野球

特集:駆け抜けた4years.2022

明治大学のエース竹田祐 悔しさを強さに変えた4年間の軌跡

2021年秋の立教大学1回戦で完投し喜びを爆発させた明治大学の竹田祐

「絶対に弱々しい姿を見せられない」。明治大学のエース竹田祐(4年、履正社)はその言葉通り、この1年間堂々たる投球を見せ続けた。ぶれない強さを作った原点には、逆境を乗り越えた経験がある。明大での4年間で、竹田が直面した二つの逆境に迫った。

強さの裏にあった苦しさ

より強く、より勇ましく――エースナンバー「11」を背負う竹田の姿は、試合を重ねるごとに進化を遂げた。打者を見るその目には闘志がめらめらと宿り、決して強気な表情を崩さない。常に攻めの姿勢を崩さず打者を打ち取り、神宮の空に雄たけびを響かせる。降板後はチームへの思いを爆発させた。常にベンチの最前に立ち、誰よりも声を張り上げ応援する。得点すればベンチを飛び出し、何度も飛び跳ねて喜ぶ。全身から闘志があふれ出すその姿は、多くのチームメートを奮い立たせ、多くの観客を魅了した。

ピンチを切り抜けると渾身のガッツポーズを見せた

しかし「本当につらいこと、苦しいことばかりの4年間でした」。引退後、竹田が口にしたのは意外な言葉だった。現役最多の通算11勝を挙げた4年間。華々しい活躍を見せた裏側には、忘れることのできない苦しい時期があった。

「野球へのやる気が起きなくなった」。誰もが認めるストイックな男。その竹田が一度だけ、野球に背を向けた時がある。3年生の8月。春季リーグ戦を終えた直後のことだった。「本当に野球をする気になれなくて。リーグ戦が終わってすぐ、気分転換も兼ねて大阪の実家に5日間くらい帰りました」。今振り返ると、決して許されることではない。それでも許可が下りるほど、当時の竹田が置かれた状況は耐えられないものだった。

コロナ禍で異例の8月開催となった2020年度春季リーグ戦。前年度までチームの柱だった森下暢仁(現・広島東洋カープ)、伊勢大夢(現・横浜DeNAベイスターズ)が卒業し、1年次から登板を重ねる竹田にも投手陣の一角を担う意識が芽生える。「3年生だけどチームを引っ張っていきたい」

しかし待っていたのは、とてつもない悪夢だった。早稲田大との開幕マウンドを任されるも5回4失点。続く慶大戦では初回から制球が定まらない。フォームは安定せず、ストライクも入らない。チームを引っ張るどころか、自分のことすらままならない状況に。必死で練習を重ねたが、それでも結果はついてこなかった。もがけど、もがけど、沈んでいく。光は遠ざかっていき、気付けば暗闇をさまよっていた。「あの時はどう頑張ってもうまくいかなかった」。まさに絶望。チームも5位に沈み、思い描いていた理想とはかけ離れたまま春季リーグ戦は幕を閉じた。

入江との二人三脚

実家に帰り、野球から離れても気分は晴れなかった。このままではいけないことは自分が一番分かっている。しかし努力しても報われない日々。重たい腰を上げてくれたのは、当時のエース入江大生(現・横浜)だった。
「入江さんが4年生になってから変わり始めて。一番声を出すし、一番練習していたし、嫌なことも絶対に率先してやる。そういう姿で見せる人でした」。同じ学部で下級生の頃から仲が良かった入江。彼がエースとなって見せた変化に、ついていこうと決意する。その時、仲の良い先輩は、憧れの存在に変わった。「入江さんが練習していたら自分も負けたくないと思って入江さんよりも練習していたし、入江さんが頑張っているから自分も頑張ろうと思えた」

入江の人一倍努力する姿に奮い立たされ、竹田は再び立ち上がる。毎日付きっきりで練習してもらい、何度も励まされ、二人三脚で何とか悪夢の夏を乗り越えた。迎えた秋季リーグ戦、竹田は見違えるような投球を披露する。シーズン初先発となった法政大2回戦では七回2死まで1安打も許さない完璧な内容で、2年次春ぶりの白星を手にした。最終戦の東京大戦でも同じく七回2死までノーヒットノーランの投球を見せる。暗闇から抜け出した竹田は、一回りも二回りも成長してマウンドに戻ってきた。

20年秋の東京大学2回戦では快投をみせ八回まで投げた

エースナンバーを背負う者の覚悟

新たな年度を迎え、入江から背番号11を受け継いだ竹田。主将・副将ではないものの、間違いなくチームを引っ張らなければならない立場になった。しかしマウンドで見せる姿とは裏腹に、実は極度の人見知り。「人前で話すのが得意ではなくて、みんなの前では思ったことが言えない」。そこで意識したのが、入江と同じく「姿で見せる」ことだった。

「自分が真剣に練習している姿を見せればみんながついてくるし、野手も『竹田のために打ってあげよう』という感情になる。だから、姿で見せることはずっと意識してやっていました」

その言葉通り竹田はこの1年間、大学生とは思えないストイックな姿勢を見せ続ける。4年生になってから、リーグ戦期間は1日も遊ばず毎日練習に費やした。オフシーズンも、そのほとんどを体の治療とトレーニングに充て、遊びに行っても絶対に野球に支障を来さないない程度まで。どんなに楽しくても途中で切り上げ、野球中心の生活を崩さなかった。練習量と比例するように、投球内容にも安定感が増していく。最後のリーグ戦では2勝0敗、防御率1.59。不安定だった3年次から一変、誰もが認めるエースへと大成長を遂げた。

エースナンバー「11」を背負いマウンドに立ち続けた

全ては、チームが勝つために。この意識もエースという立場から生まれたものだ。「3年生までは自分のことで精いっぱいだった。エースになって、ベンチの後ろからみんなの姿を見ていたら、このチームで優勝したいと思うようになった」。エースとして明大を勝たせたい。強い思いが日々の練習や強気な投球、仲間への声援につながった。

それを象徴する場面が、最終戦となった法大2回戦で見られた。大学生活最後の先発マウンドに立った竹田は5回を無失点に抑え、藤江星河(1年、大阪桐蔭)に後を託す。竹田と仲が良く、1年間かわいがってきた後輩投手だ。しかし過密日程の疲れから藤江は2点リードを守り切れず無念の降板となった。竹田の勝ちを消してしまい、ベンチで号泣する藤江に真っ先に声を掛けたのが竹田だった。涙を流す後輩の肩を抱きかかえ、横で支え続ける姿はまさにエースだった。「今日の悔しさを絶対に忘れるな」。試合後竹田が藤江に送った言葉は、来年度以降の藤江の姿を大きく成長させるに違いない。

ベンチで号泣する藤江を笑顔で抱きしめた

藤江をはじめとし、人一倍努力家で仲間思いの竹田についてくる後輩は多かった。初めは竹田の気迫に圧倒されていた後輩も、次第に触発されベンチで声を張るように。後輩選手はポジションを問わず何人も、尊敬する先輩に竹田の名前を挙げた。入江から受け継いだエースとしての強い姿勢。その姿は、竹田を見た後輩投手へと継承される。竹田が明大に残したものは数字以上に大きかった。

「あの日の悔しさを忘れられない」

想像を超えるストイックさで野球に向き合い続けた竹田。それでも届かなかった夢がある。2021年10月11日、プロ野球ドラフト会議。その日、竹田の名前が呼ばれることはなかった。履正社高時代から目指してきたプロの舞台。追い続けた夢は無情にもかなわなかった。「今でも立ち直れていない」。その思いは、簡単な言葉では言い表せないだろう。

しかし竹田は逆境で何度も立ち上がる。引退後、残りの大学生活でやりたいことを聞くと「練習です」と即答。その言葉通り、退寮後も毎日早朝から明大の寮に通い、後輩と共にトレーニングに励んだ。その原動力は、やはり悔しさ。「毎朝眠くてしんどいけど、あの日の悔しさを忘れられないから。あの悔しさを思い出して、ああ頑張ろうって思う」。取材中何度も口にした「頑張るしかない」。その言葉には2年後を見据えての覚悟が表れているように見えた。

入江が退寮時竹田に渡したボール

「祐へ〝逆境からの成長〟入江大生」。取材時、竹田がうれしそうに見せてくれたボールがある。入江が退寮する際に渡したものだ。部屋の一番見えるところに飾り、常にこの言葉を自分に言い聞かせてきた。「間違いなく、今この状況です」。指名漏れの逆境に立った今、入江が残した言葉はより強く竹田の心に響く。

「2年後、絶対にプロに上がってこい」。ドラフト会議後、入江から掛けられた言葉に必ずや応えてみせる。憧れの先輩が待つ舞台へ。逆境からの成長を遂げる男は、決して歩みを止めない。

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