野球

60打席不発でも、最後に「ごほうび」 三冠王のヤクルト村上宗隆

つば九郎と記念撮影をするヤクルトの村上宗隆(撮影・岩下毅)

(3日、東京ヤクルトスワローズ8―2横浜DeNAベイスターズ)

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 ベンチに向かってこぶしをつくり、ほっと笑みを浮かべた。東京ヤクルトスワローズの背番号55は、跳ねるように一塁ベースへ向かって駆け出した。

 先頭打者で迎えた七回。村上宗隆は151キロの初球を捉えた。歴代単独2位となるシーズン56号は、右翼席上段席に突き刺さった。「打った感触、打球がすごく久しぶりだった。この感じだな、気持ちいいな、と」

 9月13日に55号を放って以来、実に61打席ぶりの特大放物線だった。

 56号――。それは、ある人物との約束でもあった。

 2018年、高卒新人だった村上はキャンプ地を訪れた元ヤクルト監督の野村克也氏(故人)にあいさつする機会に恵まれた。

 そこで野村氏から言われた。「王の記録(55号)なんか破っちゃえ。まずは俺の記録を破れ」

 4年半後の22年。チームの4番打者を担う青年は、次々と約束を果たしていく。9月9日、広島東洋カープのエース大瀬良大地から53号ソロ。1963年に野村氏が記録したシーズン52号を上回った。その4日後、13日の読売ジャイアンツ(巨人)戦では、エース菅野智之からの54号に続き、守護神の大勢から左中間席へ。日本球界で大きな意味を持つ55号アーチをかけた。

 だが、そこから長いトンネルに入った。141試合目となった9月30日までの13試合で44打数5安打。本塁打と打点は2位以下を大きく引き離していたが、打率は急低下。2位の大島洋平(中日ドラゴンズ)に追い上げられた。10月2日の阪神タイガース戦は、休養の意図もあって起用を見送られた。

 ただ、村上は「どんなものでも一番になるのは難しいもの」と、自分と向き合い、努力を惜しまなかった。

 「足の上げ方、股関節の使い方。いろんなところを意識してきた。最終打席でのホームランは自分でもびっくりしていますし、最後の最後、ごほうびかな」。1試合での複数安打は55号を放った9月13日以来。打率も4厘差で逃げ切った。

 「世界の王」のシーズン本塁打記録を抜き、史上最年少での「三冠王」獲得。ペナントレースを締めくくる劇的な一発に、22歳がベンチに引き揚げても、大観衆の拍手は鳴りやまなかった。

(藤田絢子)

=朝日新聞デジタル2022年10月04日掲載

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