アメフト

関西学院大学・占部雄軌 異例の実績なき新キャプテンは情熱と覚悟の人

桜美林大戦のキッキングゲームで奮闘する占部(79番、すべて撮影・篠原大輔)

甲子園ボウル4連覇中の関西学院大学ファイターズは5月15日、神戸・王子スタジアムで桜美林大学との交流戦に臨み、45-21で勝った。試合後、関学の新キャプテンであるOL(オフェンスライン)の占部(うら・べ)雄軌(4年、関西学院)は「2、3枚目の準備不足が大きかったと思います。1枚目も自信を持ってできてるわけじゃない。甘かった」と表情を曇らせた。この男が名門関学としては異例中の異例、選手としての実績がほとんどない主将だ。「僕にはパッション(情熱)と覚悟しかありません」と言いきる。

幼稚園から高校までラグビー

春先に強豪校の新主将の顔ぶれが分かってくると、たいていの場合は「うん、やっぱりな」、あるいは「へえ、そうきたか」といった思いを抱いてきた。しかし今回、関学の主将が占部だと知ったときは、失礼ながら「誰やねん、ウラベって」としか思わなかった。桜美林大戦のあと、占部に「1年前にこの状況は予想できました?」と尋ねると、「いえ、まったく」と言って笑った。

OLとして出場中、ベンチに戻ってコーチの話を聞く

占部は関学のおひざ元、兵庫県西宮市で生まれ育った。祖父も父もおじもファイターズ出身。だが彼はフットボールより少し大きな楕円球を追いかけた。幼稚園から高校までラグビーに没頭。関西学院高等部ではFW第一列のプロップとして、2年のときにレギュラーになった。「高校からアメフトをしようかとも考えたんですけど、花園を目指したい気持ちが強かったのでラグビーを続けました。花園へ行くために初めて本気で取り組みました」

高3のときは主将。占部はときに感情をあらわにして、チームメイトに訴えかけた。泣いたり怒ったり、ありのままの自分でぶつかっていくのがリーダーだと思っていた。ただ指導者には、それを快く思わない人もいて、ぶつかり合ったこともあった。占部が高校生だった3年間は、ずっと報徳学園が兵庫から花園へ勝ち上がった。

感情をぶつけた4年生に感動

大学からアメフトを始めると、まずDL(ディフェンスライン)になった。1年生の秋のシーズンが深まり、練習中にこんなことがあった。練習台として仮想敵になりきるスカウトチームの4年生が、ピリッとしないレギュラー組の4年生に文句を言い始めた。「そのまま試合で出るぞ。もっとしっかりやってくれよ」。最後は泣き叫んでいた。その光景に占部は感動した。「これや、アメフト部ではこれができるんや」。チームのために感情をあらわにした4年生がまぶしく見えた。

桜美林大との試合前、険しい顔でOLの仲間に声をかけた

2年生からOLになった。関学のOLは、ほかのどのチームより緻密だ。プレーごとに最初のステップをどこへ踏むかに始まり、さまざまな「ルール」がある。周りは高校からの経験者が多い一方で、アメフト2年目の占部は不器用ときている。職人集団のOLでレギュラーの座は遠く、試合には3年生になってようやくキッキングゲームで出始め、試合の行方が決まったあとにOLとしても出場した。関学には「背番号確定者」というものがあり、占部は試合ごとに背番号をもらって試合には出ていたが、確定はしていなかった。ようやく79番に確定したのが、この春初戦の明治大学戦の直前だった。

まさかの「キャプテンやってみたら?」

3年の秋のシーズンが始まったころ。占部はラストイヤーのことを考えていた。このまま選手として大して役に立てないのなら、選手を断念して主務に立候補し、完全に裏方としてファイターズのために尽くすのがいいんじゃないかとも考えた。そんなとき、大村和輝監督から声をかけられた。「キャプテンやってみたら?」。驚いた、どころの話じゃない。まったく想像もしていなかった。その場で「難しいです」と断った。すると監督は「準備はしとけ」とだけ言った。

主将就任の打診を断ったことがファイターズOBのおじ、新井厳太さんに知れると、酔っぱらった新井さんから「何で断んねん!」と電話がかかってきた。「おじいちゃんが生きてたら、同じことを言ったんだろうなと思いました」と占部は振り返る。

必死で53番のLBをブロックに向かう

そんなことがあった昨秋、占部は毎日のように主将のDL青木勇輝さん(当時4年、追手門学院)の練習相手をしていた。青木さんは身長190cm、体重131㎏と、そびえ立つ壁のようなDLだった。占部は「この人に勝ったら日本一のOLになれる」と信じて挑み続けた。同時に、青木さんのリーダーシップにも触れた。「グラウンドにいるだけで安心感があるし、チームを勝たせるという姿勢、覚悟がほかの人とは違いました」

昨年12月、甲子園ボウルで4連覇を果たした1週間後に関西大とのJV戦(2軍戦)があった。これが散々な内容だった。そこで一気に占部の中で危機感が高まった。春になれば最上級生となる周りの同期を見渡して、「キャプテンは俺しかおらん」「俺が日本一にせな」と思った。

「誰よりもパッションを持ってグラウンドに立つ」

桜美林大戦の前、大村監督に、なぜ占部に「キャプテンやったら?」と言ったのか尋ねた。

「最近のチームに足りないものを持ってるから。占部は感情を表に出して、ときには爆発させる。それが当たり前にできる。最近はそういうヤツが全然いない。4年になる前に意識させとかんと、急に『キャプテンやれ』言うてもあかんからね」

大村監督の声かけからすべては始まった

関大とのJV戦後に主将になる気持ちを固めた占部は、新4年生がラストイヤーの決意をぶつけ合うミーティングで言った。

「俺にキャプテンやらせてくれ。3年までほとんど試合に出てないし、これからも同じポジション(左ガード)に森永(大為、2年、関西学院)がいて、出られる見込みもない。だからこそ、ほんまに日本一の姿勢で取り組んで1枚目を目指す。もし1枚目になれなくても、何も変わらん。誰よりもパッションを持ってグラウンドに立って、勝つべくして勝つチームをつくる。だから俺にやらせてくれ」と。同期からは「周りが見えなくなって、強い意見を言い放ってしまうところがある。そこは気をつけてほしい」との注文つきで、主将就任が決まった。父の正浩さんは「しんどいやろけど、やるからには頑張れ」と言ってくれた。「喜んでくれたみたいです」と占部は笑う。

あくまで左ガードのスタメンを狙う

京大にいた試合に出ないキャプテン

3人いる副キャプテンのひとり、WR(ワイドレシーバー)の糸川幹人(4年、箕面自由学園)は「僕らの学年は引っ張るタイプがいないんです。でも占部は声がデカくて、ビビらずに『日本一』って言える。ありやな、と思いました。僕はやる気ないヤツの気持ちがめちゃくちゃ分かるんで、後輩らのそういう話を聞いてアドバイスしていけたらと思います」と言った。

愚直にトレーニングを重ね、占部は身長180cm、体重116kgまできた。OLとしてのウィークポイントは自覚している。「ヒットはできるんですけど、フットワークが遅い。俊敏性で負ける部分が多くて、そこを強化しないと」。桜美林大戦では第3クオーターに入ってOLとして出場した。確かに相手のLB(ラインバッカー)にスピード負けしてブロックできないシーンもあった。

糸川(1番)ら3人の副キャプテンとともにチームをつくっていく

大村監督は「まだ占部のやり方がチームには浸透してない。周りの感度が鈍いのもあるし、占部の言い方が下手なのもある。その辺がよくなると、いいこともいっぱいある」と話している。

かつて京大が関学のライバルだったころ、試合に一切出ないキャプテンがいた。1992年度の主将、DLだった里(さと)勝典さんだ。里さんは身長168cm、体重75kgの小さな体で強烈なリーダーシップを発揮。春先に「今日の練習はあれでええんか? あした関学戦やったらどないすんねん」と夜中から夜明けまで練習したり、合宿でコーチに「一揆」を仕掛けたり。チームを一つにするためには何でもやった。そのシーズン、京大は前評判を覆して学生日本一になった。関西学生リーグ1部の優勝がかかる関学戦に勝つと、当時の水野彌一監督より先に里さんが胴上げされた。占部のストーリーを書きながら、里さんを思い出した。

関学の次戦は5月28日の関関戦だ。「関大には去年の春に負けてるし、JV戦も負けてます。泥臭くてもいいから、しっかり勝つ試合がしたいです」と占部。常勝軍団を引っ張る無印のキャプテンは、どんなラストイヤーを過ごすのだろうか。

in Additionあわせて読みたい