陸上・駅伝

特集:第98回箱根駅伝

順天堂大・三浦龍司 初の箱根駅伝2区に「昨年より成長できた、もっとのびしろを」

「花の2区」に初めて挑み、1時間7分44秒で区間11位だった三浦(撮影・藤井みさ)

順天堂大学の三浦龍司(2年、洛南)は2021年シーズン、東京オリンピック3000m障害に出場、予選では日本記録を更新し、決勝で7位入賞と素晴らしい成績をおさめた。全日本大学駅伝では2区区間賞。箱根駅伝ではエース区間の2区を走ったが、その走りを自身ではどう評価したのか。レースを振り返り、今後についても語ってもらった。

前半でリズムを作り、積極的な走りを展開

――2区で区間11位、1時間07分44秒という個人成績については、どう自己評価していますか。

三浦:区間順位は思っていたより悪かったので、悔しさがあります。しかしタイムは、考えていた1時間07分40秒とほとんど変わらない記録で走ることができました。積極的な走りをすることが目標で、前半はその走りもできましたね。自分の中では収穫があったレースで、22年の良いスタートが切れたと思います。

――塩尻和也(富士通、19年大会で当時の2区日本人歴代最高の1時間06分45秒)選手ら、順大の先輩の通過タイムを事前に確認していたと聞きました。

三浦:最初の1kmや3kmは紙に書き出していましたし、今回は(いつもと違い)時計も付けて走りました。1人で走る可能性もありましたし、最初のリズムを作る局面で、しっかりタイムを把握したかったからです。実際に、想定していたタイム通り(積極的な中でも)落ち着いて入ることができました。3kmでちゃんと刻めていると確認できたんです。

三浦には珍しく、時計をつけて走った(撮影・北川直樹)

――5kmや10kmなど前半の通過タイムも想定通りでしたか。

三浦:その後は時計を見ませんでした。並走していた(藤本)珠輝(日体大3年、西脇工)さんに日体大の車がタイムを伝えていましたが、覚えていません。感覚としては予定通りに刻めたと思いますし、体も対応して動いていました。

――藤本選手との並走は、相手のペースに合わせたわけではないのですね。

三浦:合わせるつもりはなかったです。自分のペースで走っていたら、珠輝さんが並走してきたので一緒に走りました。お互い、前に追いつかないといけません。そこが一致した上で一緒に走ればペースを刻みやすいですから。珠輝さんに離されないことも意識はしていましたが、どれだけ前との差を詰められるか、ということが重要でした。前とは詰まっていると、監督車から教えてもらいました。

権太坂でピッチに切り換えたが終盤はペースダウン

――前回走った1区は平坦なコースですが、2区は権太坂、戸塚の壁と上りがあります。

三浦:権太坂の3kmのうち前半の1~2kmはなだらかな上りだったり、ほぼ平坦だったりで、力を使わずに走っていました。スタート前にも長門俊介監督から、権太坂と戸塚の壁の走りで大きく展開が変わると言われていましたが、想定通り権太坂で前の大学が何校か見えてきました。そういう部分で手応えを感じながら走っていましたね。しかし権太坂終盤の1kmを上り始めるところで、脚を使ってしまいました。ピッチや走り方を変えることで権太坂は乗り越えられたのですが。

――走り方の変更は上りだからですか。それとも疲れに対処するためですか。

三浦:両方ですね。戸塚の3kmの上りがあるので、権太坂で脚を使い切るわけにはいきません。珠輝さんも上りを走っている中で、ペースの上げ下げがありました。無理に合わせようとすると、ストライドの走りになって脚を使ってしまうので、ピッチで刻む意識で走りました。自分はスピード練習の中では上りも強いのですが、長い距離のレースではスタミナや疲労度が影響するので、そういうときの上りは苦手なんです。平地のようなストライドで走れたらいいのですが、(現在の力では)走り方を変えざるを得ません。

三浦はしばらく藤本と並走を続けた(撮影・松永早弥香)

――藤本選手に離されてしまった地点は?

三浦:残り3kmあたりから、どんどん離されてしまいました。(藤本との勝負より)前との差を縮めることを考えて走っていましたが、欲を言えば最後でスピードを生かして、得意のはずのスパートで珠輝さんにも勝ちたかったです。そこはできませんでした。

――1年生だった前回は1区区間10位で、今回は2区で区間11位。コースの特徴が異なりますが、成長を感じられた部分はありましたか。

三浦:同じ区間なら違いもわかりやすかったと思いますが、1区にはなかった大きな起伏を走ったなかでも予想通りのタイムで走り切れました。前半は手応えを感じられる走りがちゃんとできたので、1年間で成長できたと思います。前回よりも実力が上がって、それに見合う走りはできたのではないかと。

――距離の長さはどう感じましたか。

三浦:上りもある23kmは長かったです。脚力など自分の足りていない部分が見えてきました。そういう部分はトラックにもつながっていくので、さらに研きをかけたいと2区を走って思いました。

ストライドを伸ばす走りで障害を攻略

――中継後には区間賞(1時間06分13秒・区間歴代4位、歴代日本人2位)の田澤廉選手(駒澤大3年、青森山田)が声をかけてきました。10000mで世界陸上オレゴンの標準記録を突破済みなので、今年7月の世界陸上に向けて一緒に頑張ろうと。

三浦:僕はロードでは結果を出していないのに、一緒に頑張ろうと言われたことはすごくうれしかったです。田澤さんとは高2の時のジャパン合宿で、豪州に一緒に行きました。そういうつながりもあって、同じ世界を目指す選手だと見てくれているのだと思います。トラックでは種目が違いますが、世界の舞台で一緒に頑張りたいですね。

――世界の話題が出たので3000m障害についてうかがっていきます。3000m障害に限らず、海外のレース経験は2度しかないと聞きましたが。

三浦:そうですね。最初が先ほど話した豪州で、大きな大会ではありませんが3000m(8分29秒77)に出場しました。2回目が翌月(19年3月)に香港で開催されたアジア・ユース選手権(2000m障害優勝・5分42秒35)です。

――海外のレース経験がそれだけで五輪に入賞したことに驚かされますが、高校時代にフィレモン・キプラガト選手(愛三工業、当時倉敷高)と何度もレースをしたことが役立ったのでしょうか。

大学1年のホクレンディスタンスチャレンジで、キプラガト(右)に勝てたのは大きなターニングポイントになった(代表撮影)

三浦:どこまで関係しているかわかりませんが、大学1年のホクレンDistance Challenge千歳大会で思わぬ勝利(三浦が8分19秒37の日本歴代2位で優勝し、キプラガトが8分19秒60で2位)を手にして、タイムもそこで一気に伸びて自信がついたのは確かです。高校まではタイム差もあり、大きな壁のような存在で、なかなか超えられないと感じていました。キプラガト選手だけを特別意識していたわけではありませんが、ホクレンの勝ちが自分の成長に大きく影響したのは事実です。

――外国人選手とのレース経験が少ないと、ストライドの違いに苦労をする、という話を聞いたことがあります。

三浦:外国人とのレースだからストライドを変えたり、意識したりすることは特にありませんが、以前は障害に足が合わないことが多かったので、障害の攻略の仕方の1つとして取り組んできました。障害に向かうときに思い切ってストライドを伸ばし、加速することで障害を越えやすくすることができたんです。

――今後はダイヤモンドリーグなど海外のレースにも、積極的に出場していく予定ですか。

三浦:そうですね。海外レースに挑戦する機会があれば、優先順位を高くしたいと考えています。

3000m障害の目標は世界陸上のメダルと7分台

――今年7月の世界陸上オレゴン大会には、どんな目標で臨みますか。

三浦:3位入賞、メダルを目指していきたいと思っています。それにプラスして、記録も7分台を目指したい。世界陸上に挑戦する頃には8分ヒト桁台前半を安定して出せる力をつけておきたいです。

海外でのレース経験は2回のみ。それでも五輪7位入賞の快挙を成し遂げた(撮影・池田良)

――そのために、今後の練習でどんな上積みができると考えていますか。1000m障害×3本のタイムが、高校時代より大きく伸びたと以前の取材でうかがいましたが。

三浦:そのメニューのタイムを上げることもそうですが、ハードルに足をかけるのを1000mの中で最初の1周だけにする、という練習の仕方もあると思います。極論すれば、足をかけずに1000mを走って、それを3本並べるやり方もある。それ以前に5000mなどのスピード持久力も必要なので、今までやってきたインターバルのタイムや本数を、一段階上げることも有効です。

――海外のレースに積極的に出場すること以外に、世界で戦うためにやりたいことは?

三浦:国内でもまだまだ、得られることは多くあります。取り組みを新しく変える方法もあると思いますが、結果を出した今までの練習やプロセスを継続させることも重要です。それがシンプルに力が付く方法だと思います。

――長門俊介監督はお家芸の3000m障害に限らず、順大の強さの理由としてクロスカントリーの練習を挙げています。三浦選手が自分の力になったと感じているメニューは?

三浦:よくやっているのはファルトレイクとスピードプレイです。ファルトレイクは60分とか70分、長い時間を走って、ポイント、ポイントの上り坂を使ってスピードを上げたりします。スピードプレイはトラックで行う400 mなどのインターバルを、クロカンコースで行います。シンプルに脚力がつきますし、心肺機能も一気に向上する。乳酸への耐性も上がると感じています。

東京五輪までは3000m障害に集中し、五輪後のロード練習で成長

――話題を再び箱根駅伝に戻します。長門監督によれば1年時は年間を通じてスタミナ練習も行っていたとということですが、2年時には東京五輪まで完全に3000m障害で結果を出すことを考えた練習でした。東京五輪後にどんな練習をして、箱根駅伝で成長が感じられるまでになったのでしょうか。

三浦:箱根駅伝の1区でリベンジしたいと思って取り組んだので、フラットなコースのリズムの取り方や、ペース維持の仕方を意識してやって来ました。積極性が増したことも関係していると思いますが、リズムの取り方が進歩したと感じています。ロードに対する苦手意識は消すことができていませんが、克服しないといけない部分を自分の中でしっかり考えて取り組めました。そこが1年時との違いです。

ロードへの苦手意識を克服しようとしっかり取り組んできた(撮影・藤井みさ)

――夏合宿の距離走は集団で走ったのですか。それとも、別メニューを1人で走ったのですか。

三浦:オリンピック後は集団でやりつつ、距離はみんなより少なめでやっていました。

――距離は16kmくらいまでですか。

三浦:いえ、夏合宿では20~30kmです。強度にもよりますが、最後にビルドアップするメニューの時は、遅めにスタートして(他の選手より距離を短くして)最後の5kmで合わせたりします。オリンピック後はそういう練習をちょくちょく行いました。

――2区の上りにはどういう練習で対応しましたか。

三浦:2区出場を言われたのは2~3週間前です。そこから上りをイメージはしていましたが、上りの練習を特別に行ったわけではありません。最初はどうしようかな、という気持ちもありましたが、チームが最後の1週間で仕上がってみんなのモチベーションが上がってきたとき、自分の気持ちも固まってきました。2区への心の準備を整えられたんです。

――来年の箱根駅伝の目標は? 個人では2区でリベンジするつもりですか。

三浦:チームは箱根駅伝の総合優勝と、学生駅伝3冠を目標としています。自分は今シーズン、ちょっと後れる形でロードシーズンに入ったので、3年生のロードシーズンは良い滑り出しができるようにしたいです。ロードへの自信を持てるように、もっとできるぞ、というノビシロを見せていきたい。箱根駅伝の希望区間はまだ言えませんが、どこの区間を走っても区間賞を取れるように頑張りたいと思います。

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