陸上・駅伝

特集:第91回日本学生陸上競技対校選手権大会

立命館大・壱岐あいこ「やり切った」 集大成の日本インカレラストレースはけがで欠場

立命館大の総合優勝を目指し、壱岐は最後の日本インカレに臨んだ(撮影・松永早弥香)

第91回日本学生陸上競技対校選手権大会

9月9~11日@たけびしスタジアム京都
壱岐あいこ(立命館大4年)
女子100m 8位 12秒12(追い風0.4m)
女子200m 予選3着 24秒87(向かい風0.1m)
女子4×100mリレー 予選1着 46秒40(角良子/永石小雪/榎本樹羅/壹岐あいこ)
※女子4×100mリレー 5位 46秒07(角良子/永石小雪/榎本樹羅/臼井文音)

立命館大学の壱岐あいこ(4年、京都橘)は東京オリンピック4×100mリレー日本代表の補欠に選出された昨年以上の飛躍を、この学生ラストイヤーに誓っていた。立命館大にとって地元・京都での開催となった日本インカレにすべてを出し切るはずだった。

「最後は笑って終わろうと言っていたけど、こんな結果になっちゃって……。いつしっかり結果出すねんって感じですけど、こういった結果になった原因を追及して次につなげたいです」

立命館大の壱岐いちこ・あいこの壱岐姉妹、夢は姉妹バトンパスでインカレV

日本インカレ初日に違和感

初日の9月9日は100m予選から始まり、11秒90(-1.1)での組2着通過で昼過ぎの準決勝へ。準決勝では11秒69(+0.6)で甲南大学の青山華依(2年、大阪)と同タイム着差ありの組2着で競り勝ち、翌10日の決勝進出を決めた。だが、ここで1カ月ほど前から痛み出した左足の甲がじんじんとしびれ始めた。夕方には4×100mリレー予選がある。壱岐はチームに貢献できるなら、と気持ちを引き締めてリレーに臨み、4走の壱岐は組1着でゴール。立命館大は46秒40で決勝に進んだ。

2日目を迎えたが、足の痛みが引かない。疲労骨折をしているのでは、この状態で本当に走れるのか、という不安を抱えながら200m予選に臨んだ。思うように足に力が入らず、スタートから出遅れてしまう。記録は24秒87(-0.1)での組3着で予選敗退。昼過ぎには100m決勝がある。「勝つぞ」「1点でも多くとってチームに貢献するぞ」と自分に言い聞かせ、スタートラインに立った。だが隣レーンの青野朱李(山梨学院大4年、山形中央)にスタートから後れをとり、青野はそのまま優勝、壱岐は8位だった。

ギリギリの状態で壱岐(中央)は100m決勝に挑んだ(撮影・藤井みさ)

4×100mリレー決勝、ぶっつけ本番で挑む仲間を見守り

日本インカレの4×100mリレーで優勝を目指し、短短パート長としてここまでやってきた。自分が走って優勝できるなら、チームに貢献できるなら、という気持ちで1日目から走り続けてきたが、今の足の状態だとチームにもメンバーにも迷惑をかけてしまう。壱岐は4走を臼井文音(4年、立命館慶祥)に託し、「楽しんで走ってきて」と送り出した。この4人でのバトンリレーを想定していなかったため、レースはぶっつけ本番になってしまった。そんな中、選手紹介で一人ひとりの名が呼ばれた後、4人は指で「AIKO」を作り、ともに走る気持ちを伝えた。

レースは序盤から前回優勝校の福岡大学がリード。福岡大アンカーの田島美春(1年、戸畑)は追い上げられながらも粘り、福岡大が3連覇を果たした。立命館大はアンカーの臼井にバトンが渡った時点では7、8番手だったがそこからぐんぐん加速し、最後は46秒07での5位でゴール。4人は目に涙を浮かべながら抱き合い、トラックをあとにした。

臼井(奥)は壱岐の思いも背負って4走を務めた(撮影・松永早弥香)

立命館大の4人は選手入場の前から泣いていたという。壱岐がどれだけこのレースにかけていたか、4人には痛いほど伝わっていた。そのことを壱岐に伝えると「私も泣いてました」と言い、「自分が走ることで恩返しをしたいと思っていたけど、選手紹介での『AIKO』を見て、そんな風に自分のことを思って走ってくれたことがうれしかったです」と笑みを浮かべた。壱岐に話を聞いたのはレース後の4人と顔を合わせる前だった。どんな言葉をかけたいか?とたずねると、「お疲れさま、頑張ったね、ありがとう、ですね。感謝しかないです」と答えた。

飛躍の3年目にも続いたけが

壱岐は2019年春、3つ上の姉・いちこ(現・ユティック)がいた立命館大に進学。「姉がいるから」というよりも「陸上部の環境がよく、速い選手と一緒にリレーを走りたい」という思いからだった。逆に、いちことは普段から仲がいいこともあり、同じ環境で練習をすることに気恥ずかしさがあったという。

その1年目の日本インカレ4×100mリレーでいちことバトンリレーをし、立命館大は2位だった。これまでの日本インカレを振り返ると、2年生の時に100mで2位、200mで3位、4×100mリレーで8位。3年生では4×400mリレーで優勝、100mと200mと4×100mリレーで2位と実績を残している。

大学4年間では、昨年の日本選手権が壱岐のベストレースだった。100m予選はいちこの隣レーンを走り、11秒59(-0.9)と自己ベストをマーク。組1着通過で同日の準決勝に進み、11秒60(-0.3)と再び好記録をたたき出した。翌日の決勝では優勝した兒玉芽生(当時・福岡大4年、現・ミズノ)に0.02秒差での2位、記録は11秒64(-1.9)だった。200mでも決勝で23秒79(-1.0)をマークし、4位に入っている。

壱岐(手前)は昨年、静岡国際200mで優勝し、日本選手権へと弾みをつけた(撮影・池田良)

ここだけを切り取ると順風満な選手生活に見えるが、壱岐は高校時代からけがが絶えなかったという。飛躍の大学3年目の夏には右膝(ひざ)に痛みを抱え、秋には左のハムストリングが痛くなったかと思えば今度は右のハムストリングを痛め、坐骨(ざこつ)神経痛が抜けない状態が続いた。

今年の冬には世界陸上(7月、アメリカ・オレゴン州)も視野に入れて筋力トレーニングに励み、5月3日の静岡国際200mで23秒62(-0.2)の自己ベストをマークしている。5月25~28日の関西インカレで100mと4×100mで二冠を達成。6月9~12日の日本選手権では、100mが11秒60(+0.6)で6位、200mが23秒85(+2.6)で5位という結果だった。

春もコンディションは万全ではなく、「けがしてリハビリしながらの練習という感じで、まず痛みがないかの確認から入っての練習だったので、いろいろと難しかったです」と当時を振り返る。それでも走れない状態ではなかったため練習を継続してきたが、日本インカレ初日の100m準決勝で、走れないほどの痛みを感じた。「けがはずっとしてきたけど、走れないほどのけがは高2以来で、なんで今なんだろうって……」

「みんながチームのために動ける」のが立命館大

1年生の春に取材をした際は、しっかり者の姉・いちこがそばにいたこともあってか、まだ幼さが残る印象だった。あれから様々な舞台を経験し、最上級生としてチームを支え、最後の日本インカレに臨んだ。

「短短パート長になってリレーも自分が引っ張る立場になって、難しいなと思うこともあったけど、短短のみんなも同期のみんなもすごく助けてくれたし、楽しく陸上ができたのはみんなのおかげ。大学4年間でだいぶ成長したと思う」

入学前、「陸上部の環境がよく、速い選手と一緒にリレーを走りたい」と思って立命館大へ進んだが、今は立命館大の良さとして「チーム愛が強くて、みんながチームのために動ける」というのも加わった。

最後のレースを終え、壱岐は「立命館のみんなにたくさん助けられたな、という気持ちです」と言った(撮影・藤井みさ)

壱岐の競技生活はこれからも続くが、今はまだ、明確な目標を描けていない。「シーズンオフの間にけがの原因や、昨シーズンよりなぜ走れなかったのかをちゃんと考えて、冬季練習に入りたいです」。それでも、あと一歩届かなかったオリンピックの舞台に再び挑戦したいという思いはある。このシーズンオフには、いちこと旅行の計画もしている。日本インカレ前も旅行についてやり取りし、日本インカレ初日には「頑張ってね」と連絡をくれた。いろいろなものを背負って戦うであろう妹に対する姉の優しさだろう。

思い描いた通りのラストイヤーにはできなかった。取材中、何度も笑顔を見せてくれた壱岐だが、その影ではたくさんの涙を流してきたことだろう。だがあえて聞いた。大学4年間、やり切れましたか?と。「やり切った! 楽しかった!!」。やはり笑顔だった。

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