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連載:OL魂

関西学院大学の俊足ガード田中琢己 自分の道は野球じゃなくOLで正解だった

関西学院大学のOL田中琢己。持ち前の機動力を生かしたアサイメントも多い(撮影・北川直樹)

6年連続で甲子園ボウルに進んだ関西学院大学ファイターズのOL(オフェンスライン)といえば、芸術的なランブロックで知られる。5人が決められたステップを踏み、相手ディフェンスに当たって走路をこじ開けた瞬間、ランナーがスッと駆け抜ける。そのコンビネーションとタイミングを日々の練習で体に染みこませるのだ。そんな職人集団を代表する5人のスターターに、今シーズンは1人だけ高校時代までのフットボール未経験者がいる。関西学院高等部で野球部の控え外野手だった田中琢己(4年)だ。

高校野球でほとんど公式戦出られず

3年生の秋からスターターとなった田中は、今シーズンは左のガードとしてオフェンスを支える。セットは左手を地面につき、右ひじを右ひざの上に置く。身長180cm、体重110kg。大学トップレベルのOLとしては平均を下回るサイズだが、機動力がある。何せ40ydは光電管計測で4秒89と、110kgある人のタイムではない。もちろん関学のOLでトップだ。法政大学との甲子園ボウル(12月19日)を前に「一番こだわってきたしつこいブロックで前田(公昭)と齋藤(陸)を走らせる」と誓う。

甲子園でかなった関学・前田家の夢、ライスボウルも兄がブロックし、弟が走る
関西学院大の齋藤陸、最後の甲子園で大きな恩返し誓う小さなランニングバック
甲子園での練習で大声を出す(撮影・篠原大輔)

大阪府箕面市で生まれ育った。中学時代は大阪箕面ボーイズで5番レフトとして活躍。全国大会にも出場し、いくつかの高校から推薦入学の話が来た。ただ田中は「勉強もしときたい」と、中3から塾に入って受験に備えていた。塾の先生が「大学につながってるとこ行ったら楽やで」と言うので、関大一と迷って関学高等部を選び、合格した。

中学時代にある程度の実績を残したから、「すぐにスタメンとれるかな」と楽観していた。とんでもない間違いだった。3学年で部員は150人近くいて、激しいレギュラー争いがあった。「すごいとこに来てしまった」と思った。2年生のころは「3年になったらレギュラーに」と思っていた。しかし最終学年になっても打てない。調子が一向に上向かない。腐りかけた時期もあった。そんなとき学生コーチから「試合には出られんかもしれんけど、やれることはあるから」と言われ、気を取り直した。結局、公式戦にはほとんど出られずに高校野球人生が終わった。

走ってTDの夢は……

大学に上がるにあたって、野球を続けるかどうか考えた。「大学も人数多いし、いまの力やったら4年間試合に出られへんかも」。実は関学高等部に入るときも、塾の先生に「関学やったらアメフトやろ」と言われ、少しだけアメフト転向を考えたことがあった。最終的に「アメフトなら大学から始めても試合に出て日本一になれるチャンスがある」と、野球に別れを告げた。野球部同期の都賀創(とが・はじめ)もアメフト転向を決めていて、「一緒に頑張ろや」と2018年の春を迎えた。都賀は今年からLB(ラインバッカー)のスターターでディフェンスリーダーも務める。田中とともに、しっかりとアメフト転向を実らせた。

ファイターズ入部にあたり、田中は当然、一般的な幸せを思い描いた。「ボールを持って走ってTD(タッチダウン)したい」。しかし、当時から体重90kgとガッチリしていた。足も速い。球技なのにボールを持たない職人集団が、このグッドアスリートに熱視線を向けないはずはない。まずは希望通りにTE(タイトエンド)になった。2年生になると、OL担当の神田有基コーチが田中に言った。「ちょっとOLに入って当たりの練習してこいや」。そしてその夏、「多少当たれるようになってきたやないか。ガードでいこか」と神田コーチ。こうして田中のOL人生が始まった。このころ体重は100kgほどだった。

入部当時90kgだった体重は110kgになった(撮影・北川直樹)

速さで勝つガードを目指し、OLのイロハをたたき込まれる日々。早くもその秋のリーグ戦で出番が来た。先輩にけが人が相次ぎ、9月8日の龍谷大戦に右ガードのスターターで出た。序盤は体の震えが止まらなかったという。ただ、高校時代にはない充実感もあった。「まだ強い自信はなかったんですけど、高校のときの野球に比べたらアメフトの方が具体的なプレーの練習量が多くて、やってきたことに自信を持てた。初めての割には思い切っていけました」

深夜のカレーもOLのため

3年生の春から試合出場が増え、秋からスターターとなった。「入部したときは、まさか3年から出られると思ってなかった。運もよかったです」。昨シーズンは唯一の4年生スターターである高木慶太さん(現ホークアイ)が5人の真ん中のセンターで、後輩たちを引っ張ってくれた。高木さんはポジションのミーティング以外にも、アメフトの知識が少ない田中のために〝教室〟を開いてくれた。副将だった高木がほかの幹部と暮らす「ファイターズホール」に、田中は足繁く通った。ほかのOL4人の動きとRBの動きが分かっていないと、いいポジションでブロックに入れない。それを徹底的にたたき込まれた。試合中も高木さんは後輩たちが迷っていると見るや、的確な指示をくれた。頼もしすぎる先輩に助けられ、田中はライスボウルまでスターターで出続けた。

関西学院大学のセンター高木慶太 賢く、強く突き詰めたOL道、最後に花開かせる

一方で昨年の自粛期間中に112kgまで体重を増やした。田中の実家は彼が物心ついたときから、金曜日の夜ごはんがカレーライスと決まっている。だからカレーはいつも台所にある。それを毎夜、日付が変わったころに食べた。「ダイエットの逆をやったら太れるんちゃうかと思って」。試合経験を積むとともにOLとしての土台づくりができた。

迎えた大学ラストイヤー。エースQB(クオーターバック)の奥野耕世さん(現ホークアイ)に高木さんと、オフェンスを引っ張ってくれた存在が卒業していった。OLの4年生たちは「全員が引っ張れる存在になろう」と話し合った。プレー間のハドルの様子が変わった。去年までは奥野さんがひょうひょうと次のプレーを告げ、明るく周りのメンバーを励ました。今年は新たにエースQBとなった鎌田陽大(2年、追手門学院)に対し、センターで副将の朝枝諒(4年、清教学園)がなんやかんやと声をかけて和ませる。

ハドルブレイクも関学OLのこだわり。「あそこで大きな声が出ないと、思い切ってプレーに入れない」(撮影・北川直樹)

最大のライバルである立命館大に対しては、春から「今年はランで勝とう」と言い合ってきた。そしてリーグ戦の優勝決定戦、全日本大学選手権の西日本代表決定戦ともRB(ランニングバック)陣を気持ちよく走らせて勝った。田中たちOLにとってはそれがうれしいし、ゴール前の1、2ydを確実にTDにできているのが大きいと感じている。

「完全に道開けて走らせます」

田中自身のナイスブロックを尋ねると、「う~ん」と考えてこの秋の関西大戦の先制TDを挙げた。ゴール前5ydからの第3ダウン5yd。中央付近のランで田中が相手DBにまっすぐぶつかって仰向けに倒す。相手に覆いかぶさったその背中の上をはうようにして、RB前田がエンドゾーンに入った。「3yd進めば、というプレーで5ydをとりきれた。いいブロックができたなと思います」

まだ終わってはいないが、この4年間を振り返り、田中は自分のように大学で野球を続けても活躍は難しいと感じた人にはアメフト転向を勧めたいという。「アメフトは足が速いとかデカいとか、何か一つの長所が武器になる。それに野球をやってた人って、僕はちょっと違うんですけど、覇気があって負けん気の強い人が多い。だから臆せずヒットできると思うんです。野球部は走り込みで下半身が鍛えられてる人も多いし。ぜひアメフトで生かしてほしいです」

子どものころから野球観戦で甲子園球場には何度も行っていた。もちろん阪神ファン。高校球児としても目指した場所でもある。だからこそ、1年生の甲子園ボウル前の練習日は夢のような時間だった。「ブルペンで着替えるんですよ。こんなとこに俺が入ってええんか、って。甲子園でプレーできるのも今回で最後、あこがれの場所で絶対に勝って終わりたいです」

TDした仲間と喜び合うシーンが甲子園で何度見られるか(撮影・篠原大輔)

大学でのラストゲームが迫る。「3回生までOLの同期とはあんまり仲よくなかったんです。でも4回生になって深くコミュニケーションをとるようになって、変わりました。アイツらとOLができて、ほんまに正解でした。自分の道は野球じゃなかったし、ボールを持つポジションでもなかった。OLで合ってた。甲子園ボウルではどんな状況でも、しつこいブロックをやり続けるだけです。前田と齋藤は日本でも1、2を争うバック。あの2人がおって、ほんまによかった。最後は完全に道を開けて走らせます」

この日曜日、甲子園の芝の上で青い青いOL魂がほとばしる。

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