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連載:OL魂

東京大学・屋敷昌尭主将「最後まで戦いきる」 父は京大最強時代の伝説の主将

「相手をぶっとばしたときが何よりうれしい」と屋敷主将(すべて撮影・篠原大輔)

6月12日、関東大学1部TOP8の東京大学ウォリアーズは、神戸・王子スタジアムで甲子園ボウル4連覇中の関西学院大学ファイターズに挑んだ。56年ぶりに実現した交流戦は7-31の完敗だった。東大のキャプテンである屋敷昌尭(まさたか、4年、巣鴨)は試合直後、東大サイドのスタンドに向けて「本日ははるばる神戸まで応援ありがとうございました」と叫んだ。そこには、かつて京都大学ギャングスターズの黄金期に主将を務めた屋敷の父、利紀さん(57)の姿もあった。

甲子園ボウル4連覇中の関学に一矢

関学との試合、屋敷はオフェンスの最前線に5人並ぶオフェンスライン(OL)のうち、右のガード(G)としてスタメン出場。東大は今年から取り組むフレックスボーン隊形からのオプション攻撃を展開。実にオフェンスの50プレー中45プレーがラン。身長178cm、体重120kgの屋敷は毎回勢いよくスタートをきり、相手をブロックに向かった。

試合残り2分を切り、東大はようやくRB伊佐治蓮(3年、都立戸山)の1ydタッチダウン(TD)ランで初得点。屋敷は小さくガッツポーズした。「何とか一矢報いました。OL全体として相手のDL(ディフェンスライン)にフィジカルで負けてはいなかったと思います。ただラインバッカー(LB)とセーフティー(SF)の動きは速かったですね。プレーの精度がまだまだ低いので、秋までに高めていきます」

「次のキックに入らないといけなかったんで」と、関学戦のTDにも喜びは控えめ

父は当初、息子のアメフトに大反対

観客席で見守った父の利紀さんも京大時代はOLで、ど真ん中のセンターだった。まだ80kg台のOLがざらにいた1980年代後半では屈指の巨漢で、4年生のライスボウル前の新聞記事には身長190cm、体重110kgとの記述がある。父は感慨深げに話した。「私が京大4年生のときの関学戦を思い出しながら観戦しました。まさか次男が別の大学とはいえ、私と同じキャプテンとして関学さんに胸を貸していただくとは想像すらしませんでした。これほどの感激はないです」

いまでこそ父はチームのファミリークラブの会長も務めているが、当初は息子がアメフトをやることに大反対だった。

父は京大時代、アメフトに没頭し、ほとんど勉強しなかった。そして社会人になり、大いに苦労した。だから、息子にはこう言ってきた。「大学は勉強するところだ。とくにアメフトは危険だしダメだ」と。アメフトに関する話は、家でほとんどしたことがない。長男は父の教えの通りよく学び、いま大学院の博士課程にいる。

屋敷(中央右)はOLとして「スタートとヒット」しか考えていない

「お前の息子が入ったぞ」に、父は衝撃

次男は高校時代、ハンドボール部だった。東大に入ると、アメフト部から勧誘を受けた。新入生に部をアピールするための新歓試合に行くと、心が揺れた。「激しいプレーにひかれました。もともと格闘技を見るのが好きで、自分もやってみたいと思ってましたから。『半年ぐらいはやってみるか』ぐらいの気持ちで入りました」と笑う。父には言い出しにくく、黙っていた。

次男が東大に入って1カ月ほどしたころ、父は京大アメフト部同期の集まりで衝撃の事実を知る。学生時代ともに2年連続日本一を経験した森清之さんは、2017年から東大アメフト部のヘッドコーチ(HC)。森さんから、「お前の息子が入ったぞ」と聞かされたのだ。

さあ、家族会議だ。父が次男に「なんでアメフトに入ったんだ」と聞くと、「おもしろそうだから」。やりたいポジションは花形のQB(クオーターバック)だという。父は学生時代にOLだったから、ラインの選手がどれだけ体に負担があるか熟知している。「ラインじゃないなら」というのと「4年間は続けないだろう」という思いで、次男の思い通りにさせた。

次男が関学戦のコイントスに向かう姿を撮影する屋敷利紀さん

QBで1試合やって、OLに転向

東大アメフト部では新入生にいったん希望のポジションをやらせることにしている。だから屋敷もQBになった。屋敷はハンドボール経験者でもあり、「投げるのもそこそこ上手でした」と森HC。よく食べて、6月末の東京学芸大学との1年生試合のころには、体重が90kgになっていた。森さんたちコーチ陣は「ラインにしたら面白い」と見ていた。人生初のアメフトの試合。父も観戦に訪れた。QB屋敷はパスを一度も投げず、RBに渡すか自分で走った。走っていって相手とぶつかるのが楽しかった。夏が終わり、上級生の練習に合流するタイミングでOL転向を言い渡された。

同じラインならDLをやりたかったが、父と同じOLで頑張り始めた。ずっとアメフトに反対だった父も、徐々に支える側に回ってくれた。京大時代に大事にしていたという「スタートとヒット」について、教えてくれた。OLたるもの何があっても爆発的なスタートを切り、相手にまっすぐにヒットしてぶっ飛ばしにいくべしと。

2017年から東大のHCを務める森清之さん

森HCによると、1年のときは「普通の子」だった屋敷は2年になると目の色が変わってきたという。メキメキと頭角を現し、ガードでスターターの座をつかんだ。ただ、あまりしゃべらないので、上級生になってリーダーシップが求められたときに「大丈夫かな」という思いはあった。キャプテンになるとは夢にも思わなかったという。

「手を挙げないのは違う」とキャプテンに立候補

昨年、屋敷が3年生の秋のシーズンは4戦4敗で、関東1部TOP8最下位。ただコロナ禍で入れ替え戦がなく、最上位リーグに残った。屋敷たちは最上級生になるにあたって、新4年生だけで何度も話し合った。屋敷はキャプテンに立候補した。

「やっぱりチームを引っ張れる人は何人かに限られる。2年からスタメンで出てきた自分はその一人であって、少なくとも自分が手を挙げないのは違うと思いました。悩みましたけどね」。照れるように笑って、屋敷がそう明かした。「半年ぐらいはやってみるか」と軽い気持ちで入部したあの日から2年半、屋敷家の次男はアメフトを通じて、しっかりと大事なことを学んでいた。

ほかに手を挙げた人はいなかった。仲間たちの信任をもらって森HCらと今後のことについて話した上で、屋敷は東大ウォリアーズのキャプテンとなった。

来る日も来る日もオフェンスの最前列で戦う

「思ったことをそのまま言うのが一番」

「なかなか大変です」。春シーズンの試合も残り1試合となって、屋敷は本音を漏らす。「ディフェンスのメンバーとコミュニケーションをとるのが難しい。OLだけでも個性的なヤツが多いんで」。もともと口数の少ない男が、人前で話す機会も増えた。「うまく言おうとしないようにしてます。思ったことをそのまま言うのが一番だと思ってます」

森HCは言う。「キャプテンになったことで成長してます。東大だから、とくにいろんな考えのヤツがいる。それを受け止められるようになれれば」。オプション攻撃を支えるOLとしても期待は大きい。「研究心が旺盛で、よく考えてやってます。激しい当たりもできるし、プレーヤーとしてもまだまだ伸びる」

父は次男の成長ぶりに驚いている。「途中でやめると思ってましたからね。まさかキャプテンとは。この1年でさらにたくましくなったし、最近はグッと顔つきがよくなった。『いい顔してるな』と思うことが増えました」

本番の秋のシーズンが終わったとき、屋敷は何を語るだろう

父は京大時代、ずっと「矢面」に

屋敷は父の京大時代の映像を見たことがある。「信じられないぐらいデカかった。人間2人分ぐらいの幅がある感じで」。父は富山県立高岡高校時代は柔道部。京大入学時には130kgはあったそうで、当然、アメフト部からの熱烈なアプローチを受けた。当初はスポーツをやる気はなかったが、最終的にギャングスターズに入った。

当時の京大を率いた水野彌一元監督が言う。「屋敷が入学した1984年は4年が2人しかいなかった。だから彼ら1年生が秋の初戦で7人もスターターになった。当時の京大で1年生は『お客さん』。1年間は体を鍛えるだけで、とくにつらい思いもしない。でも84年に入ってきたヤツらは違う。4年間ずっと矢面に立たされたようなもんですわ」

父と高校の同級生で野球部だった東海辰弥さんも、同時に京大アメフト部に入っていた。東海さんは投げてよし走ってよしの大型QBに成長。屋敷さんはその東海さんにボールをスナップする巨漢センターとして名をはせた。3年のときは最大のライバル関西学院大に35-7と完勝。続く87年、1年生から修羅場を経験し、鍛えられ続けてきた84年入学組が最上級生となり、屋敷さんが主将に就いた。水野さんにはこのころ、ある思いがあった。「死にもの狂いで向かって来た関学に対して、戦術ではなく力で勝ってこそ、京大フットボールの完成を証明できる」と。

まさに87年のリーグ最終戦がその舞台となった。前年、京大に完敗している関学は牙をむいてきた。17-14で迎えた第4クオーター、屋敷さんが相手DLをブロックし、東海さんが真ん中を突く「QBスニーク」で25ydのTDラン。関学を突き放し、リードを守り抜いた。「ゲームプランでは完敗でした。でも最後は屋敷たちが個の力でねじ伏せた。私にとっては『このやり方でええんや』という答えが出た試合でしたな」と水野さん。その後、甲子園ボウル、ライスボウルと勝ち、京大史上初の2年連続日本一を成し遂げた。

父にも誇れるラストシーズンに

そんな父を「すごい人です」と評する次男はこの秋、ウォリアーズでのラストシーズンをどう生きるのか。「終わったときに『最後まで戦いきった』と言えるチームでありたいです。練習も、試合も全部戦いきった、と」

お父さんにも誇れるシーズンにしたいですよね、そう尋ねてみた。

屋敷ジュニアはにっこり笑って、「はい」と返した。

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