陸上・駅伝

特集:第99回箱根駅伝

学生駅伝三冠達成の駒澤大・大八木弘明監督は今季で退任 チームも監督も新たな段階へ

史上5校目の学生3大駅伝「三冠」を達成し笑顔を見せる駒澤大の大八木監督(代表撮影)

1月2日・3日に行われた第99回箱根駅伝で、駒澤大学が2年ぶり8度目の総合優勝を飾り、史上5校目の出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝の「大学駅伝三冠」を達成した。往路優勝したあと、復路ではトップを1度も譲らずに大手町のゴールまで襷(たすき)をつなぎきった。

「こんなに幸せな監督はいない」

今季の駒澤大はシーズン当初から「三冠」を掲げて戦ってきた。大八木弘明監督も例年はレース前に目標を問われても常に「3位以内」と慎重だったが、今季は「優勝」とはっきり言い切っていた。大手町のゴールで笑顔で胴上げされた大八木監督は、レース後の会見で今季限りで退任し、藤田敦史ヘッドコーチに後を任せると表明した。任期は3月までだが、実質的には今回の箱根駅伝直後から新体制となる見込みだ。

大八木監督は昨年の初め頃から、三冠を取ったとしても、取らなかったとしても一つの区切りにしようかと考え始めたという。4月にある程度決めて、夏合宿で主将の山野力(4年、宇部鴻城)、副主将の円健介(4年、倉敷)、エースの田澤廉(4年、青森山田)の3人だけには告げた。3人は「今年はどうしても三冠したい」と改めて言い、大八木監督もそれに応える形で本気になって取り組んだ。

「子どもたちが最後に本当に素晴らしいプレゼントをくれました。29年間駒澤でやってきて、オリンピック代表も世界陸上代表も出して、箱根でも勝って、4連覇して、最後に残ったのがやっぱり三冠でした。三冠をすれば、自分の中で大学の監督としてすべてやってきたような思いもあります」と感慨深げに話す。

選手たちは笑顔でアンカーの青柿(手前)を迎えた(以降の写真はすべて撮影・藤井みさ)

退任の理由としては、田澤のように世界を目標として競技をする選手をしっかりと指導していきたいということ。そして「今年65歳なので、(部員全員の)50人を見て朝から晩まで現場にいて体がきつくなってきたのもありますし。女房にも苦労をさせっぱなしで少し休んでもらいたいと思いました」と寮母を務める妻・京子さんへの思いも明かした。「選手層はしっかり作りましたので、来年も三冠を狙えるだけのチームは出来上がっていると思います。2年続けて三冠をしたチームはないので、それを目指してやってほしいなと思います」

コーチ時代から通算すると29年の指導歴。そのうち、学生3大駅伝では27回の優勝を飾った。「本当にうれしいですよ。こんな幸せな監督はいないんじゃないかなと思います。子どもたちに恵まれたんだと思います」。その中でも決断したのは、「まだやりたいことがある」という気持ちだ。中国のことわざ「百里を行く者は九十を半ばとす」を引き合いに出し、「ちょうど100回大会の前の99回を『半ば』として、新たな世界をやりたいと思いました」。自身の年齢的に、1人2人を真剣に見て、指導するのがちょうどいいという気持ちもあった。そのタイミングで出会った田澤という逸材。田澤に出会ったからそう決めたのではないというが、「めぐり合わせですね」という。今後ははっきりとは決まっていないが、総監督のような立場で田澤、そして彼のレベルで練習ができるような選手たちを育てていくつもりだ。

エース・田澤廉「最高の指導者、感謝しかない」

退任を知っていた田澤は、「今年は『特別な思いがあるんで』って何回か言ってたと思うんですけど、監督が今回退くというのがあったので、それが大きくて。その年に三冠を達成させてあげたいという思いが一番強かったので、この結果になって非常に良かったと思います」とレース後の取材に答えた。12月には新型コロナウイルスの感染がありながら、急ピッチで仕上げて2区を走り、区間3位。本調子ではないながらも、エースとして力を示した。

田澤は昨年12月初旬にコロナの影響で1週間まったく走れなかったと明かした

田澤は卒業後、実業団のトヨタ自動車に進む。ただ富士通に進んだ後、駒澤大を練習拠点にしてオリンピック代表をつかんだOBの中村匠吾のように、引き続き拠点を駒澤に置き、大八木監督の指導を受ける予定だ。田澤は大八木監督について「最高の指導者だったなと思いますね。自分たちは本当に感謝しかないです。謙虚さなどの人間性もそうですし、行動力とかも『うちの監督は違うな』と思うことが多く、本当に素晴らしい指導者だなと思います」と口にする。マラソンでオリンピックに出場し、結果を残すことを最終目標にしているという田澤。今後も尊敬する恩師とともに走る。

主将の山野は9区を走り区間3位。後続の中央大との差を1分33秒に広げ、優勝を大きく引き寄せた。待機所で大八木監督から電話を受けたが、普段とは違った様子で「最後だから楽しめ」と明るい声で背中を押された。給水ポイントでは円から給水を受け「ありがとう」と言葉をかけられ、運営管理車の監督からも感謝の言葉をかけられたという。「胸がいっぱいになりました。その思いに応えたいと思って走りました」。一般入試で入学し、年を重ねるごとに成長できた。卒業後も実業団に進み競技を続ける予定だ。

田澤、山野、円の4年生たちが今のチームを引っ張ってきた

次期エース・鈴木芽吹「自立して考えたチーム作りを」

大八木監督からも田澤からも「次のエース」と期待される鈴木芽吹(3年、佐久長聖)は地元である熱海に近くなじみのある4区を走り、青山学院大の太田蒼生(2年、大牟田)と激しいデッドヒートを繰り広げ、太田にわずか1秒差のトップで5区の山川拓馬(1年、上伊那農)に襷を渡した。鈴木は昨年の箱根駅伝で8区を走り、おそらく走行中に左大腿骨(だいたいこつ)を骨折した影響もあり、区間18位。10月の出雲駅伝でようやくレースに復帰し、アンカーで優勝のゴールテープを切った。その後、アキレス腱(けん)に違和感が出て、全日本大学駅伝への出場を回避。箱根駅伝前の練習も十分に積めているとは言えず、「正直に言うと不安がありました」と振り返る。

しかし走る前に監督と電話した時に、「田澤も不安がある中でエースとしてエースらしい走りをしているんだから、お前は次のエースだからしっかり走れよ」と言葉をもらい、「そこで本当にスイッチが入った感じです」。監督の言葉が気持ちのこもった走りにつながった。

大八木監督の言葉に力をもらい走った鈴木(左)

最終学年となり、チームの中心的存在となる鈴木。「チームとしてもっと結束力を高められる部分もあると思います。藤田さんも監督になるということでわからないこともあると思うので、選手は選手として自立していかないといけないとも思います」と話す。

大きな目標の三冠を達成し、新たなステップを踏んでいくために、今までと同じではなく新しいことも取り入れていかないといけないとも考えている。「それが新体制になったということでやりやすくなる部分もあると思うので、今年を参考にするというより、自分たちがどうしていきたいかを中心にチームを作っていけたらなと思っています」と頼もしい言葉を発した。

三冠を達成し、「今はホッとしている」という大八木監督。「でもこれから田澤や新しい選手を見始めて、現場に行くとすぐワクワクする気持ちになると思いますね」と笑う。これからの段階を「ラストチャレンジ」「原点と挑戦」と表した大八木監督。監督も、そして駒澤大のチームも三冠を糧に、新たな段階へと進む。

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