アメフト

パナソニック片山佑介 大阪市大出身のLBは2度の大けが乗り越え、初の大舞台

パナソニックのLB片山佑介。東京ドームでプレーするのは初めて(撮影・すべて篠原大輔)

アメリカンフットボールの日本選手権ライスボウルは1月3日の第75回大会から、社会人Xリーグの頂点を決める戦いに移行した。今シーズンここまで8戦全勝(一つの不戦勝を含む)のパナソニックインパルスと、レギュラーシーズンでパナソニックに唯一の負けを喫した富士通フロンティアーズの対戦だ。両チームともに外国人選手がいて、日本勢でも大学時代から名をはせた選手が多いが、まったくの無名で、しかも何度けがに見舞われてもくじけず、強豪チームで生きる道を見つけた選手がいる。大阪市立大出身の5年目、パナソニックのLB(ラインバッカー)片山佑介(27)だ。今シーズンからスナッパーとしてインパルスを支える。

スナッパーに生きる道

練習前、片山は誰よりも早くグラウンドに出てくる。「その日のグラウンドの状態を把握して、練習の30分前には準備を始めたいんです」。練習から試合のつもりでやっているからだ。まずストレッチをして、ネットに向かって投げる。2021年の1月にスナッパーを始めてから、それがルーティンになっている。週末の練習でも、片山が出てくるともう、スタッフがボールに空気を入れてくれている。ネットに投げ始めると、「とろか?」とボールを受けてくれるスタッフがいる。「東京ドームでプレーするのは初めてで、ちょっとワクワクします。何より、このメンバーでやれるのが楽しい。ほんとにいろんな人に支えてもらってるので、勝って恩返しがしたいです」。片山はいい笑顔で言う。

股の下を通し後方へパスするスナッパー。試合で目立つのはミスしたときと地味だが、重要な役割

幼稚園と小学校のころはラグビーをしていた。中学校では野球部。市立西宮高校(兵庫)に入ると、中学の先輩に誘われてアメフトを始めた。楽しかった。ただ、母方の祖母が「そんな危ないスポーツやったらアカン」と反対。1年ほど、祖母には内緒だった。うすうす気づいた祖母が練習試合を見に来たら、一気にはまった。それからはずっと応援してくれている。当時の部員は20人ほどで、1年生から攻守両面で出ずっぱり。3年生のときはキャプテンだった。当時から市西の監督で教諭の飾森宏さん(65)は「真面目で賢い子でね。ほんまに一生懸命やりますわ。TE(タイトエンド)とLBでしたけど、ディフェンスの方が勘がよかったかな」と振り返る。3年生の春に関西学院高と競り合った試合もあったが、勝てず、兵庫の2位までに入って関西大会に進むことはできなかった。

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関学か市大か、恩師の言葉

片山は大学進学にあたって、知り合いの選手も多い関西学院でプレーしたいと考えていた。受験して合格し、大阪市立大経済学部後期日程のユニーク選抜(センター試験と部活動などの成果で選抜)にも受かった。飾森先生に相談すると「そんなもん市大やろ」と言われ、「それも道の一つかな」と思って、関学には進まなかった。飾森先生は市大を勧めた理由について「社会人でもアメフトを続ける子じゃないと思ってたんで、先のこと考えたら市大で勉強した方がええやろなと。頭が切れる子でしたから」と話す。

部員30人弱の大阪市立大では関西学生3部リーグで戦った(本人提供)

部員が30人弱だった大阪市立大のアメフト部でも、1年生から出ずっぱり。上級生になるとLBに専念できた。ずっと関西学生リーグ3部で、2部との入れ替え戦にも出られなかった。「高校時代の知り合いは1部でめっちゃ活躍してるのに、自分は3部でも勝てない。目立ちもしなかった。いま考えたら、かなりつらい時期でした」。社会人になってXリーグでプレーすることは、一切頭になかったという。

就職活動はものづくりに携われる企業を目指し、幅広くエントリーした。その中にパナソニックもあった。すると大阪市大OBでかつてインパルスの選手だった人から連絡があり、インパルスが面談と試合のプレー映像でセレクションをしていると聞いた。「せっかくやし」と受けてみたら、通った。大学3年の2月、これが最初の内々定だった。強いインパルスで、もう一度フットボールに挑戦してみることにした。「やばいんちゃうか」という不安もありながら、「このチャンスを逃したらアカンな」という思いがあった。「いろいろ考えてるうちに、やったろかという気持ちになりました」

大学の仲間たちは驚きつつも祝福してくれた。4年生の1年間は、インパルスで通用する選手になるための準備期間でもあった。トレーニングの量を増やして、初めてXリーグの試合を見に行った。プレーのレベルも体の大きさもぜんぜん違う。そのギャップに刺激を受けた。

長引くひざ痛とアキレス腱断裂

2017年4月に入社。同期で入った選手は、ほかに10人いた。3部のチームから来たのは片山だけだったが、立命館大出身のDL(ディフェンスライン)大野完爾や関西学院大出身のDB(ディフェンスバック)小池直崇らは高校時代からの知り合いで、孤独感はなかった。ただ入部と同時に大学時代に痛めた肩を手術したため、出遅れた。リハビリから始めて、よくなってくると練習のない日もトレーニングルームやグラウンドで鍛えた。必死だった。

そこで頑張りすぎたのも、よくなかったのかもしれない。ひざが痛くて病院に行ってみると、「半月板が割れてるで」。ショックだった。1年目の8月末に手術し、半年間は何もできなかった。焦りもあったから、治ったと思ったらやりすぎて、また悪化。2年目はこれを繰り返してしまった。

いま身長183cm、体重98kg。プレーできない間も鍛えてきた

3年目の秋はロースター入りできずに練習生の扱いに。つらかったが、LBのコーチや先輩が相談に乗ってくれ、親身になって話を聞いてくれたから、フットボールをやめるという発想はなかった。そして4年目。新型コロナウイルスの感染拡大で春の試合はなくなったが、片山には「やったるぞ」との思いがあった。6月、張り切って練習に入っていたら、パスカバーに下がるときに足をバットで殴られたような衝撃があった。「ブチッ」と音がした。歩けず、支えられてサイドラインに出た。アキレス腱が切れたのだった。練習グラウンドから救急車で運ばれた。

さすがに落ち込んだ。「もうアカンかも」。初めて思った。手術して3週間ほど入院した。チームのみんながいろんな声をかけてくれた。中でもWR(ワイドレシーバー)木下統之(むねゆき、関西大)の言葉に胸を打たれた。「木下さんは『みんなお前の努力する姿を見てきた。もう一回頑張ろうや。一緒に頑張ろうや』と言ってくれました。木下さんもけがが多くてつらいのは知ってたから、こういう言葉をかけてくださったのは大きかったです」。治療に専念している中で秋のシーズンが始まり、Xリーグの準決勝でオービックシーガルズに負けた。片山自身はほとんどチームの役に立てないまま、4年が過ぎた。

「スナップはどうなんや」練習、また練習

昨冬、LB担当の相馬明宣コーチと5年目について話し合った。相馬コーチは「スナップはどうなんや?」と提案してくれた。スナッパーはキッキングゲームのときに登場し、自分の股の下を通してボールを後方へパスするポジション。ボールに回転をかける特殊な技術が必要になってくる。インパルスではOL鈴木快幸(日本大)が担っていたが、昨シーズン限りで引退。高校時代にスナップを投げていた時期があった片山は、相馬コーチの言葉に飛びついた。2021年の1月からスナップの練習を始めた。「高校時代を思い出しながら、引退した鈴木さんや、スナップのうまいOLの柴田(純平、立命館大)さんに教えてもらいました。最初は鼻くそみたいなボールしか投げられませんでした」

時間さえあれば練習。グラウンドにいると、さまざまなコーチやスタッフが「とろか?」と声をかけてくれた。とくにマネージャーの木下和洋とは毎日のようにスナップでキャッチボールした。FG(フィールドゴール)の際のショートスナップもパントの際のロングスナップも練習した。「柴田さんはOLのスタメンだから、余計な負担はかけられない。スナッパーは僕がやるしかないと思ってやってました」

春になって全体練習が始まると、片山は毎回が試合のつもりで臨んだ。失敗は許されない、と自分を追い込んでスナップを磨いてきた。春の終わりから夏にかけてあった練習試合の2試合にスナッパーとして出た。「いつからか練習でも吹っ切れて投げ込めるようになって、練習試合でも自信を持って投げられました。久々に『アメフトやってるんやなあ』って気持ちになれました」

パナソニックのK(キッカー)/P(パンター)は佐伯栄太(桃山学院大)、眞太郎(立命館大)の佐伯兄弟が務める。二人とも「投げ込んでくれたらええよ」と言ってくれて心強い。つい先日発表された「2021オールXリーグ」のKに眞太郎が選出された。片山にはそれがめちゃくちゃにうれしかった。FGの際のホルダーはQB荒木優也(立命館大)で、いつも気持ちよく投げさせてくれる。全体練習は最初にLBのパートでヒットとタックルの練習をして、スナップの練習に入る。チームがオフェンスとディフェンスに分かれて練習しているときにトレーニング室で鍛える日もある。

佐伯眞(中央奥)が「オールXリーグ」に選ばれた。一緒にやってきたからこそ43番にも喜びがある

インパルスファミリー

秋のシーズン初戦の東京ガス戦から出続け、第6節(11月13日)の富士通戦では第1クオーター、佐伯眞太郎にパントのロングスナップを出したあと、走っていって相手のリターナーに入ったWR宜本(よしもと)潤平(立命館大)をタックル。試合でタックルを決めたのは大学4年生のとき以来。もちろんタックル自体もうれしかったが、いままでお世話になったコーチ、スタッフ、選手みんなが「やったな」と喜んでくれたことの方が、うれしかった。

パントのときはスナップを出したあと、相手リターナーをタックルしに向かう

片山はインパルスに入る前、チームについて「強いからこそ冷たい部分もあって、使えない人は切っていくんやろな」と想像していた。まったく違った。「みんなが家族に近い感じで、僕はLBのみんなと動きを合わせることが多いです。入ってよかったし、ここで頑張らせてもらえてることをありがたいと思ってます」

2021年からLBのパートで「オープンダイアログ」という取り組みを始め、チーム全体に広がっていった。土曜日の練習後に1~2時間残り、それぞれのパートでお題を決め、3~4人のグループに分かれてひたすらにしゃべるというものだ。「僕がなんでスナップをやろうと思ったのか、なんでアメフトをやってるのか、本音ベースで話して共有してもらってます。思ってることをさらけ出してきたので、今シーズンはみんなのつながりが一層強い気がします」

選手生命が脅かされるような大けがを2度。それを乗り越えてきた片山は社会人5年目で初めて、自分が出る試合のために年末年始を過ごすという経験をしている。「1年目から4年目までは一人よがりだった気がします。自分がゲームに出るためにどうするかばかり考えてました。アキレス腱を切って、自分がどうすればチームに貢献できるか真剣に考えた。それがスナッパーでした。スナップの練習を始めたら、ボールの準備をしてくれる人やボールをとってくれる人がいた。いろんなことに感謝してる一年かなと思います。ずっと面倒を見てくれているトレーナーの方、手術をしてくれたチームドクターの方、ほかにもたくさんのお世話になった人たちに、何とかお礼がしたい」。正月3日に東京ドームで奮闘する姿を見せ、そして勝つのが何より分かりやすい恩返しだ。

恩師も驚く東京ドームへ

実は市立西宮高時代の恩師である飾森さんは、片山は大けがを繰り返し、引退したものだと思っていた。私が片山の現状を電話で伝えると「まだ頑張ってるって聞いて、飛び上がるほどうれしいですわ」と話した。「高校生は華やかなとこばっかり見てるけど、片山みたいに地道にやってる先輩もいると伝えたら、彼らの考え方も変わってくるかも知れません。僕は卒業生を送り出すときに『何でもいいからフットボールに長く携わってほしい』と言ってきました。片山はそれを実践してくれてる。めっちゃうれしいです」

今回のライスボウルには市立西宮高アメフト部出身の選手が4人出る。パナソニックの片山とDB土井康平(甲南大)に、富士通のOL仁川雄太(立命館大)とWR松井理己(関西学院大)だ。「片山のこと聞いてなかったら、ほかの子ばっかり見てるとこでしたわ」。そう言って、飾森さんは大笑いした。

ライスボウルでもホルダーの荒木(中央上)が置きやすい球を投げ込むことに集中する

いざライスボウル。片山は言う。「(佐伯)眞太郎さんがパントしやすい球、荒木が置きやすい球を投げることに集中して、試合まで準備します」。最後にアメリカンフットボールの面白さについて尋ねてみた。「誰でも活躍できる可能性があって、結局は自分次第なんやと思ってます。ほんまに楽しいスポーツです」。社会人5年目にして初めて心から言えた「楽しい」。どこかであきらめていれば、立てなかった晴れ舞台だ。インパルスの43番はあふれんばかりの思いを込めて、スナップを出す。

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