アメフト

特集:駆け抜けた4years.2022

関西学院大学の安西寛貴、甲子園4連覇を支えた同期3人目のランニングバック

関西学院大学のRB安西寛貴。甲子園ボウルでは、仲間の作ったリードで出番がまわってきた(撮影・全て北川直樹)

2021年シーズンを有終の美で飾った関西学院大学には、選手とスタッフあわせて約200人の部員が在籍していた。中には高校時代に活躍したものの、大学ではレギュラーに食い込めない選手もいる。彼らは表舞台で輝かしい活躍をすることはなくとも、関学の層の厚さ、総合力の象徴としてチームを支えている。2021年、関学の強さで目を引いたのは、エース前田公昭(関西学院)と甲子園ボウルで活躍した齋藤陸(江戸川学園取手)の4年生RB(ランニングバック)だ。彼らのような華々しさはなかったが、ともにファイターズを支えた3人目のRB安西寛貴(ひろき、4年、関西大倉)の取り組みを紹介する。

最後の出番に涙

「絶対に(タッチダウンを)とってこいよ」。甲子園ボウルの第4クオーター、これまで出場機会が決して多くはなかった安西の晴れ舞台だった。フィールドに入る前、「キミ(前田)にそう言われて、ポンとメットを叩(たた)かれました。アサイメント(戦術理解)が甘くて怒られることも多かったし、自分が不甲斐ないのと嬉(うれ)しいのが混ざって、ちょっと涙が出ました」と安西が振り返る。点差が付いていたことで、安西ら控えの4年生に出番が回ってきたのだ。

甲子園ボウル後に齋藤陸(右)、前田公昭(左)と同期RBトリオで記念撮影。最後は3人で笑顔になれた

チームとしては入学時から4年連続で出場したが、RBとして自分がはじめて走る甲子園ボウル。噛(か)み締めるように大事にボールを持って走る。つい力が入りすぎたが、学生アメフトの集大成としては込み上げるものがあった。安西は高校まではRB、QB(クオーターバック)、K(キッカー)として鳴らした選手だったが、大学では裏方に回ることが多かった。しかしながら関学で過ごした4年間は、挫折とともに自分の生き方を考える、濃密でかけがえのないものとなった。

兄の背中を追い

安西には4つ上の兄がいる。「小さい頃は、水鉄砲でずっと撃たれたりしてました」という兄の雄平(2019年卒)は、関学大の3学年上の先輩でもある。兄は高槻中学に入学したときにアメフトをはじめた。公園でキャッチボールに付き合わされたことがきっかけで安西もアメフトに興味を持ち、関西大倉中学入学と同時にチェスナットリーグの池田ワイルドボアーズでプレーをはじめた。

平日は部活、週末はワイルドボアーズでアメフト漬けの日々。元々サッカー少年だった安西は、根っからの目立ちたがりで「チームでは引っ張る方だった」こともあり、わかりやすく活躍できるオフェンスのRBになった。ワイルドボアーズの1学年先輩には、関学でも活躍したQBの奥野耕世(21年卒、ホークアイ)がいて、奥野が卒業したあとはQBにポジションを変えて後を継いだ。

19年のライスボウル。兄の雄平さんはファイターズで主務を務めた

関西大倉高でRBに戻り、1学年上の山田大葵(ひろき、明治大卒、富士フイルムミネルヴァAFC)とローテーションで出場していたが、高校2年の秋大会を前に山田がけがをした。そしてランプレーは安西ひとりに託された。その秋大会は関西大会にも出場し、敗れはしたが関学高等部と前半を互角に戦うなど、結果も残した。

RBとしてフィールドを自由に走るのが好きだったことに加え、コーチから「プレイスタイルが立命に合っている」とアドバイスを受けていた。一方で、中学受験で不合格だった関学に対する憧れがあった。パワー派RBとして活躍した橋本誠司(17年卒)の走りがカッコよかった。1浪を経て関学に進んだ兄からチームの話を日常的に聞いており、ファイターズがどんな組織なのかもなんとなく知っていた。他のチームはアルバイトをしながら部活をするのもザラだが、関学ではアメフトにとことん向き合うという話も聞いた。

そんな中、兄が大学2年の秋に選手からマネージャーに転向することになり、家族会議が開かれた。そこで兄は「チームに自分が一番貢献できるのはスタッフに転向することだ」と自分の考えを話した。兄の覚悟を知り、変わっていく姿を近くで見ているうちに自分もファイターズでアメフトに取り組みたい、自分も成長したいと考えるようになった。

高校2年の冬、都道府県選抜対抗のオールスター戦ニューイヤーボウルで活躍して、関学から声がかかった。ひとつの目標に近づけて嬉しかった。高校3年からはチーム事情でQBになったが、RBとしては大阪でもやれている自信があって、意気揚々と関学への進学を決めた。兵庫県の試合を見たことがなく、同期の前田の走りはほとんど知らなかった。安西は当時の気持ちを振り返り「すこし天狗になっていた」と話す。

チャンスをつかみきれず

ファイターズに入部すると、RBの先輩にあたる山口祐介(19年卒、オービック)や三宅昂輝(21年卒、富士通)ら学生界を代表する選手の走りを目の当たりにして「すごいとこに来ちゃったな……」と感じた。ただ、RBの同期が3人と少なかったこともあって、4年間で試合に出るチャンスはあるだろうとも思っていた。

大学1年は試合に出なかったが、2年の春にチャンスをつかむ。けがをした奥野のかわりに試合に出ていた同学年のQB平尾渉太(啓明学院)が、春の法政大戦でけがをして、QB経験がある安西に白羽の矢が立ったのだ。慶應義塾大学戦まで1週間しかなかった上にガチガチに緊張して、思うようなプレーは全くできなかった。「さんざんな結果でした、黒歴史です」と苦々しそうに振り返る。

19年春の慶大戦。急遽QBでの出場が決まったが、理想からは遠い仕上がりだった

身長167cmの安西は仲間のラインが大きすぎて前が見えず、焦りからボールをどこに投げていいかわからない。パスを無理に投げてインターセプトされまくった。試合中に大村和輝ヘッドコーチ(現・監督)に「前、見えてるか?」と言われた。練習ではある程度投げられていたが、試合ではじめて高校との違いを痛感した。「とにかく結果を出せない自分が嫌で。三宅さんがずっとリターンTDしてくれれば(攻撃が回ってこない)と思っていました」と冗談まじりに話す。今振り返ると、このときに結果が出せてれば自分がQBに入るスペシャルプレーができたのかもしれないとも思った。

QBの奥野や平尾がけがから復帰するとRBに戻ったが、層が厚いのでなかなか出番は回ってこない。安西に与えられた役割は、「スカウトチーム」での仮想敵役だった。関西リーグ最大のライバル・立命館大学に立川玄明(ひろあき、21年卒、パナソニック)という大型RBがいたことで、仮想立命の役目としてフルタックル練習(けが防止のため本来はあまり行わない)を引き受けたりもした。同時に、自分のRBとしてのキャラクターとしてどういう方向性でやっていくのかを考えた。誰にも負けないのは体の大きさとパワー。それをどう活(い)かすかを考えて取り組んだ。QBを守るパスプロテクションに力を入れて、チームで一番の完成度を目指した。

「当然Vチーム(レギュラー)で活躍したいという気持ちはありました。でも上級生になるにつれて、自分がどうしたいかよりも、チームのためにスカウトに徹して、やれることやろうという風に変わっていきました。Vチームを相手にするスカウトが一番成長できるというのは大村監督にも言われていて、自分もそれを実感していました」

まだ、まだ、甘かった

同期や先輩だけではなく、下級生にも次々に優秀な選手が入ってくる。上級生だからという理由で試合に出られるほど、関学の競争は生やさしいものではない。RBとしては埋もれてしまった。3年に上がったとき、どうしても試合に出たかったので、キッキングチームに立候補した。レギュラーの先輩がディフェンスの主力だったこともあり、代わりに入るのを目指して取り組んだ。そして、秋の立命戦から1本目で出られるようになった。しかし、まだどこかで自分がVチームのメンバーじゃないという甘えもあったという。

関学では毎年監督と1対1の面談を行うことになっていて、4年のシーズン前にあった大村監督との面談では、「ライスボウルの後に泣いたか?」と聞かれた。泣かなかったと答えたら「お前は(この1年に)懸けてなかったんやな」と言われ、自分の甘さを痛感した。

4年になって自分を変え、チームに貢献するためにキッキングリーダーに立候補した。幹部との話し合いでは「安西でいいのか?」という意見も出たが、自分が勝たせるという強い思いを伝えて仲間を説得した。実際の取り組みでも、相手がどう来ても対応できるようにプレーを考えて、細かい部分まで突き詰めてやり切った。4年の夏前にはライバル・関西大学に負ける波乱もあったが、コロナ禍で活動に制限がかかる中でも着実に練習で課題をつぶしていった。秋には関大と立命に僅差で勝ち、4回目の甲子園ボウルにこぎ着けた。

関大戦のゴール前でブロッカーとして出場、前田(26)のTDを御膳立てし喜ぶ

試合に出る機会が少なくて腐ったこともあったが、自分の生きる道を見つけた。レギュラーで活躍することだけが全てではなく、チームに貢献できる役割は多岐に渡ることを学んだ。「関学の強みは、上級生が中心になって徹底して物事を考え、自分の言葉として話せるようになることだと思います。面談やミーティングを通じてめちゃくちゃ鍛えられました」。この春からは、食品メーカーで新社会人として走り始める。もう自分の活躍だけを考えていた4年前とは違う。安西はファイターズで学んだことを活かして、新しいチャレンジに立ち向かう。

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