陸上・駅伝

東洋大・松山和希が学生ハーフ3位 エースとしての覚悟を胸に、相澤晃のように世界へ

松山は一度、先頭集集団から離されてしまったが、ラスト4kmで追いつき、一時は2位まで追い上げた(撮影・藤井みさ)

第25回日本学生ハーフマラソン選手権大会 

3月13日@陸上自衛隊立川駐屯地滑走路、国営昭和記念公園内及びその周辺道路
1位 平林清澄(國學院大1年) 1時間01分50秒
2位 中西大翔(國學院大3年) 1時間02分02秒
3位 松山和希(東洋大2年) 1時間02分02秒
4位 富田峻平(明治大3年) 1時間02分10秒
5位 高槻芳照(東京農業大2年) 1時間02分19秒
6位 吉田礼志(中央学院大1年) 1時間02分21秒
7位 小澤大輝(明治大3年) 1時間02分22秒
8位 伊地知賢造(國學院大2年) 1時間02分22秒
9位 西脇翔太(帝京大学2年) 1時間02分25秒
10位 目片将大(青山学院大3年) 1時間02分36秒

3月13日、日本学生ハーフマラソンが開催され、東洋大学の松山和希(2年、学法石川)は3位に入り、7月開催予定のFISUワールドユニバーシティゲームズ(成都)の代表に内定した。だが松山には笑みはなく、「優勝を狙っていたので3位にはすごい悔しい」と述べ、新シーズンでの雪辱を誓う。

一度集団から離れても、ラスト4kmで前へ

コロナ禍での開催となったが、例年通り、陸上自衛隊立川駐屯地滑走路と国営昭和記念公園内外を走るコースで実施された。松山は、序盤は余裕をもって先頭についていき、終盤で勝ちきるレースを思い描いていた。

スタートして明治大学の児玉真輝(2年、鎌倉学園)が前に出たのを機に、富田峻平(3年、八千代松陰)や小澤大輝(3年、韮山)たち明治大の選手が首位に立ち、大きな集団を引っ張った。駐屯地を出る5kmほどでも先頭は30人もの集団だった。一度公園外に出た後、13kmほどで再び公園内へ。富田を先頭に12人の集団でレースを展開。松山もその後方につけていたが、想定以上に余裕がなくなっていたという。

松山(561番)は先頭集団の中でレースを進めていたが、13kmを過ぎてから次第に遅れ始めた(撮影・松永早弥香)

松山は一度、集団から離れてしまったが、14kmほどで國學院大學の平林清澄(1年、美方)が抜け出すと集団も少しずつばらけていった。ラスト4kmほどで松山は2位争いをしていた國學院大の中西大翔(3年、金沢龍谷)、富田、中央学院大学の吉田礼志(1年、拓大紅陵)、東京農業大学の高槻芳照(2年、学法石川)に追いつき、前に出る。その後ろに中西がつき、残り100mへ。ラストスパートに自信をもっていた中西が勝ちきり、2位は中西、3位は松山だった。

平林たちに「どこかで勝たないといけない」

松山は2月13日に実業団ハーフを走り、1時間00分43秒で9位、学生の中では3位だった。それから1カ月後のレースではあったが、「やっぱり多少は疲労があったけど、3年生になるのでそこはしっかり対応しないといけないなと思い、最低限コンディショニングを合わせることはできました」と言う。酒井俊幸監督は「1月でよく結果を出してくれた」とたたえたが、松山自身は「監督は優勝してくれるだろうと期待してくれていたと思うので、申し訳ないです」と言葉少なげだった。

ラスト4kmで切り替え、一度離れた集団に再び食らいつけたところに松山も自力がついたと感じているが、ラスト勝負で敗れたことに悔いが残った。「自分はちょっといろんな大会で國學院の選手に負けることが多いです」。例えば昨年11月の全日本大学駅伝で松山は平林と同じ7区に配置され、平林は20秒差での8位でスタート。9位で襷(たすき)を受け取った松山は平林を捉えられず、11位での襷リレーとなった。一方、平林は区間3位と快走して順位を7位に上げ、國學院大の4位に貢献した。「どこかで勝たないといけないと思っているので、次のレースではしっかりリベンジできるようにしたい」とトラックシーズン、そしてワールドユニバーシティゲームズでの雪辱を誓う。

ラストスパートで中西(右)に競り負け、松山は3位だった(撮影・藤井みさ)

学法石川高校(福島)と東洋大の先輩である相澤晃(旭化成)は、3年生の時に学生ハーフで優勝し、4年生でのユニバーシアード(ナポリ)で金メダルを獲得。学生3大駅伝全てで区間新記録(全日本と箱根は当時、出雲は現在も区間記録保持者)を樹立。卒業後は旭化成に進み、10000mで27分18秒75の日本新記録を打ち立て、東京オリンピック10000m代表を勝ち取った。そんな相澤を追って東洋大に進んだ松山は、「相澤さんはここから世界で通用するような選手になったと思うので、自分もしっかりステップアップいけたらいいなと思っています」と言い、初の世界の舞台となるワールドユニバーシティゲームズでは序盤から積極的なレースを思い描いている。

東洋大のエースとしての覚悟

今年の箱根駅伝が総合4位で終え、チームは新主将の前田義弘(3年、東洋大牛久)のもとで新たなスタートを切った。松山も春から上級生になるにあたり、チーム内での自分の役割をより考えるようになったという。

「自分のことだけではなくチーム全体のことを考え、下級生のことをしっかり見ていかないといけない立場になるという自覚も少しずつ芽生えてきました。エースとして最低限、自分自身のことはやらなければいけないというのはあるけど、チームのことを考えると、自分がよりチーム全体を引っ張ることが必要かなと思っています」

松山は1年生の時に箱根駅伝でエース区間の2区を任され、区間4位と好走した。だが昨シーズンはけがに苦しみ、5月の関東インカレ男子1部5000mで14分20秒87での18位。10月の出雲駅伝には間に合わず、11月の全日本大学駅伝では前述の通り、7区区間11位と苦しんだ。だが今年1月の箱根駅伝では2年連続で2区を走り、区間5位タイの快走を見せ、12位から8位に押し上げた。

「きつくなった時に自分のことだけ考えるとどうしても力を発揮できない感じがするので、チームのことだったり、家族のことだったり、自分を支えてくれている人たちのことを考え、頑張らないとなと感じています」

レース中は1人であっても、松山は様々な人々の思いを胸にともに走っている。

様々な人々の応援が松山の力になっている(撮影・藤井みさ)

今年のトラックシーズンは関東インカレだけでなく、6月19日に10000mで競う全日本大学駅伝関東地区選考会もある。「トップ通過は最低限の目標」だと松山は言い切り、今シーズン中に10000mで27分台を狙う。東洋大のエースとしてただ結果を出すだけでなく、チームを奮い立たられるような走りを目指す。

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