陸上・駅伝

東京国際大・宗像聖「3大駅伝優勝」へ、最強世代の主将として爪痕を残したい

昨シーズンに副将を務めた宗像(右)は、同期の推薦を受けて主将になった(撮影・松永早弥香)

丹所健(4年、湘南工大附)、山谷昌也(4年、水城)、イェゴン・ヴィンセント(4年、チェビルベルク)といった学生トップレベルの選手たちを擁し、昨年度は出雲駅伝で初出場初優勝。全日本大学駅伝と箱根駅伝でもともに5位に食い込むなど、東京国際大学は新興チームの一つから今や学生長距離界の強豪校へと上り詰めた。丹所ら最強世代が最上級生となった今年度は、彼らとともに成長してきた宗像聖(4年、学法石川)が主将に就任し、昨年度以上の成績を目指してスタートを切った。

大学3年目の活躍を経て主将に就任

チームが学生駅伝界で大きく飛躍した昨年度、3年生だった宗像は副将として、主将の三浦瞭太郎を支えてきた。自ら立候補したという報道があるが、真相は少し違う。「瞭太郎さんから『一緒にやろう』と声をかけていただいたので、『やるか』という感じで引き受けた」という。

トラックシーズンはあまり調子が上がらなかったものの、夏合宿をしっかりこなしてからは万全の状態で駅伝シーズンを迎えることができた。出雲駅伝では5区(区間3位)で初優勝に貢献し、全日本大学駅伝は最長19.7kmのアンカーを任された(区間12位)。自身2度目となる箱根駅伝でも復路のエース区間と言われる9区を区間9位でまとめた。「全日本や箱根は満足のいく走りをできなかった」と自身の中では課題を残したが、3大駅伝のすべてに出場できたのは、上級生やリーダーとして自覚や責任感を持って日々を過ごし、大志田秀次監督やチームメートから信頼を勝ち取った成果と言えるだろう。

今年の箱根駅伝後、新体制についての学年ごとの話し合いでは、同期たちの推薦で主将に選出された。宗像には、野球部だった中学時代も、本格的に陸上を始めた高校時代も主将の経験はない。しかし、前主将の三浦を1年間、そばで見てきて、その役割の重責は理解しているつもりだ。

「チームをまとめなければいけないですし、自分も一選手としてレベルアップしないといけません。主要大会に出場していくために、他の選手たちに負けてはいられない。チームと自分の2つの面を見ていかないといけないのが大変だと感じています」

仲間たちから推薦された時は、「自分がキャプテンで大丈夫だろうか」という不安も頭をもたげた。ただ、三浦から「聖だったら大丈夫」という言葉をかけてもらい、それが前向きに頑張ろうと思えるきっかけとなった。

憧れの箱根駅伝を目指し、東京国際大へ

中学2年生の時、特設チームの一員として出場した福島県駅伝で区間賞に輝いた。そこで「陸上の方が向いているのかな」と思うようになった宗像は、高校から本格的に陸上を始める。県内屈指の強豪校でもある学法石川に進んだのは、「家から近かった」こともあるが、それ以上に「せっかくやるなら強いチームで、やれるところまでやってみよう」という果敢なチャレンジ精神によるものだった。

宗像は高3の福島県高校駅伝でアンカーを担い、チームを都大路に導いた(撮影・朝日新聞社)

入学当初から3年間、「全国高校駅伝(都大路)を走りたい」という思いを抱き続けた。しかし、3年連続で全国の舞台に立ったチームにあって、宗像自身は補欠止まり。3年生の時には5000mで14分18秒92と力を持ちながら、「本番の1週間前に腸脛靭帯(ちょうけいじんたい)を痛めて走ることができなかった」。その大会でチームは過去最高順位となる3位に入り、仲間たちが歓喜に沸く中、「ずっと走りたかったので……」と悔しさも味わった。とは言え、「今も各大学で活躍している同級生たちと切磋琢磨(せっさたくま)してやってこられたことが一番の思い出」と語るように、高校時代は充実した3年間だった。

2019年春、宗像は東京国際大に進学する。「高校で成長できなかったら競技をやめて就職することも考えましたが、それなりに力もついたので、大学では箱根駅伝を目指したい」という思いがあった。箱根駅伝は両親がよくテレビで見ていたので知っていたが、最初の明確な記憶は、同じ福島県出身の柏原竜二(当時・東洋大)が山上りで活躍していた姿だ。やがて自身も陸上を始め、いつしか箱根駅伝は憧れの大会になっていた。

当時の東京国際大は予選会を突破し、ようやく続けて本戦出場ができるようになり始めた時期だった。しかし、それでも宗像から見れば先輩たちは強く、同期のメンバーもレベルが高かった。当時を「10000mを走るような練習がメインになるので、今までやったことのないメニューも多く、ついていくのが精いっぱいでした」と振り返る。

コロナ禍の2年目に学生駅伝デビュー

「このままではいけない。何かを変えなければいけない」。初心に帰るつもりで始まった大学2年目だったが、新型コロナウイルスの蔓延が競技や日常生活に様々な影響をもたらしていく。大会は軒並み中止や延期になり、「モチベーションが落ちかけた」という状況は、「1カ月ほど実家に帰省した時期、自分には何が足りないかを考えて、一人で練習しなければいけなかった」ことで踏みとどまった。

「自分の課題はスタミナだったので、できるだけ長い距離を走るようにしていました。1回に走ったのは、だいたい30kmとか2時間ぐらい。それを続けてスタミナをつけ、距離に対する不安もなくなり、自信を持てるようになりました」

補強運動に対する意識も改めた。体幹を中心としたトレーニングは、それまでもやっていなかったわけではなかったが、走りにつながっている手応えがあまりなかったという。そこで「やる量を増やしたり、やり方を変えてみたりした」結果、チームが駅伝メンバーの選考会と位置づけていた10月の記録会で、10000mの自己記録を大幅更新(29分13秒94)。

初めての箱根駅伝はコロナ禍の中での開催となったが、多くの人々が自分を応援してくれていることを実感した(撮影・北川直樹)

宗像は全日本大学駅伝で学生駅伝デビューを果たし(4区区間9位)、箱根駅伝でも同期の丹所やヴィンセントらと往路で襷(たすき)をつないだ(4区区間13位)。チームの代表として駅伝を走れることは何にも替えがたい喜びだった一方、特に箱根駅伝では大舞台で力を出し切ることの難しさも知った。

「練習でできていたことも、いざ本番になるとできなかった大会でした。たくさんの人から応援されて緊張していたのか、襷をもらってスタートしてからも体が思うように動きませんでした」

箱根駅伝後、成人式のために帰省した際、友人たちから「すごかったね」と声をかけられたのはうれしかったが、宗像は「もっと頑張ろう」と気持ちを新たにし、自身の20代をスタートさせた。

主将として挑む大学ラストイヤー

3年目に主将の三浦から誘われ、副将になったのは先述の通りだ。個人としては、「前年は駅伝に出るだけで終わってしまったので、区間上位で走ってチームに貢献する」と誓ってシーズンに臨んだ。3月の学生ハーフ(1時間8分29秒で105位)を含め、5月の関東インカレは出場せず、6月の全日本大学駅伝選考会は1組21位と、「春先は疲労が抜けず、体調が万全ではなくて調子が上がらなかった」ものの、焦りや不安はなかったという。その言葉通り、駅伝シーズンはきっちりと役割を果たし、チームの躍進を支えた。

大学ラストイヤーとなる今季、東京国際大は「3大駅伝優勝」を目標に掲げている。

「去年、出雲で優勝できましたが、1つ勝つだけでは物足りないというか、他の強い大学は3つ獲(と)るつもりでやっています。難しいかもしれませんが、自分たちもやるからには3つ優勝しようという意志でスタートしました」

昨年の出雲駅伝で東京国際大は初出場で初優勝を成し遂げた(右から2人目が宗像、撮影・藤井みさ)

もちろん、主将としても、「部員が80人くらいいて多いので、みんなが同じ方向に向かっていかないと目標達成はできません。普段の練習から声を掛け合ったり、チームの士気が下がらないような雰囲気作りをしていきたい」と、やるべきことは整理できている。

宗像自身は2月下旬にアキレス腱を痛め、「3月の学生ハーフでタイムを出していいスタートを切りたい」と考えていた予定が少し狂ってしまったが、すでに故障は完治し、4月2日の関東私学六大学対校選手権10000mでシーズンインを迎えた。

「自分の中では30分以上かかるかなと思っていたので、29分45秒94というタイムは練習していないわりには走れた方かなと感じています」と振り返り、「今年は関東インカレに出場して、入賞などの爪痕を残せたら、と。5000m13分45秒、10000m28分30秒切りを目標にしていて、駅伝では区間賞を狙って走りたいです」と力を込める。

関東インカレで入賞、駅伝では区間賞の走りを見せたい(写真提供・東京国際大学駅伝部)

キャンパスにある競技場の改修工事も終わり、チームは今、やる気と期待感に溢(あふ)れている。今年度のチームスローガンは、「『紺青超越』~ゼロからの挑戦~」。宗像がまとめ上げる東京国際大が、再び旋風を巻き起こしそうな気配が漂ってきた。

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