アメフト

日大を立て直した「信念の人」が古豪復活にかける 同志社大アメフト橋詰功HC

橋詰さんの新たなキャリアは惜敗でスタートした(京大戦はすべて撮影・篠原大輔)

ともに京都の今出川通り沿いにキャンパスがあることから「今出川ボウル」と名付けられた同志社大学と京都大学の一戦が、4月23日にあった。新歓試合と位置づけて、新入生を宝が池球技場のスタンドに集めていた京大が、17-14で同志社を下した。昨年8月まで日本大学の監督を務め、今年2月に同志社のヘッドコーチ(HC)に就いた橋詰功さん(58)は「単純に実力負けしました。もっとできることが多くならないとダメ」。新天地での初戦をこう振り返った。

最終クオーターで「フォース!」と叫ぶ理由

「ああ、橋詰さんのチームになったんだなあ」と思った。第4クオーター(Q)に入ったとき、同志社のベンチにいる選手たちが指を4本立てて、「フォース!」と何度も叫んでいた。橋詰さんが率いていたころの日大では、恒例の光景だった。

「フォース」は「さあ第4(fourth)Qだぞ」という意味だ。橋詰さんがアメリカでのフットボール留学で学び、進化させてきた「エア・レイド」オフェンスの創始者であるマイク・リーチ氏が、チームに採用していた儀式だ。「フットボールは第4Qが終わったときに、勝ってる方が勝ち。だからこそ最後にすべて出しきる、ということです。練習でも最後のつらい走りものをやりながら『フォース』と叫ぶ。ずっとやってたら『パブロフの犬』みたいになるんです」と橋詰さんは笑う。これまで率いたチームでは、必ず採り入れてきたそうだ。

1年生から活躍してきた強力幹央(9番)が主将として同志社を引っ張る

69人の応募の中から、日大監督に就任

個性派俳優の橋爪功さんと姓名の読みが同じで、漢字は一文字違い。橋詰さんは京都市立紫野高校でアメフトを始め、立命館大学へ。オフェンスコーディネーター(OC)として2003、04年と母校・立命館のライスボウル2連覇を支え、日本のフットボール界では知られた存在だった。

日大は伝統の猛練習を復活させ、2017年12月の甲子園ボウルを27年ぶりに制したが、半年後に暗転した。「悪質タックル問題」で指導陣が総入れ替えとなり、監督とコーチを公募。外国人7人を含む69人の応募があり、橋詰さんが監督に選ばれた。18年9月に就任すると、練習時間を削ってミーティングの時間を増やし、学生たちとコミュニケーションをとりながらチームを立て直した。

日大の監督時代、エースQBだった林大希(右)と和やかに語り合う橋詰さん(撮影・北川直樹)

橋詰さんは大学敷地内のクラブハウスに寝泊まりし、就任2年後の20年に日大フェニックスを甲子園ボウルに導いた。もともと昨年8月末までの3年契約で、続投を希望していたが、大学側は契約更新しない意向を伝えてきた。日大を去る橋詰さんに声をかけたのが、近年は関西の1部と2部を行ったり来たりしていた古豪・同志社大学ワイルドローバーだった。

立命、日大と比べても「伸びるマインドは同等かそれ以上」

今年2月に就任し、まず驚いたのがトレーニングの環境が整っていないことだった。アメフト部の学生は、授業の関係で主に今出川キャンパスと京田辺キャンパスの近くに住んでいる。これまでは練習グラウンドのある京田辺にしかトレーニング施設がなく、今出川組はしっかりとしたトレーニングが積めていなかった。

橋詰さんがOBに相談したところ、今出川キャンパスから自転車で5分のところにビルを所有しているOBから「フロアを二つ使ってくれていいですよ」との朗報が届いた。そこにトレーニング器具を持ち込み、この4月から使い始めた。朝7時半から今出川、京田辺それぞれで集まって筋力トレーニング。朝ごはんを食べて授業を受け、夕方から京田辺で練習するサイクルができた。滋賀県草津市内に自宅がある橋詰さんも、京田辺組の朝のトレーニングに付き合うため、アパート住まいだ。

試合中のサイドラインでも選手の目を見て語りかける

2、3月はトレーニングしかしなかった。4月に入って初めて防具を着け、フットボール自体の練習を始めた。それでも京大戦では地に足のついた戦いができた。「3週間だけにしてはフットボールらしくなってるのは、吸収しようとする力が強いのかな」と橋詰さん。「言われたことをやってるだけやったら、こうはならない。何か言うと質問が返ってくる。これまでのチーム(立命、日大)に比べて、伸びるためのマインドは、同等かそれ以上にある気がします。運動能力とフットボールにかける思いは、まだ差がありますけど、もっと伸びるんじゃないかと思います。学生には『もっと桁外れに頑張れるはずや』と言ってます」

 選手の意識を変えた、元プロ野球選手の言葉

日大での3年間で、分かったことがあるという。「どこの学生もあまり変わらない。立命だから、日大だからというのは意外となかった。いいことも悪いことも、似たようなことをする。それが分かったのは大きな経験でした」。だから同志社でも、何も変えるつもりはない。

第1回甲子園ボウルに出場した同志社だが、近年は一昨年まで10年連続で入れ替え戦に出場し、昨年は1部6位だった。それでも橋詰さんの就任1年目の目標は「日本一」だ。学生にはこう言ってある。「4位狙いで4位になっても、来年3位になる姿をイメージできない。優勝を狙って、無理して入れ替え戦になったとしても、狙うところは優勝やろ」。学生たちはその場では納得したが、「やっぱり現実的な目標も持たせて下さい」と言ってきたそうだ。

そんな彼らも、このところ「日本一」を口に出すようになった。

京大戦は2年生のQB佐々木康成(15番)に託した

きっかけは3月後半、元プロ野球選手で野球日本代表「侍ジャパン」のヘッドコーチに就任した白井一幸さん(60)が、練習グラウンドに来てくれたことだ。白井さんは学生たちを前にこんな話をしてくれた。日本ハムで2軍監督をしたとき、「目標はペナントレース優勝や」と言った。あり得ない目標だけに、2軍の選手たちはみなポカンとして聞いていた。

「実際にはなれんけど、日本一の練習はできるぞ」と言い続け、やり続けて日本ハムは強くなった、と。この話を聞いて、学生たちが「日本一」と言い始めた。「僕が言うても言い出さんかったのに……。でも、いいことですわ」と橋詰さんが笑う。

京大戦で見せた「違う顔」

先の京大との一戦で、早くも同志社は「違う顔」を見せた。同志社でも橋詰さんはHC兼OCを務める。橋詰流「エア・レイド」攻撃の導入で、パスが増えた。昨年10月30日、13-10で競り勝った京大戦は、46回の攻撃中パスは16回。今回は54回中37回がパスだった。追い上げるため、試合終盤に多投したことを考慮しても、パスの数は多かった。ただ37回投げて、成功は18回と精度はまだまだだ。

ディフェンスではタックルが強くなり、精度も上がった。橋詰さんがHCに就任したあと、ディフェンスコーディネーター(DC)にどうかと紹介を受け、チームに加わったのが岡潔(おか・きよし)さんだ。大阪・箕面自由学園高校から進んだ専修大学3年生のときに、ディフェンスライン(DL)のエースとして甲子園ボウルに出場。富士通でもプレーし、アサヒビールや北海道大学でHCも務めた。京大戦ではプレーのたびに、選手たちに大きな声をかけていた。

ディフェンスはすべて岡潔コーチ(中央)に任せている

京大戦で大いに輝いたのが、スターター3年目のワイドレシーバー(WR)濱田健(4年、同志社国際)だった。第3Qに左サイドライン際をタテに抜け、28ydのタッチダウン(TD)パスをキャッチ。第4Qには、95ydのパントリターンTDを決めた。橋詰さんは「相当頑張りましたね。器用な子なんでね」とたたえた。

濱田は橋詰さんが同志社に来ると聞いたときの思いを問われ、「うれしかったです」と笑った。「去年の秋は、プレーコールも学生が出してる状況でした。コーチが代わって、すべてが変わりました。信じてついていって日本一を目指せるチームになりたい」と話す。橋詰さんの発信でずっと覚えているのが「このチームは日本一を目指すべきや」との言葉。「あれは刺さりました」

俊足と状況判断のよさを見せつけた濱田健(右)

「ここへ来たからには、どれだけ変えられるか」

「フットボールのキャリアの中で、一度は自分がチームを率いて日本一になりたいという思いはありますか」と橋詰さんに尋ねた。いつもの柔らかい笑みで「いえいえ」と打ち消し、「とんでもなく弱いチームをそれなりにするのが、もともとのイメージなんです」と返した。そして、「ここへ来たからには、どれだけ(チームを)変えられるか。そのあと彼らがどうなるのかも楽しみですね」と笑った。

同志社の印象について「とくになかった」。そのチームとともに浮上していく

トレーニングの場所探しから始まった新たなフットボール人生。勝ちに飢えた学生たちと向き合い、チームを取り巻く人たちと向き合い、橋詰ワイルドローバーは自陣0ydから前進を始めた。

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