桐蔭横浜大・安武亨監督、サッカー界の外で働いた経験は指導者になった今も生きている
桐蔭横浜大学サッカー部の練習グラウンドには、いつも明るい大きな声が響いている。43歳を迎えた安武(やすたけ)亨監督は和やかな表情を浮かべ、せわしなく動きながら選手たちのそばまで寄り、ほめたかと思えば、ハッパをかける。情熱あふれる指揮官の声に反応する選手たちの顔は、どれもハツラツとしている。桐蔭横浜大サッカー部に上意下達の体質は全くない。安武監督は言う。
「私も選手だったので分かりますが、監督の顔色をうかがいながら練習するのは嫌ですからね。監督自身が楽しそうにしていれば、選手たちも楽しんでくれます。仮に機嫌が悪い日があったとしても、絶対に顔には出さないです。いつも一定のテンションでいるようにしています」
一方通行ではなく対話を
指導陣と選手の間で双方向のコミュニケーションを取るように心がけており、選手側から発言しやすい雰囲気をつくっている。監督・コーチからの指示は一方通行ではない。ときには練習グラウンドで対話し、選手側の意見を促して聞き入れる。
「自分の意見を自分の言葉で伝えることはすごく大事。アウトプットがうまくないと、思いは相手に伝わりません。学生の内にいい経験を積めればいいのですが、思うように伝えられなくても焦らなくてもいいと思います。自分に自信がないと、積極的に発言するのはなかなか難しいですから」
自分の経験があるからこそ言葉に説得力が出てくる
何か1つでもやり切ることができれば、自信は得られるという。サッカー一筋で生きてきたとしても、社会に出た時に大きな強みになる。安武監督自身が身を持って経験してきた。
Jリーグのサンフレッチェ広島でプロ選手となったものの、2シーズンのみで契約満了で退団。その後は、桐蔭横浜大に入学してサッカーに打ち込み、卒業後は一般企業に就職した。ネクタイ・メーカーの営業職として、九州の百貨店を回っていたサラリーマン時代を昨日のことのように振り返る。
「サッカーだろうが、ネクタイ屋だろうが、やり方は変わらなかったです。情熱を持って取り組み、ハードワークしていました。平日は営業マンとして飛び回り、土日はデパートの店先で販売をしていたので。『自分のブランドなんで、自分で売ります』って。桐蔭横浜大の学生たちもサッカーに取り組むくらい真剣に仕事に向き合えば、必ず成功できると思います。日本のトップにいける人材になれるはずです」
安武監督はアパレル関連以外にも人材派遣会社の営業としても働き、計5年間ほど会社員生活を送った。サッカー界の外で働いた経験は、指導者としてのキャリアにも生きている。学生たちに社会の中で働いた実体験を話すこともある。
「ビジネスの大きな話はできないですが、私でも伝えられることはあります。自分自身で経験したことを話せば、言葉にも説得力が出てくると思います。他の指導者のやり方を参考にしてアレンジしたりはしますが、あまり人のことは気にしないですね。他人からの受け売りだけでは、やはり学生たちにも響きません」
早坂前主将「自分の言葉で相手に直接伝える」
元営業マンとして活躍した指揮官の口調は物腰が柔らかく、相手の言葉を引き出すのも巧みである。今春、卒業する前主将のGK早坂勇希(4年、川崎F U-18)は、安武監督についてしみじみと話していた。
「大学の4年間で安武さんから意見を押し付けられたことは一度もなかったです。学生たちの意見を尊重してくれ、いい提案であれば認めてくれました。そこで僕は自信をつけましたし、それを繰り返したことで意見をはっきりと言えるようになったと思っています。プロの世界に進んでも、一般企業に就職しても、自分の良さを出すためには自分の言葉で相手に直接伝えることは大事だと思います」
すでに川崎フロンターレでプレーしている22歳は、恩師の教えをしっかり胸に刻み、桐蔭横浜大を巣立っていったようだ。