陸上・駅伝

特集:第54回全日本大学駅伝

東北大の木村秀 医学部6年、最後の全日本大学駅伝でかなえる、後輩・田沼怜との約束

スタートから飛び出し、最後までトップを譲らずゴールテープを切った東北大の木村(すべて撮影・辻隆徳)

第54回全日本大学駅伝対抗選手権大会 東北地区選考会

9月26日@北上総合運動公園(岩手)

1位 東北大学   5時間44分24秒
------------ここまでが本戦出場------------
2位 山形大学   5時間47分09秒
3位 東北学院大学 5時間53分20秒
4位 東北福祉大学 6時間09分25秒
5位 秋田県立大学 6時間29分02秒
6位 弘前大学   6時間37分25秒
(仙台大学は欠場)

16㎞と10㎞の部をそれぞれ1チーム4人ずつが走り、8人の合計タイムで争われた全日本大学駅伝東北地区選考会は、岩手県北上市の北上総合運動公園の周回コースで9月26日にあった。11月6日にある本戦出場を決めたのは、東北大学。3大会連続16回目の伊勢路となったが、選考会の展開は、決して楽なものとは言えなかった。

スタートから飛び出した木村を、田沼が鼓舞

東北大は前半にあった16kmを終えた時点で、トップの山形大学に1分13秒差をつけられていた。先に16kmの部を走り終えた田沼怜(院2年、秋田)は、後半の10kmで木村秀(6年、秋田)が周回するごとに、声を張り上げていた。

「今日はいけます!」

「そのままの走りで大丈夫です!もうひと踏ん張りです!」

田沼はスタート直後からひとり飛び出した木村を見て、こう感じていた。「今日は大きな背中だなって思っていた。なんか安心感というか……。長年一緒に走ってきた感覚です」

力のある木村だったが、これまでのレースでは急激な失速があったり、途中棄権をしたりすることも多かった。ただ、この日は最後まで先頭を守った。「田沼が『大丈夫』って言うのならば、いけると思った」と木村。力を出し切ったように、顔をゆがめながらゴールテープを切った。他の3選手も上位を独占。結局、山形大に2分45秒差をつけ、伊勢路への切符をつかんだ。

レース後、田沼は涙を流していた。「ずっと木村さんと2人で全日本に出場したいと思っていたので。それがかなえられそうで、本当にうれしくて……」

「2人で一緒に全日本大学駅伝を走る」を目標に、6年間支え合った田沼

チームを離れているとき、支え合った

田沼は中学3年のときに、秋田高校1年だった木村の走りを見て、「この先輩かっこいいな。一緒に走りたい」と思い、同じ高校に進学を決めた。その後、田沼は現役で、医学部を目指していた木村は1年間の浪人生活を経て、東北大へ進学。高校時代から、一緒に全日本大学駅伝を走ることを目標に掲げ、共に汗を流してきた。今大会も含めて直近10大会中、9回も本大会へ出場している東北大だが、一緒に走るという目標は、これまでかなわずにいた。

木村が調子がいい年は、田沼の調子が上がらない。その逆もあった。昨年は田沼の方が苦しんだ。8月に同居する家族に、新型コロナウイルスへの感染が判明し、濃厚接触者となった。しばらく練習に出られない日々が続いた。さらに、競技に対する仲間との熱量の差にも悩まされた。田沼のモチベーションが上がらず、2カ月近く休部した。そのときも木村の存在が救いになった。

「気晴らしに話しながら、少し走ろう」「おまえと一緒に走りたいから戻ってこい」。そんな温かい言葉が、再び田沼に走り出すきっかけを与えてくれた。

そして、木村も田沼に感謝する。医学部に通う木村も多忙な実習があったため、しばらく練習に顔を出せない時期があった。そんなときも、田沼が木村が戻ってくる場所を守ってくれていた。「どんなに復帰が遅くなっても、田沼は自分を待ってくれていた。田沼がいたから自分は戻ってくることができた」

今年は2人にとって、最後の全日本大学駅伝になる。田沼が「楽しみながらも、自分たちの目標に挑戦していきたい」と言えば、木村も「田沼と一緒に自分の全力を出し切れるように走りきりたい」と言った。

目標は2004年の東北大記録である5時間41分20秒の更新。そして同じ北信越地区選考会を勝ち上がった、同じ国立大学の新潟大学を順位で上回ることだ。

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