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特集:ウインターカップ2022

大阪薫英女学院・熊谷のどか 相棒の「キラ」はWリーグへ 大学での成長誓う

笑顔で声を出す大阪薫英女学院の熊谷のどか (すべて撮影・平田瑛美)

第75回全国高校バスケットボール選手権大会 女子準々決勝

2022年12月26日@ 東京体育館(東京)
岐阜女子(岐阜) 69-66 大阪薫英女学院(大阪)

残り3秒。延長戦へと望みをつなぐ3ポイントシュートがリングを跳ね、試合終了のブザーが鳴った。インターハイ準優勝チーム・大阪薫英は、岐阜女子に66-69で敗れ、ベスト8でウインターカップを終えた。

キャプテンの熊谷のどか(3年)は、充実感を漂わせる表情で、落胆する仲間たちを整列に導いた。ただ、その表情にはどこか違和感があった。張り詰めた糸のようにきりきりと震え、今にも切れてしまいそうに見えた。

試合後、熊谷は言った。

「どういう終わり方をしたとしても、自分にとってこの3年間は、苦しいことも含めて幸せな時間だったなって思ってたから……。悔しかったんですけど、自分が泣いてしまったら、みんながどういう顔をしていいかわからなくなると思って、やりきったっていう顔をしようって決めてました」

絞り出すような声での、吐露だった。

熊谷のどか(左)と都野七海

「センスの人」都野七海、「思考の人」熊谷のどか

スタメンの平均身長が170cm以下という小柄なメンバー構成にも関わらず、昨年度のウインターカップで3位、インターハイは2年連続準優勝という成績を残した大阪薫英。熊谷はエースの都野七海(3年)と共にこのチームを引っ張った。

熊谷と都野は、共に身長158cmの小柄なガードではあるが、都野が「センスの人」ならば、熊谷は「思考の人」だ。

名古屋市立長良中で全中(全国中学校大会)3位という成績を残し、愛知県選抜のメンバーにも選ばれたが、自己認識は「全然うまくなかった」。いくつかの学校からの誘いを断り、自ら売り込んで大阪薫英に入部したときも、「高いレベルに挑戦しよう」という心境だったという。後にU18日本代表にも選出される都野が入学直後からプレータイムを獲得したのに対し、熊谷がシリアスなゲームに戦力として出場するようになったのは2年時のインターハイ予選からだった。

「ネジが飛んでいる」熊谷の突出した発想力と行動力

昨年の6月、熊谷と都野にゆっくり話を聞く機会があった。入学直後からいつも熊谷と一緒に過ごしているという都野に彼女のことを尋ねると、「誰よりも努力して、コートでもコートの外でもチームのことを考えて行動している」と評した後、「ちょっとネジが飛んでます」と笑った。話を聞いていくと、都野の「ネジが飛んでいる」という言葉が、熊谷の突出した発想力と行動力のことを指すのだとわかった。

例えば、高2のウインターカップ。熊谷はオフェンスのセットプレーを書き連ねたものを、クリアケースに挟み込んで試合のベンチに持ち込み、チームメイトと安藤香織コーチを驚かせたという。「あせってしまって、一番いいセットプレーが思いつかなかったことがあったので、先に準備しておこうと思ってやりました」と熊谷は説明した。

熊谷(奥)と都野

「都野とのダブルキャプテン」をコーチに直訴

3年のインターハイ予選前には、「キャプテン都野、副キャプテン熊谷」というチーム体制を「都野と熊谷のダブルキャプテン」に変えてほしいと安藤コーチに直訴した。

エースとしての役割を兼ねる都野の負担を減らしたいというのが理由だったが、大阪薫英にダブルキャプテンという制度はなく、シーズン途中の体制変更も前代未聞。面食らった安藤コーチに対して熊谷は、河村勇輝(横浜ビー・コルセアーズ)が福岡第一高校の3年時にダブルキャプテンで夏冬連覇を達成したことなどを引き合いに出して説得し、承諾を得た。

インターハイ予選後からはメモ帳を持ち歩き、気づいたことや思いついたことをすぐに書き留めるようになった。練習前にはその日のポイントを腕に書き連ね、空き時間には心理学や自己啓発の本からチームビルディングのヒントを学ぶ。都野は「自分は考えることが苦手だけど、のどかは考えて考えて、考えて行動できる。自分の見本というか、なっていきたい姿」と言い、安藤コーチも「あの子の頭を使ってバスケをする姿勢には絶対的に信頼を置いている」と話した。

流れるようなチームオフェンスを実現

熊谷が大きな武器とする、3ポイントラインからさらに遠い位置からでも決められるシュート力も、熊谷が自ら考え、身につけたものだ。小柄で突出した能力を持たない自分が、チーム内での競争に勝ち、全国トップレベルで渡り合うためには何が必要か……。そう思い悩んだ熊谷は、かつて大阪薫英にロングスリーで活躍した選手がいたと知り、自身も取り入れてみようと思ったのだという。

高校2年生に進級したころから取り組み始めたチャレンジは実を結んだ。熊谷が3ポイントシュートを積極的に放つようになったことで、ドライブに強みを持つ都野がより自由にプレーできるようになり、インサイドとアウトサイドのバランスがとれた、流れるようなチームオフェンスが実現。小柄なガードを同時起用することに悩んでいた安藤コーチも、自信をもって2人を送り出すようになった。

「自分自身がキラに頼ってしまっていた」流した涙

高校ラストゲームとなった岐阜女子戦は、前半奪ったリードを徐々に詰められ、エースの都野は試合終了を3分以上残して退場。それでも熊谷は「(都野がいない状況も想定して)練習しているから大丈夫!」と仲間に声をかけ、笑顔で鼓舞した。祈るように戦況を見守る都野とまだプレーしたいとの思いで、疲労軽減のテープでぐるぐる巻きの足でコートを駆け、残り35.1秒には2点差に迫るレイアップシュートを決めた。

ベンチから試合を祈るように見つめる都野

6月の取材で、熊谷は「入学した頃は『キラ(都野)を助けよう』と思ったけど、だんだん『それだけじゃダメ』と思うようになった」と話していた。岐阜女子戦後には、詰めかけた報道陣に「インターハイ以降は、キラに頼らないバスケをしようとみんなで話し合ってきた」と繰り返した。

しかし報道陣が少なくなると、熊谷は本音を明かした。「やっぱり自分自身が一番キラに頼ってしまっていたのかなって思うので……」。歯を食いしばりながら言葉を発したが、悔し涙は止められなかった。

2人は別々の道へ、いつかまた同じ舞台に

熊谷は高校卒業後、系列校の大阪人間科学大に進学し、同部を指導する安藤コーチのもとで引き続きプレーする予定だ。相棒の都野はWリーグのトヨタ紡織に進む。後悔の涙を振り切るように、「もうキラはいないので、今度は自分が得点をとって、チームを勝たせられるような選手になりたいと思います」と強い口調で言った熊谷は、大学でどのような成長を見せるだろうか。

ちなみに、都野について話すとき、熊谷は「キラは『先に』Wリーグに行く」と言った。その言葉の真意を確かめることはできなかったが、いつか、また同じ舞台でプレーするチャンスが訪れるかどうかは、間違いなく熊谷のこれからの4年間にかかっている。

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朝日新聞のウインターカップ2022特集

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