようになった。選手のパフォーマンスを引き出すために、徳本監督は睡眠に着目。「僕も選手時代にはすごく睡眠を大切にしていましたし、コンディショニングも含めて最後の調整として大事なことだなと思っていました」。寮に水素カプセルと酸素カプセルを1台ずつ投入し、選手たちは練習後に限らず、時間を見つけては積極的に活用。「選手がコンディショニングを考えるきっかけにもなっています」と徳本監督は言う。選手たちの意識の変化もあり、今年の箱根駅伝予選会にはけが人ゼロで挑むことができた。

予選会に向けて3つの班を新たに設置

一方、小金澤コーチは箱根駅伝予選会の1カ月前に「予選会突破プロジェクトチーム」を立ち上げ、マネージャーたちは新たな班を設けた。データ班はそのまま継続。「給水班」はコース上に設けられた給水所を担当し、「図画工作班」はレース中に選手に示すボードを作成し、「通信班」はテレビ中継で流れる情報を現地スタッフに知らせる役割を担った。ボードは2種類、予選会突破を競うことになる大学との差が一目で分かるものと、5kmごとにテレビ中継で発表される駿河台大の暫定順位と予選会突破の最終ラインである10位の大学との1人あたりの秒差(駿河台大が10位の時は11位との秒差)を示したものを作成。大会前、給水班と図画工作班はグラウンドで何度も練習し、どのようにすれば選手にとってより便利なのかを考えた。

箱根駅伝予選会はコロナ禍での開催となったため、会場に入場できるのは、選手や監督、コーチ、主務 、給水員を含めて1チーム20人までと定められていた。マネージャーとして現地に行けるのは2人のみ。この日のために戦ってきたという気持ちはマネージャーも一緒だ。みんなで話し合った結果、現地での経験があった齋藤がボード班として、来シーズンに主務を担う小林優心(2年、中京大中京)が給水員として現地に行き、佐野と倉野恭佑(4年、大牟田)は通信班として寮でテレビ中継を見ながらチームをサポートした。前日には齋藤と小林も選手たちと同じ立川のホテルに泊まったが、緊張からなかなか寝付けなかったという。

18km地点でもあえて「ひとり1秒」

当日の天候は快晴。レース中に強い風が吹き始めることが予想されていた。選手たち一人ひとりに定められた目標順位通りに走れれば予選会を突破できる、という確信を皆が持っていた。

5km地点での暫定順位は7位。テレビ中継でその情報が流れると、通信班の佐野と倉野はすぐに現地のスタッフにLINEで共有。齋藤たちはその情報から10位の大学との差を計算し、ボードに記入して選手たちに知らせる。10km地点で駿河台大は暫定5位につけていたが、15km地点では暫定10位とボーダー上。11位の専修大学との差は5秒と迫っていた。15km地点でのボードには「10位、ひとり1秒」と記し、齋藤は駿河台大の選手が近づいたらボードをその選手の方に向けて見やすいように工夫した。

5km、10km、15km、18km地点で、暫定順位と10位の大学とのタイム差を1人あたりに換算した秒数を記入し、選手たちに示した(撮影・松永早弥香)

昨年は15kmまでしか中間発表がなかったが、今年は18kmもあり、ボードには急きょ18kmを追加した。実はこの時点で駿河台大は暫定9位、10位との差は「ひとり3秒」に広がっていたが、小金澤コーチと齋藤は選手たちが最後まで力を出し切れるよう、あえて「ひとり1秒」のままにしたという。レース後の反省会でそのことを打ち明けると、選手たちは「1秒しかないっていうから、ホント死ぬ気で走りましたよ!」と言い、徳本監督は「それを言ったら来年使えなくなりますよ」と笑った。

レース当日、マネージャーたちは

「箱根駅伝予選会突破」を最大目標としてきたチームは、目標が達成されたことで燃え尽きたように意欲を失っているのが、齋藤の目にも明らかだった。「このチームを引っ張ってきたのが4年生なんだから、最後まで頑張ってほしいなと思っていました」。だが箱根駅伝が近づくにつれて選手たちの意識も変わっていき、12月中旬に最終合宿を終えてからは、皆が「どの区間でも行けます」と言えるまでになった。

阪本主将(内側の先頭)がチームを1つにまとめ、初の箱根路に挑む(撮影・松永早弥香)

その一方でチームにはあらゆる媒体から取材が殺到し、誰も経験したことがない箱根駅伝のエントリーに追われ、箱根駅伝に向けた戦略を一から考えなければならなかった。「マネージャーは私に限らず、みんな気持ちが沈む暇もなかった」と振り返る。

箱根駅伝当日のマネージャーの動きも決まった。齋藤は競技者係として選手のスタートを管理し、全区間の選手の荷物を回収して届ける役割を担う。各スタートの20分前までに選手から荷物を回収し、バスで先回りして次の中継所に向かい、荷物を付き添いに託し、また荷物を回収して移動する。「唯一全員に会えるのかな」と齋藤はうれしそうに話してくれた。佐野はスタート確認後にゴールで選手を待ち受け、倉野はマネージャーの勉強中である岡拓斗(1年、浦添)と一緒に小田原中継所の付き添いを、小林は平塚中継所の付き添いを担う。

箱根駅伝の舞台に立つのは10人だけだが、マネージャーも含めた部員69人は同じ気持ちで戦っている。「箱根駅伝初出場」を目指してきた歴代の先輩たちの思いも胸に。

in Additionあわせて読みたい