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白鷗大・網野友雄監督「大事なのは過程」インカレ初優勝を引き寄せた2つの指針

白鷗大は2021年、悲願だったインカレ初優勝を成し遂げた(写真提供・全日本大学バスケットボール連盟広報委員会)

近年の白鷗大学はどの代も「日本一」を目標に掲げている。それは学生自身の口から出るものであり、「私からも『優勝するぞ!』と言って違和感を示す学生はほとんどいない」と網野友雄監督(41)は言う。そして2021年、白鷗大はインカレ初優勝を果たし、「日本一」の栄光を手にした。悲願を成し遂げるにあたり、網野監督は2つのことを学生に伝えてきたという。

これぞインカレ! 初優勝の白鷗大、東海大との決勝でも垣間見えたアツさ・渋さ

選手時代からに学生を指導し、大学院に進学

1980年生まれの網野監督はいわゆる田臥勇太を代表とする“田臥世代”の1人。日本大学の学生だった時、リーグ戦は2位が最高だったが、新人戦ではタイトルをとっている。当時のことを振り返ると、「正直、何を教わって何をやっていたのか、明確に言葉では出てこないんです。一生懸命バスケットをしていたのは確かなんですが……。自分が考えてプレーしていたかどうかの差はありますよね」と言う。ただ実家には日大時代の動画があり、それを見ると気がつくこともある。「自分の中ではディフェンスをやっているつもりだったんですが、今見ると全然なんです。今の大学生はすごくディフェンスもやるようになったと感じています。それはSNSなどを通じた情報量の違いもありますし、Bリーグの存在とか、プロの選手やコーチに接する機会が増えたことも大きいと思います」

日大を卒業した2003年にはトヨタ自動車に入社し、その後、日本代表選手としても活躍。05年にアイシン精機に移籍しリーグ2連覇、天皇杯4連覇に貢献。11年にはリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)に移籍した。オフシーズンには母校である東海大菅生高校(東京)で恩師とともに後輩たちを指導していたという。

日大に顔を出すようになったのは30歳を過ぎた頃から。故・川島淳一前監督に声をかけられたのがきっかけだった。「当時、日大は関東2部にいて、折茂さん(武彦、現・レバンガ北海道社長)を始め数々の名選手を輩出した名門校としてすごく寂しいなという思いもありました」。その後のキャリアに高校教師を思い描いていた網野監督は、現役引退も迫った中で大学生に触れ、大学生世代を強化する意義と面白さを感じ、大学の教員になる道を思い描き始めた。14年に筑波大学大学院に進学。翌15年には現役引退を発表した。

母校・日大で指導する中で、大学生を指導する楽しさを知った(写真提供・白鷗大学)

ただ当時は現役選手が指導をしたり、大学院に通ったりするのはレアなケースだ。「僕の場合は恩師の声かけがあったからこそ、その後のキャリアを具体的に考えるようになりました。縁があったのかなと今では思います」。修士課程を終えたタイミングで求人があった白鷗大で、17年から助教(現・講師)とバスケ部の部長兼監督というキャリアを歩んでいる。また現在も、アンバサダーとして宇都宮ブレックスとのつながりがある。

そのプレー、その勝利へのアプローチを考える

網野監督は2つのことを伝えながら、学生の成長を促している。1つは「思考の深掘り」。網野監督はどのようなことに対しても、まずは物事をもっと深く掘って考えることを学生に求めている。「例えばいいプレーが起きた時は必ず、その2つ前のプレーが関係しているものです。大事なのは過程です。だから『どうやっていいプレーが起きた? いいシュート? いいパス? いいスペースがとれた?』などと問いかけます。色々要因があると思うんですけど、3~4つ前までをしっかり掘って考えることが大切なわけで、ただシュートだけに良かった悪かったと一喜一憂することはしません」。その思考ができるようになれば、できる準備が変わってくる。そのことを学生自身が考えて行動することで、今の自分、今のチームの問題点や目標がより明確になると網野監督は考えている。

もう1つは「目標に対する逆算」。チームの最大目標であるインカレは毎年12月初旬に開幕する。インカレで自分がどのくらいできるようになっていればいいのかを考え、そのためにどのような練習・準備が必要なのかを考える。「秋のリーグまでにはこのくらいのことができていて、そのために夏の間に何をすればいいのかを逆算して考えられれば、それが練習計画につながります。僕が与えるのではなくて、自分でイメージすることが大切なんです」

結果や目標につながる過程を学生たち自身に考えさせる(写真提供・白鷗大学)

「チームで戦う」を貫いた先でインカレ初優勝

2021年、白鷗大はリーグ戦を3位で終えた。「チームで戦う姿勢はリーグ戦を通してすごく出てきましたし、ディフェンスに関しても8割程度の完成度で自信がついてきたと思う。その2つの良さをきちっと自分たちの色としてインカレでも出していこうと伝えました」。ただ網野監督にはこれでは「日本一」には届かないという感覚があり、学生も同じ思いだったという。インカレを前にして横に動くオフェンスを加え、その起点となるガードの松下裕汰(4年、飛龍)や関屋心(3年、飛龍)に意識付けをした。「彼らも何かを変えないといけないと感じていたようで、反発もなくスッと入っていきましたね」

インカレ序盤には個人プレーが目立つシーンもあったが、網野監督は「チームで戦う」ことを強調してチームを修正。去年も涙を飲んだ準々決勝で筑波大学を破り、初の決勝の舞台に立った。

前回覇者・東海大学との大一番を前にして、網野監督はある“マイナーチェンジ”を選手たちに伝えた。「簡単に言うと『ドライブをしかけたら隣の選手は味方のドライブコースからどく』というもので、相手にチームディフェンスをさせないという狙いがありました」。序盤は東海大にリードを奪われる展開となったが、粘り強いディフェンスで徐々に流れを引き寄せ、マイナーチェンジしたオフェンスも機能し始めて第4クオーターに逆転し、63-58、白鷗大に歓喜の瞬間が訪れた。

白鷗大OBたちも後輩たちの挑戦を見守ってくれていた。網野監督のもとには決勝前、中川綸(20年卒、現・KYOTO BB)から「マジですごいです。すみません、ちょっと言葉が悪いんですけど、マジ勝ってください!」、また優勝後には荒谷裕秀(21年卒、現・宇都宮ブレックス)から「刺激を受けました!」など、続々とチームに応援・祝福のメッセージが届けられたという。

松下主将(左端)がチームを1つにし、決勝も「チーム力」で戦った(写真提供・全日本大学バスケットボール連盟広報委員会)

インカレ後はリフレッシュ期間を設け、今年1月11日から新体制で新たなスタートを切る。網野監督は学生一人ひとりと面談して1年間のフィードバックをし、スタッフ陣ともチームのフィードバックをした上で新シーズンの目標を定める。網野監督自身には「インカレ2連覇」の思いがあるが、新シーズンに限らず、「天皇杯でBリーグのクラブといい勝負をする」という目標をずっと持ち続けてきた。「学生の中だけを見ていたらそれ以上はいかないんじゃないかな。国内にまず上のレベルのチームがあるのであれば、そこを目指して追い求めてほしいんです」

悲願だったインカレ優勝を果たした今も、白鷗大学も網野監督も、現在地に満足することなく突き進む覚悟だ。

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