アメフト

RB岩井零、佼成学園のエースが米国FBSの大学へ NFL挑戦に向け新たな道を

日本の高校から米FBSに所属する大学へ初めて進む岩井は、7月15日に渡米する(撮影・すべて北川直樹)

今年3月に佼成学園高校(東京)アメフト部・ロータスを卒業した岩井零が8月、米カレッジフットボールFBS(1部最上位カテゴリ)の、マウンテン・ウエスト・カンファレンス(MWC)に所属するニューメキシコ大学に進む。これまで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の庄島辰尭やハワイ大学の伊藤玄太など、日本人選手がFBSの大学でプレーした実績はあるが、コミュニティカレッジといった短大で実績を積んだ上での編入という形を経てきた。

岩井は、日本の高校から直接米国のFBSに所属する大学に進学する初めての選手となる。日本アメフト界にとっての新たな扉を開こうとしている岩井が、今何を考えどこを目指すのか。ビジョンと目標を聞いた。

眼鏡で小太りの少年は、アメフトの本場で心に火をつけた オービック庄島辰尭(上)

サッカーで渡米した姉の姿を見て

岩井は関東大会6連覇中の佼成学園でエースランニングバック(RB)として活躍した。2020年12月の全国決勝・クリスマスボウル優勝時には、最優秀バック選手賞・三隅杯を受けた実績を持つ、高校界を代表する選手だった。

父の歩さん(48)がフラッグフットボールの選手(現・フラッグフットボール男子日本代表監督)だったこともあり、アメフトが身近な環境で育った。「自分がアメフトをするのは必然でした」。小学生の頃からワセダクラブでフラッグフットボールに親しんだ。「小さい頃からずっとNFLに対する気持ちを持っていました。サッカーをしてればプロになりたい、例えばバルセロナで活躍したいと思うのと一緒ですね」。岩井は当時の気持ちをこう振り返る。

高校はアメフト部のある都立高校を受験するか迷ったが、「強豪でアメフトに専念するために」佼成学園に進み、研鑽(けんさん)を積んだ。将来的にアメリカでプレーするために高校から現地に進む道もあったが、当時はそこまで振り切る気持ちは持っていなかったという。

高2の高校決勝・クリスマスボウルで岩井は15回73yd1TD獲得、三隅杯(最優秀バック選手賞)を受賞した

そんな岩井の気持ちに火をつけたのは、現在フロリダ州立大でサッカーをプレーする二つ年の離れた姉、蘭さん(20)の存在だった。

「姉は高校3年でプロになるか大学に進むかという選択をする時、アメリカの大学に行きたいといってトライアウトを受けに行ったんです。サッカーはアメリカの女子スポーツでは一番メジャーで、姉は全米1位の大学に奨学金受給の枠で合格した。あまりにも衝撃的でしたね」

競技こそ違うが、姉が未知の扉をこじ開ける姿を目の当たりにした。やれば行けるんだなという実感と一緒に「自分は日本に居残っていて楽しいのか? 負けてられないなと感じました」と話す。同時に「『コイツには絶対勝てないと思うような相手と対峙(たいじ)したことが今までなかったんです。ということは、ずっとここ(日本)に居ても仕方ないと思い始めました」。この時、岩井の心はほぼ決まった。

高3の夏にコンバインを受け「十分勝負ができる」

佼成学園では、高校2年生の冬、全国大会の後に小林孝至監督と面談で進路相談をする。監督に自分の希望する大学を伝え、大学側とすり合わせを行う準備をする。岩井は監督に、アメリカの大学に進みたいという希望を伝えた。このことは仲間にも伝えていなかった。人に話すことで、現実と希望がズレていってしまうのではと感じたのだという。

岩井は高2から佼成学園のロータスでエースRBとして活躍。小型ながら器用さが光るRBだった

「はじめは監督には止められるんじゃないかなと思っていました。『何を言ってるんだ』って。そうしたら考え直そうかと思っていた部分もあるんですが、驚きながらも『一緒に頑張っていこう』と応援してくれたんです。とても嬉(うれ)しかったです」。前向きに挑戦していこうという気持ちになれた。この時のことを小林監督は「そういう志のある子がウチを選んでくれるようになったんだなと。嬉しかったですね」と話す。

幸運もあった。チームでトレーナーをしている加瀬剛さんがニューメキシコ大出身で、伝手(つて)で米国の高校のコーチを紹介してもらい、プレービデオを見てもらってニューメキシコ大のコーチに推薦してもらえたのだ。米国の大学に進むには、希望する大学とコネクションを持つコーチの推薦が重要になるため、大きな後押しになったという。

高校3年生の春大会が終わった昨年7月には、父や父の知り合いの助けを受けてカンザス大とカンザス州立大のリクルートキャンプにもエントリーした。両校はFBSに所属しており、自分の力を試すにはぴったりだった。姉のチームメートの家族の家にホームステイさせてもらい、キャンプに参加した。まず「当然ですが、身長165cmの自分より小さな選手や筋肉がない選手はひとりもいない。やばいところに来てしまった」と感じた。

しかし、実際にテストコンバインを受けてみると、足が速くてもパスを捕れない選手も多く、「十分勝負ができる」と考えが変わった。3コーンドリルではいい動きをアピールして、他の選手に声を掛けられる場面もあったという。「アメリカではうまいことが正義で、国籍とかサイズは関係ない。いい結果を出したら評価されるフェアな空気を感じました」。ドリルを見てコーチがピックアップした選手のみが進めるLB(ラインバッカー)との1on1にも選ばれて、実際の勝負でも本場で通用する手応えがつかめた。

「自分はパスキャッチ、ブロックも含めてRBに求められるスキル全般に自信を持っています。スピードだけだと米国のトップ選手には敵(かな)いませんが、総合力では勝負ができるのではないかなと」

ニューメキシコ大のチーム側から8月に好感触を伝える連絡をもらい、最終的に今年の2月に入学・入部の正式許可が出た。アスレチック・スカラシップ(競技優秀者の奨学金)の枠ではないが、プリファード・ウォークオン(奨学金受給以外は同等条件の5名枠)の形で、チームへの合流が決まった。岩井は学業面のアカデミック・スカラシップの受給資格は得ており、次年度以降はクラブで活躍することで受けられるアスレチック・スカラシップの枠を目指して取り組むという。

高3のクリスマスボウルは立命館宇治に21-24で惜敗。前半のリードを逆転される悔しいゲームだった

これまでとは違った道を示し、後続選手らの助けに

岩井が今回の挑戦を決めたのは、自分の夢を実現することに加えて、日本の高校からアメリカの大学に進む道を作りたかったことも大きいという。現状、日本の大学卒業後にNFLを目指すのは仕組みの上で困難が多いが、アメリカの大学からであれば活躍次第でドラフトに掛かるチャンスが生まれる。

「FBSの大学に日本の高校から初めて行くという事実は後付けで、自分が進むことでこれまでの短大経由での挑戦とは違った道がつくれればいいなと考えています」

高校卒業後、岩井(中央)は8月の入学まで後輩の指導とトレーニングに加え、U-17の日本代表としてフラッグフットボールの国際大会にも出場した

6月には、ミシガン大で開催されるフラッグフットボールの国際大会「JUNIOR FLAG FOOTBALL INTERNATIONAL CUP」にも日本代表として出場した。U-15とU-17の日本代表チームを結成してアメリカの代表チームと戦うことができる機会だったが、岩井はエントリーする選手が少ないことを嘆いていた。

「アメリカのファイブスター評価、全米TOP100くらいの選手らと試合できるチャンスなんですが……。本場を目指すならこういうチャンスを積極的に生かして、高いレベルを肌で感じることが大事だと思っています」

口ではやりたいと言っていても、行動に移せない選手が多いと感じている。世界を目指す選手がもっと出てきてほしい。自分が道を切り開くことで、チャレンジしたいけどどうすればいいかが分からない後続選手らの助けになることをができればと考えている。

目標は「NFL選手になること」、憧れはいない

岩井は「NFL選手になることが目標です。目標は高ければ高い方がいい。自分がもしカンザスシティ・チーフスでプレーできるようなことがあれば、多分日本一熱狂的なチーフスファンの父親は泣いて喜びます」と言う。その反面、これまで憧れの選手がいたことはない。「憧れを目指している限りはそこに届かない。『ああいう人になりたいな』で終わってしまう。憧れている限り、その人のことは絶対に越えられないと思っています」

岩井の口から出てくる言葉や決意は、ついこの前まで高校生だったとは思えないほど思慮に富み、成熟していた。強い覚悟を持って、自分がすべきことを着実に実行してきた彼の人となりがよく見えた。

岩井(左)は自らの手で夢をつかみに行く

「意志があって、自分の気持ちを貫き通す強いリーダーシップがある。選手としてのポテンシャルは、私が30年見てきたた中でトップクラスです。日本人だからとかではなく、実力で注目される選手になってほしい」。恩師の小林監督は、岩井のことをこう話す。

「まだニューメキシコ大同期のRBがどんな選手が分からないけど、相手が持ってない部分を見つけて自分らしくやっていきたい」。岩井は7月15日のフライトで単身渡米する。高い志を持ち、まずはニューメキシコ大・ロボスでのロースター入りを目指す。その先には、まだ日本人が見たことのない景色が広がっているに違いない。

in Additionあわせて読みたい