水泳

日大・池江璃花子「感謝しかありません」 インカレの度に仲間という財産をかみしめて

池江は主将として、仲間への思いを胸に最後のインカレに挑んだ(撮影・諫山卓弥)

第98回日本学生選手権水泳競技大会 

8月28~31日@東京辰巳国際水泳場
池江璃花子(ルネサンス/日大4年)
女子50m自由形         優勝 25秒09
女子100m自由形       優勝 54秒26
女子4×100mリレー     4位  3分44秒88
女子4×100mメドレーリレー 5位  4分05秒95
女子4×200mリレー       3位  8分04秒52

たった4回しか出場できないこの大会に、池江璃花子(ルネサンス/日本大学4年、淑徳巣鴨)は大きな希望を見いだしていた。日本学生選手権水泳競技大会、通称インカレ。日本国内で行われる競泳の大会の中で、最も盛り上がると言われるのがこのインカレだ。

インカレには、自分のために泳ぐ選手はほとんどいない。誰もが母校の誇りを持ち、母校をために戦う。チームのために泳ぐ。仲間のために全力を尽くす。池江もその1人だった。

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インカレへの思いが闘病への気持ちを奮い立たせた

2019年4月、急性白血病の治療中に日本大学へ入学した池江は、インカレに出たいとずっと口にしてきた。もともと仲間たちとともに戦う、ということが好きな選手だっただけに、このインカレは是が非でも出場したい大会の一つだったことだろう。

1年生の時はまだ治療中だったため出場は叶(かな)わなかったが、病院の許可を得て会場に足を運ぶことができた。実際にインカレに“参加”してみると、聞くとは大違いであったことに気づく。会場を包み込む熱気に当てられ、応援にも自然と熱がこもる。体の奥から何かが湧き出てくるような、心地良い高揚感が全身を満たしていく。

「絶対に、選手としてこの場に立つ」

その思いが、池江を突き動かす。オリンピックや世界選手権などの世界の舞台でもう一度戦いたい、という気持ちも池江の復帰を後押ししたのはもちろんだが、インカレの存在も池江の早期復帰を支えた一つの要因であることは間違いない。

喜びと同時に悔しさも味わった2年目

インカレへの出場が叶ったのは、2年生の時だ。個人種目は50m自由形のみの出場ではあったが、復帰して間もないとは思えない泳ぎで予選を25秒87の6位で突破。決勝では予選から記録を上げて、25秒62で4位入賞を果たした。この時、3位だったのはチームメートで1学年上の山本茉由佳(ルネサンス)。その差はたった100分の4秒という記録であった。

池江は2年生だった2020年8月29日、東京都特別水泳大会で594日ぶりとなるレースに出場し、同年10月に自身初となったインカレに出場した(代表撮影)

「泳ぐ前から感情が高まっているのを感じていました。この試合に出られたうれしさ、25秒台を出すことができたうれしさでいっぱいです。出ることすらできなかった去年に比べたら、決勝で4位という結果は上出来すぎだと思いますが、やっぱり悔しいですね。もちろん思ったより速いタイムでしたし、第2の水泳人生のベストではあるので満足はしていますが、本来の自己ベストからは1秒以上も遅いですから」

インカレに出場できた喜びと同時に、もっと戦いたかったという悔しさ。きっと、インカレでなかったら、試合で泳げたことや目標に掲げていた25秒台が2回も出せたことに満足していただろう。だが、ここはインカレである。チームに少しでも貢献したいという思い、自分が活躍することでチームが喜んでくれるという思いが沸き起こり、それが池江に悔しさを植えつけたのだ。

大会2日目には、予定していなかったが4×100mリレーの予選に出場。記録は引き継ぎがありながらも56秒19という彼女にとっては平凡なタイムであったが、大好きなリレーに出場できて、また予選2位通過に貢献できた池江の表情はとても明るかった。

酸いも甘いも経験した3年生でのインカレ

21年、3年生となった池江は、東京オリンピック代表としてリレーにも出場。少しずつ完全復活へと歩みを進めていた池江にとって、この年のインカレは酸いも甘いも経験する大会となった。

初日の50m自由形では優勝を果たし、前回4位となった悔しさを晴らしただけではなく、2位に山本、3位に1学年上の持田早智と日大で表彰台を独占。池江、山本、持田の笑顔が弾けた瞬間だった。さらに2日目の4×100mリレーも優勝。池江にとって最高のスタートを切ったはずのインカレだったが、落とし穴は3日目に待っていた。

池江が最も得意とする100mバタフライで、ライバルの飯塚千遥(現・筑波大4年、銚子)に100分の1秒差で逆転負けを喫したのである。さらに厳しいとは分かっていたものの、4×100mメドレーリレーは予選10位で決勝に進めず。これほどまでに落ち込んだ池江を見るのは初めてと言っていいくらいであった。

3年生でのインカレは得意とする100mバタフライで敗れ、悔しさをかみしめた(撮影・諫山卓弥)

だが、そんな池江を励まし、立ち直らせたのはやはり仲間たちであった。中学時代から切磋琢磨(せっさたくま)してきた持田。復帰以降は練習もともにしてきた山本。東京オリンピックを一緒に戦った小堀倭加(わか、現・日大4年、湘南工科大附属)。最後まで力を出し切ろうと臨んだ4×200mリレー。インカレの中でも最高潮の盛り上がりを見せる種目でもある。そこで池江有する日大は、大会新記録で優勝を果たす。レース後、インタビューに答える池江の目には涙が浮かんでいた。

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水泳人生の中でも強く思い出に残る出来事

大学生活の集大成として迎えた今年のインカレ。主将としての責任感からか、初日からこわばった表情であったのが印象的だった。

最初の50m自由形は25秒09で連覇を達成。だが2日目の4×100mリレーではアンカーを務めた池江が猛追するも、表彰台まであと一歩の4位。4×100mメドレーリレーも5位とメダルに届かず。どちらもコンマ数秒差だっただけに、「自分の責任」と池江は口にする。

その責任感が、池江に勝利をもたらした。最終日に出場した100m自由形。前半から中央大学の池本凪沙(イトマン/中央大2年、近大附属)と接戦を繰り広げる。「最後はみんなの顔を思い浮かべながら頑張りました」と、最後のタッチまで諦めなかった強い思いで、100分の9秒差の接戦を制した。最後の4×200mリレーは、チームメートの小堀とともに見事な追い上げを見せ、有終の美と言っていい銅メダルを獲得し、最後のインカレの最後のレースを笑顔で終わらせた。

「インカレで大切なのは順位。チームのために何ができるか、どう行動するかが大切。その姿を後輩たちに見せることができたかな、と思います。4年間、辛(つら)いこともあったし、悔しいこともありました。でも、そんな時に踏ん張る力をくれたのはチームのみんなでした。ここまで頑張れたのは、この日本大学水泳部に入れたから。感謝しかありません」

池江は大学4年間、様々な場面でチームメートの存在の大きさを実感してきた(撮影・井手さゆり)

すがすがしい笑顔を見せた池江だが、実はこのインカレの1カ月前、足を捻挫しており十分な練習を積めなかった。不安もあったが、主将としてはチームを牽引(けんいん)しなければならないという責任感もあった。そんな重圧を経験し、それを乗り越えることができた。チームメートの力を借りて。そして、最後に話した言葉に、池江がインカレをどれだけ大切に思っていたかを表していた。

「水泳人生の中でも、チームと喜び合えたこの瞬間は思い出に残る出来事でした。きっと、いつかこの瞬間が恋しくなる日がくると思います。今は、すごく寂しい気持ちでいっぱいです」

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