野球

日本大学・河村唯人 4年前と同じグラブ、当時から変わらない、道具を大切にする心

任地の福島で4年ぶりに河村と再会した(撮影・滝口信之)

今春に引き続き、地方での開幕となった秋の東都大学野球リーグ戦は、9月3日に福島市の福島県営あづま球場で始まった。普段は福島を拠点に取材している私にとっては、4年ぶりに再会する日大三高(東京)出身の選手たちの雄姿を楽しみにしていた。

一緒にグラウンド整備、球拾いをした日

日大三は2018年の第100回全国高校野球選手権記念大会に、西東京代表として出場し、ベスト4まで勝ち進んだ。私は当時、東京で勤務しており、高校野球の西東京大会を担当。優勝し、甲子園出場を決めた日大三の選手たちを取材していた。コロナ禍で、今年は担当記者と代表校は別々の宿舎を使っていたが、以前は担当記者と代表校は同じ宿舎に泊まっていた。

100回大会の時は、日大三の選手たちと兵庫県尼崎市のホテルで約3週間、一緒に過ごした。朝5時過ぎに起き、ラジオ体操をして、朝ご飯を一緒に食べる。毎日2時間割り当てられている練習では、一緒にグラウンド整備をしたり、ボール拾いをしたりした。練習後、一緒に焼き肉を食べに行き、彼らの食欲に驚かされたこともあった。あの夏から4年が経ち、どんな姿に成長したか、楽しみにしていた。

青山学院大・佐藤英雄 日大三から変わらぬ律義さ 4年ぶり再会に「お久しぶりです」
2018年夏の甲子園ベスト4を記念し、当時の宿舎で集合写真を撮った(撮影・滝口信之)

「試合で使うグラブは、きれいじゃないと」

開幕戦となった亜細亜大学と日本大学の試合。一番楽しみにしていたのは、日大の河村唯人(4年)だ。100回大会の甲子園で日大三は、河村をはじめ、中村奎太(現・明治大学4年)や井上広輝(現・埼玉西武ライオンズ)など、最速140キロを超える選手が4人いた。河村は背番号10をつけ、全5試合にリリーフで登板。前半を凌いで、中盤以降、河村に継投するというのが、当時の日大三の「勝利の方程式」だった。

日大進学後もベンチ入りし登板していることを、スポーツ紙などを通じて知っていた。

西東京大会の決勝で力投(撮影・朝日新聞社)

今回、私が見た2試合、河村はベンチから外れていた。そのため、彼の姿を見たのは試合前のシートノックだった。ノックの補助をしている河村が右手にはめているグラブに見覚えがあった。茶色のグラブだ。4年前の甲子園で使っていたものと同じだった。

高校時代、河村は練習の時と試合とでは、グラブを使い分けていた。当時、理由を尋ねると、「試合で使うグラブは、きれいじゃないと嫌なんです。1時間くらい掛けて磨くので、練習後に毎日やるのも大変で、試合と練習を使い分けています」と話していた。その試合用を4年経った今も使っていた。

理由を後日、河村本人に聞いてみた。

グラブは4年前の甲子園で使っていたものと同じだった(撮影・滝口信之)

二つの意味で驚いた

「甲子園の時に使っていたものを今でも使っています。いつもは(高校)2年の時に三木(有造)さん(日大三部長)からいただいたグラブを使っているのですが、それが壊れてしまったので、たまたまあのグラブを使っていたという感じです」

二つの意味で驚いた。甲子園で使っていたグラブを大切にしているだけでなく、普段は高2の時に三木部長からもらったものをこれまで使っていた。道具を大切にする心は、高校時代から全く変わっていなかった。

私は今年の夏、甲子園で104回大会を取材した。試合を見ていて気になったのは、きれいなグラブを使って試合に臨んでいる選手が多いことだ。地方大会後に、甲子園に向けて買い替える選手が多くいると感じる。硬式野球用は5万円以上のものが多い。甲子園出場のご褒美として、新しいグラブで臨みたい気持ちも分かるが、河村のように道具を大切にしてほしいと思うこともある。

道具を大切にする心は当時から変わっていない(撮影・滝口信之)

聞く耳を持たなかった時期 自戒し優勝投手に

河村は試合中、ベンチ裏でベンチ入り選手のバッティングピッチャーを務めたり、ベンチ脇で試合を見たりしていた。その表情はどこか悔しそうに見えた。河村は高校時代から負けず嫌いで強気で、ピンチでも臆することなく、内角にストレートを投げ込む。そんな強気な投球が持ち味だった。

一方で、それが仇(あだ)となったこともあった。高2の秋は、背番号1をつけたエースだった。ただ、「歴代の先輩たちの名前を見て気後れした」と話していた。近藤一樹(元・東京ヤクルトスワローズなど)や山崎福也(オリックス・バファローズ)らが背負ってきた背番号だ。そんな重圧から結果が残せず、徐々に言い訳をするようになっていた。「あの球はいいところにいったのに」「打った方がうまかった」

当時を振り返り、主将だった日置航(現・明治大学4年)は甲子園期間中の取材に、「何を言っても聞く耳を持たなかった」と話していた。秋の東京都大会では同じ投手の中村や井上が台頭し、河村の登板機会が減っていった。

変わるきっかけとなったのは、日大三恒例の冬合宿だ。「このままではベンチ外になる」という危機感から、朝5時スタートのランニングでは常に先頭を走り、投球練習では投げるコースを決め、そこへ続けて決まるまで投げ込んだ。自信をつかんだ河村は、高校3年の西東京大会で全6試合に登板し、優勝投手に。小倉全由監督も甲子園前のメンバー発表で、「背番号10だけど、実質的なエースだ」と声を掛けていた。

高3夏の甲子園は「実質的なエース」として活躍した(撮影・朝日新聞社)

卒業後は社会人で野球を続けるという河村。第4週を終えた時点で、今期のリーグ戦の登板機会はまだない。ラストシーズン。悔いのないように大学野球期間を過ごしてほしい。

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